自分を嫌になっている人

自分を好きになれない人
自分を、認めたくない人

先ず自分についての考え方、間違ってませんか?
自分って、自ら意識している私でないんですよ?
自分はね、意識できる私に与えられている範囲

分かりやすく言うと
生まれた時から、自分の手の届く範囲の事
それ以外のものは手にできない、という事

それに比べて、「自己」はね
私を指す言葉
いわゆる、わたし私と思う存在

だから、勝手にどうにでも出来るんです
だから、何とかしようと本を読んだりするんです
だから、読んでいいと思う人間に自分を変えようとするんです

でも、そうはならないのです
だってそうでしょ、届く範囲の物しか手にできないのだから
見える所にあるって分かったとしても手にできないんだから

そもそも、僕達は決められた素材として生まれてきてるんだよ
だから生きるってことは、その素材を十分に活かすということなんだ
このことはどこの本にも書かれていないんだ、だから誰も分からないんだ

この続きは、来月に話すからね

 

2014.6

どうしても自信が持てない

どうみても劣っている
どう考えても納得できない

本を開けるとあなたはできると書かれている
読んでるときは安らぎがある、希望が持てる
しかし朝になると元の自分に戻る

頭では分かっている
でも現実に役に立たない
分かっているだけ自信がなくなっていく

このままではいけないと藁をもつかむように
また、本に助けを求め
都合のいい話に耳を傾ける

時には友達と時間を過ごし
時には彼氏と時間を過ごす
でも一人になったらまた同じ所

これを繰り返す自分を好きになれない
どうすることもできない自分を許せない
そんな私じゃないはずなのに

そう貴方はそんなはずでない
ただ、そのやり方が違ってる
そのやり方、来月に届けます

 

2014.5

 

天気の晴れたある日

沢山ある畑の中、ある街の畑
その畑に20本の大根の種が蒔かれました

お互い今まで知らなかった大根の種
始めての畑に筋撒きされ覆い土されました
そうしなければ、風に飛ばされ、鳥に食べられるからです

だから、一粒では覆い土を撥ね退けることができません
だから、何粒の種が力を合わせて地上に芽を出すのです
そのお陰で、20本の大根達は芽を出すことができました

しかし、芽を出すまでは必要だった仲間
その仲間をそのままにしておくと皆の生育が止まってしまう
だから、涙をのんで全体の生育を止めないために数を減らす

それは、弱い大根を、細い大根を
そして、余りにも大き過ぎる大根を、曲がっている大根を
細かく調べて、抜いていくのです

そうしなければ
皆が痩せ細って大根になれないからです
みんなが共倒れになってしまうからです

この作業をしなければ
痩せた大根が20本になります
作業をすると、立派な大根が少数できます

その重さは変わらないのです
さて貴方は、どっちを選びますか?
そして貴方は、どっちを生きてますか?

 

2014.4

思いがけない事があったでしょ
信じられない事があったでしょ
何で?と疑う時があったでしょ

一挙に不幸のどん底に引きずられたんだよね
でもね、これは誰もが避けて通れない出来事なんだ
誰にとっても、苦しみや難しく面倒なことなんだよ

そしてそればかりか、そんな時に決まって
「乗り越えられない試練はない」と友は言ってくれるんだよね
「頑張れば大丈夫だよ!」と、変な激励をしてくれるんだよね

でも誰にも、悪気があるわけじゃないんだよ
ただただ、自分が素直に聞けないだけなんだよね
本当は言っている事が間違いではないと信じたいんだよね

だって、今まで努力しなかったわけじゃないから
逆に、悪いことはしていないと思っていたから
それにも関わらずの出来事だったから・・・

よりによってなんで私なのと反射的に思ってしまい
負けそうになる自分を・・・自暴自棄に陥る自分を・・・
自分でどうすることもできなくなってしまうんだよね

だからといって諦めることはないんだよ
不安がる必要はないんだよ
そうなるのはね、この言葉の本当の意味を知らないからなんだ

この言葉の意味を正しく分かれば大丈夫だからね

 

 

2014.3

元気な職場の振る舞い

友との笑顔な振る舞い
それは「本来の自分?」

それって、無理してませんか?
だとすると凄く不自然になってるのですよ!
周りのみんなには、バレバレなんですよ

それが証拠に、仕事が終わったとき
貴方はひどい疲れを感じてるでしょ
相当なストレスを感じているでしょ

帰宅する電車中、家に帰る途中
暗くなっているでしょ
暗いまま家に帰り、その姿を子どもに見られてるでしょ

純粋な子ども達は
それが大人だと信じ込み
同様に仮面の日々を生きるようになってしまうのですよ

だから、「近頃の子どもは」ではなく
「偽りの自分」から「本来の自分」に還ること
背伸びしないで、有りのままの自分に還ること

勇気を出して
太陽のように、無理しない自分に 
向日葵のような、逞しく生きる自分に 

 

2014.2

意志に関係なく年が開けた
さて貴方は昨年を振り返り満足できてますか?
それとも、振り返ることすらしないのですか?
 
昨年のお正月と、今年のお正月
何が変わって、何が同じなんだろう?
たまには振り返ってみては、だって一回しかない人生なんだもの
 
ハツカネズミが輪の中を走り回るように
一年という輪を、只ただ走り回っている
もしそうだとしたら余りにも悲惨だから
 
だから、僕は毎年お正月に反省するのです
一年の棚卸し(良い事と悪い事を数え上げる行為)をするのです
そうです「振り返って」「間違いだけを省く作業」をするのです
 
そんな僕の「反省の仕方」
キーワードは、「痘痕(あばた)も靨(えくぼ)」
この意味は、「欠点も利点に見てしまう」という落とし穴
 
だから僕は、今一度、総点検をするのです
そうです身の回りに「執着」しているものを探すのです
こうだと決めているものを、第三者の目から見るのです
 
すると、「独り善がり=自分だけで良い」と決め込んでいるものと
    「道理=みんなも良い」にかなったものとに分かれてきます
そうなると道理にかなったものだけを残し、独り善がりを省くのです
 
そうです、僕はこの作業をお正月にしているのです

2014.1
一つ目に、自分を意識しないままの「受力の生き方
     他人の言うがまま生きてしまい
     環境の働きのまま生きてしまう
 
     何かあれば、他人や環境のせい
     無条件で、すべてを受け入れる
     環境に支配されてるとも知らず生きる
 
二つ目に、自分を意識し過ぎてしまう「自力の生き方
     自分が正しいとの姿勢を崩さない
     独断であろうと、知らぬ顔である
 
     他人の力など当てにせず
     一人で生きていくと言う
     他人には振り向きもしないで生きる
 
三つ目に、自分だけが正しいと思わない「授力の生き方
     どんな事があっても傲慢にならない
     他者を尊敬し、他者を認めていく
   
     自分一人では生きていけないと知っている
     自分の幸福は他者の幸福と同時でこそ成り
     他者や社会に貢献する事を目的に生きる
     
さて貴方は、依存して生きていますか?
      独立して生きていますか?
      貢献しようと生きていますか?

2013.12
蛙は、変温動物です
だから本当は
ゆで蛙の話は現実の話ではありません
 
そんな「ゆで蛙」のお話とは
  「熱湯に蛙を入れると
  びっくりして飛び出してしまう、が・・・
  水に入れて徐々に温めていくと最後には死んでしまう」
というお話です
 
が、そんな事はありえませんよ
現実に、蛙は賢く生き延びていきます
このお話は、私達人間社会だけで通じるお話なのです
 
そんな私達人間は、蛙と全く違う道をとってしまいます
水が温かくなってくると、気持ちいいと居座ってしまい
このままではいけないと気付いた時は手遅れで死んでしまいます
 
調子にのった経営で、倒産していった企業は数知れません
また、面子にこだわり自滅していった人達も数知れません
「このくらいはいいだろう」という小さな手抜きがもたらす大きな禍
 
私達では、お月様に向かっての発射角度が1㎜違えば
お月様どころか、とんでもない所に行ってしまいます
徐々に温かくなる水は、その時々の1㎜の誤差のまま
 
「このくらいはいいだろう」という1㎜の手抜きがつくる吾が人生
蛙にだけは負けたくない
だから今日も、「このくらいはいいだろう」との闘いに負けないぞ!

2012.11
日本、一度も侵略されずに続いている
   世界史の中で唯一の国家である
 
アインシュタインのいう国(1922年、来日した際残した言葉の抜粋)
「世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。
 それはアジアの高峯である日本に立ち戻らねばなるまい。
 我々は神に感謝する。
 我々に日本という尊い国を創っておいてくれた事を。」
先ずはこの事実を正しく認識することが必要
 
この日本は、八百萬の神がまします国
      七福神が一つの船に乗る国
それに比べ
「脱亜入欧」と、傾倒していった西洋は
キリスト教という、バリバリ一神教の国
 
そうです、黒船に乗ってきたのは
     一神教としての、文化
     それを個人主義という
 
それぞれの人が、神と交わした約束を守る
欧米社会はこの事実を基に信頼関係を築き上げている
神との約束を守らない人は、誰からも信用されない
 
個人においても社会においても最も大事なのは「神との約束」
だから欧米のアスリートは事あるごとに十字架を胸に印す
この生き方が一神教に裏付けされた「個人主義」である
 
間違っても「個人主義」は「利己主義」ではない
さて私達が暮らしているこの国は、一神教の国ですか?

2013.10

人は、幸せになるために学び
   幸せになるために働き
   幸せになるために手にする
 
しかし、学べば学ぶほど上がいることに気付き
    働けば働くほど自分より出来る人に出会い
    手にすれば手にするほど欲しいものに出会う
 
気がつくと、幸せになるために始めた学びが
      新たな苦しみとなっている
同様に、働くことが苦しみとなっている
 
それでも多くの人達は
もっと勉強すれば幸せになれると・・・
もっと働けば幸せになれると・・・日々頑張っている
 
そのままでは
頑張れば頑張るほど幸せは遠ざかり
いつかは力尽きてしまうだけなのに
 
スーパーマンのようになれるのは
アメリカの映画の世界だけである
アメリカンドリームは幻想である
 
日本には日本としての仕組みがあり
日本としての働き方があり生き方がある
日本人には日本人としての頑張り方がある
 
果たして私達は
自分が日本人であるということを分かっているのだろうか?

2013.9
日本には「春夏秋冬」がある
四季折々の、草花たちがいる
収穫の秋、自然は色とりどり
 
そんな日本は農耕民族と言われ
総じて収穫に標準を合わせている
四季折々に合わせての集団主義
 
お祭りも、お正月も
 
常に隣を判断基準に
落ちこぼれないように
いわゆる護送船団方式
 
そんな私達の国に
外国人が戸を叩いた
仲良くしようよと
 
そんな外国の人達は
強烈な個人主義の人たち
出る杭を伸ばす教え
 
出る杭は打たれるDNAを持つ私達が
出る杭を伸ばすDNAの人を真似たら
私達の生活はどうなるのだろう?
 
身体のリズムの調子は狂わないのだろうか?
心のリズムの調子は狂わないのだろうか?
そんな心配をしているのは僕だけ?

2013.8
呪縛する (意識を) コントロールする
(精神を)縛る・拘束する・洗脳する
(思うように)操る・支配する
 
呪縛される(~に) とらわれる・とらえられる・金縛りになる
(人形のように)操られる・支配される
(~に)縛られる・からめ取られる・自由を奪われる
 
幼い時、親に褒められたくて頑張った記憶ありますよね
    親に叱られて涙を流し、悔しくて堪らなかった
ただ微笑が欲しかった、ただ安心できる時間が欲しかった
 
だから、親に言われる事を素直に聞いてきた
    親に言われた事の実現に、頑張った
    できないことには、触れたくなかった
 
そんな日々の時間は重ねられ
大人となった今も残っている
誰かに褒められたい願望となって
 
昔は、褒められたい
今は、認められたい
昔は両親~今は恋人
 
心の中で抑圧された心的傾向からの開放
それこそ、「人に成る」成人への入口
それは、心に根づく強い感情との戦い
 
貴方は戦い方知ってますか?
※戦い方workshop資料のご希望の方はお申込みください。

2013.7
戦いを略すること
それを戦略という
それは、いらない戦いをしないということ
 
略とは、省くこと
省くとは、必要ないものを取り除くこと
余分なものを取り除いて少なくすること
 
ということは
戦略とは、自分との戦いである
自分の中に潜む、欲望との戦い
 
身体につきまとう脂肪のように
個人につきまとう、しがらみ
家庭に増え続ける、荷物と問題
 
その中で必要なものと不必要なものの分別
それは、ゴミだけではない
生活総てに当てはまるもの
 
是非・道理からの判断
これが無くなれば怠慢
その行き着く所が肥満
 
個人も家庭も組織も
肥大化すれば崩壊も間近
上から下に流れるのは水だけではない
 
人もまた、安きに流れるもの

貴方は大丈夫ですか?

2013.6
夢・安堵・希望は接着剤
現・危惧・絶望は剥離剤
それが証拠に、人は夢・安堵・希望で繋がり
       危惧と絶望により人は別れる
 
人格をペルソナと表現する
そしてペルソナとは、仮面
仮面とは、外的側面である
 
外見が、夢・安堵・希望だった
だから選択をした、選んでみたら違ってた
これをふたを開けたら、という
 
しかし人生、蓋を開けてからでは遅すぎる
そうです人生では簡単に間違うことはできないのです
誤解することはできるだけ避けなければいけません
 
そうです別れは、最初に相手を間違って理解しているのです
真実を見ないで、自分の都合の良いように解釈しているのです
それを私達は誤解といいながら、私だけは違うと思い込んでいる
 
しかし他人は騙せても、自分は騙せない
自分を騙す限界点、それが別れ
所詮、出会いは自己満足の独り相撲
 
冷静になった時、真実の出会いとなる
それが、絶望であり危惧となる?
その現実に耐えられなくなり逃げていく?
 
その繰り返しが一回しかない人生だとすれば
貴方は、納得できますか?
     (※ただし、但し、「逆も真なり」もあります)

2013.5
今洪水のように溢れる情報
今日は「これ」と決めたのに
明日は「これ」と変わってしまう
 
そういえば、去年もそうだった
ちょうど今頃に真新しい情報に出会った
そして、今までをリセットし心機一転新たなスタート
 
そうして
今まで何回リセットしてきたのか?
今まで何回スタートしてきたのか?
 
いつまで経っても自分に自信が持てないでいる
だから自信が持てるように
いつもいつも、新しいことに向かう自分がいる
 
いつの日か結果を求めることから
始めることに終始する自分がいる
 
知っていることで今を満足させ
始めることで今を満足させようと
常に新しい情報を求めてさまよう
 
そしてそんな自分を安心させるために
同じ思いの人達との情報交換
ネットで、携帯で、面と向かって
 
そのうち友達ができ
そうして恋人ができ
そして家庭ができる
 
成り行き、仕方なしに生み出される空間
さて貴方は、そこにいませんよね?

2013.4
 

今年の計画を、覚えている人も覚えていない人も

毎日毎日、忙しく生きている
暇を持つこともままならない
その位、忙しい毎日である

その中で
欠かせない重要案件はどの位あるのだろう?
一度、一日でやったことを書き出してみよう

そう多くは無いはず
暇なく時間に追われているのに
いざ書き出そうとすれば…

そうなのです、私達の一日は
無計画のうちに始まり終わっている
意識する、しないに関わらず

して、その本人は年頭に一年の計画を立て
手帳を見ながら…、時計を見ながら…
そして一年の終わりに来年の計画に手をつけている

もう何年の間同じ事をやっているのだろう?
もうそろそろ流れを変えなければ…
そう感じている人は次のことをやってみて下さい

今やらなければならない目の前のことに全力集中
後先に思いを馳せず、隣の人に惑わされず
指示に従い一心不乱に全心全力


2013.3
 

年が明け、はや一ヶ月
お正月気分はどこにやら
今日も時間を追い、追われる

一日の出来事
それは予定した事より
予定外の出来事に振り回される?

だから、今年も予定表が店頭を飾り
時間マネジメント書籍が書店を飾る
手帳でコントロールできるが定説?

書いていることと
やっていることのギャップ
正直なところそれが、今日という一日

その流れを変えるには
毎日毎日、年頭の決意を読むしかない
そのギャップを瞬時も忘れないことである

であるなら、年頭の決意とは、今日の決意である

さて貴方の今日という一日に
年頭の決意が息づいてますか?
さあ、勇気を出して思いだしてみませんか?

2013.2
 

年が明けて新しい一年の始まり
とはいえ、カレンダー上の話し
現実は、昨年・昨日からの続き

「おめでたい」の前に
昨年はどうだったのだろう?
先ずは、反省から始めたい

人は現実に惑わされ
     省みることを忘れてしまう生き物
さて貴方、一年の区切りをつけられましたか?

「省みる」という字は
「はぶく」と書く
だから今すぐ、昨年の何を省いたのかの確認

何も省いてなければ、昨年の繰り返し
相変わらずの一年の始まり
変わりない日々の繰り返し

貴方は今年一年、それで満足ですか?

2013.1
 

誰もがアイドル=偶像を追い求める
なにもアイドルはスポーツ選手やタレントばかりではない
過去の成功体験も、十分アイドルである

いつの時代も、どの国でも
個人であれ、群れであれ、企業であれ
成功体験は衰退の一大原因

それは、過ぎ去った、出来事
それは、耳にする噂、口コミ
それは、現実を見誤る“錯覚”

見えない「執着」も、「固く信じる」ことも
その思い込みが常識の目を狂わせる
それはアイドルと同じ

夢よ、もう一度!
成功体験にしがみつく
しかし、人生に同じ事は二度と起こらない

だからこそ、過去に流されず
成功体験を捨て
新たなことに挑戦!

そう、今に必要なものは「勇気」なのだ!
 

あれもこれも手にしようと力を分散
その穴埋めに使えるものは全て使う
努力したつもりでも、単なる手抜き

手抜きとは
誰かに寄りかかり
誰かにすがること

良い結果など出るわけがなく
窮地に立たされる羽目となる
勿論、知らぬは本人だけ

周りはみんな、つながっている
いくら、良い顔をしたとしても
因果応報と、人生に狂いはない

自分の感情のままに生きていて
欲望のままに生きていては
周りを味方にはできないぞ

自分の衝動に振り回され
欲望に押し切られていては
周りと足並みを揃えられないぞ

「日日に新たに、又日に新たなり」とは
日々、自制することであり
日々、克己することである

一回しかない、この人生
誰もが「生きた分しか生きられない」
 

「神は万人に公平に一日24時間を与え給うた。
われわれは、明日の時間を今使うことはできないし
昨日の時間を今とりもどすすべもない

ただ今日の時間を有効に使うことができるだけである
毎日の24時間をどう使っていくか
私は一日の決算は一日にやることを心がけている

うまくゆくこともあるが、しくじることもある
しくじれば、その日のうちに始末する
反省するということだ

今日が眼目だから、昨日の尾を引いたり、明日へ持ち越したりしない
昨日を悔やむこともしないし、明日を思いわずらうこともしない
このことを積極的に言い表したのが「日新」だ

昨日も明日もない、新たに今日という清浄無垢の日を迎える
今日という一日に全力を傾ける。今日一日を有意義に過ごす
これは、私にとって最大最良の健康法になっているかもしれない」

以上は、土光敏夫さんの言葉である
「苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり」
この時始めて「苟日新、日日新、又日新」を知った

意味『きょうの行いはきのうよりも新しくよくなり、 
   明日の行いはきょうよりも新しくよくなるように修養に心がけねばならない。
   殷の湯王はこれを洗面の器に彫りつけて毎日の自誡の句とした』
 

「誰が正しい、正しくない」ではなく
「何がいい、悪い」でもなく
 何が出来る、出来ない」でもない

大切なのは、貴方の言葉であり振舞い

今の言葉・振舞いが周りの方々の心にどう映り
どのような感じを与え
どう反応させているかである

貴方の『何気ない会話』や
『やり取り』のなかに
紛れも無い貴方の姿があるのです

その姿が貴方の人間性となり評価の対象となる

その評価が、貴方への対応となり
貴方が生きるこれからの舞台となり
これからの、貴方の生きる枠となる

そうです! 目の前に起こり来る出来事は
貴方が好んで引き起こしている出来事
誰の責任でもない、貴方が望む出来事

自分の力ではどうしようもない自らが招いた出来事だから
人は、愚痴を言い、不平を言い、文句を言い、言い訳を言う
そんな人の多くは、自分を変えずに環境を変えようとする

今こそ、わが身を振り返ろう!

テストの成績が気になった時
受験戦争に巻き込まれた時
社会人になるための試験の時

勉強という言葉が身に染みた

社会人になってから
  試験から逃げる人達がいる
  勉強から遠ざかる人がいる

何のための勉強なのか?
それが分からなくなったから?
それとも単に嫌なだけなのか?

どちらにしても
「強いて勉める」事から逃げている
逃げれるうちはいいのだが・・・・・・・

そこで提案します「勉強する目的を」

勉強は
①自分の身を守るために必要なものを身につけるためです
 騙されないため、裏切られないため、利用されないため

②誰からも好かれる人間になるためです
 どうしても自分中心になりがちな自分に打ち克つために

鍛えの夏
わが人生を守るために強いて勉める日々としませんか?
 

誰も目標を持っている   
そして誰もが努力する
勿論何一つ疑いません

しかしどうだろう?
周りにイキイキしている人は何人いますか?
周りに日々満足している人は何人いますか?

誰もが若い時から今まで
目の前だけを見て頑張ってます
ずっと……真面目に……今まで

で、どうです……?
満足の積重ねができてそうですか?
心は豊かになってきてそうですか?

さて貴方
先を生きている人達を目指しますか?
それとも……

今も相変らず無我夢中に生きる人達
親の言う事、誰の言うことも聞かず
自分だけは違うと信じ口にしながら

そうして現代社会ができている
貴方の一年先、三年先、五年先

大丈夫ですか?

考えること
それは、立ち止まること
    動きを止めること

あれこれと、シュミレーションすること
いわゆる模擬実験をするということ
どこまでも観念の遊戯である

考えている間に物事は進んでいる
答えが出た時状況は変わっている
だから、また考えてしまう

どこまでいっても考える人はずっと考えている
考えるだけで満足してしまっている

熱湯が手にかかってしまったとき
誰もが思わず手を引く
もちろん熱さに耐えられないから

誰も考えて手を引くわけではない
熱いと感じた瞬間反射的に手を引く
そう感じたから・・・・・・

さて貴方、

考える余り「感じる能力」を退化させてませんか?
今日一日、「感じる」ことはありましたか?


執着とは
ある物事に強く心が引かれる事
一つのことに心をとらわれて、そこから離れない事

集中とは
一ヶ所に集めること
また、一ヶ所に集まること

人の振る舞いを
見た目では見分けることは難しい
一見どちらも同じに見えてしまう

しかし行き先には全く違うものが用意されている
執着の行為からは、ねずみの回し車が待っている
集中の行為からは、目的達成の感動が待っている

この両者を分かつものは
その姿勢を見切る勇気である
そして勇気とは「初心忘るべからず」

もうひとつは選択行為
用いるのか、用いないか
今必要なのか、そのうち必要か

さて貴方の日々は、執着する日々ですか?
それとも、集中する日々ですか?

答えは、自分の部屋を見れば見つかります

ある出来事を、
   ある人は10と言い
   ある人は12と言う
   ある人は8と言う

世間には、普通という言葉があり
   楽観という言葉があり
   悲観という言葉もある

その場合、往々にして
一番多く指示されているものが普通と言われる
ゆえに、ある出来事は10が普通と認識される

すると自動的に、
12は楽観的となり、8は悲観的となる
もちろん真実は度外視しての事である

そもそも
能天気と楽観は別物である
悲観的と慎重も別物である

しかしどうしても
見た目が同じに見えるから
多くの人が混同してしまう

だから僕はこうするのです
すべての出来事を8(慎重)と捉え
現実的に12(楽観)の立場で動くのです


話し合って、意見が一致する人もいれば
ずっと平行線をたどる人たちもいる
さて、この原因を突き止めてみよう

多くの話し合いは
状況、出来事をきっかけに始まる

意見が一致しない場合は
確実に二つの見方が独立する
永遠に交わらない見方である

その見方を分かつものは
対象となる現実解釈の仕方
その相違が、決定打となる

その一つは、自分中心の見方
現実を自分の感覚で解釈する人
良かった、仕方ない等の感情で判断する人

もう一つは、現実中心の見方
現実を特定の立場にとらわれないで解釈する人
感情を入れず、事実をありのままに判断する人

自分中心の人の意見は、特定の人物にしか通用しないが
現実中心の人の意見は、誰もが納得し、誰にも通用する
困ったことに、感覚中心の人程自分が正しいと行動する

さて貴方は、どっちの人でしょう?
決裂している事に気づいてない人ではないですよね?

論語に「言必信 行必果」がある
「言うことは、必ず偽りなく
行うことは、必ず果たす」の意

耳の痛い人もいるだろう
言うこと偽り、開き直り
行うこと果たさず、言い訳る

この国の大臣ですらそうである
未来の使者に合わせる顔がない
どこでも子供は大人を見て育つ

古典を左手に胸を張り
「言うは易し 行い難し」と教え
「言行一致」こそ成人への道と諭す

子どもにとって大切なもの
それは、文字としての証拠ではなく
見習える手本である

その通りやってみて
どうなるかの証である
まさに「論より証拠」

平成24年、責任ある大人として
「言必信 行必果」の日々を!
25年をステップの年とする為に

2012.1

今も生きる幼い頃の記憶
『少年よ大志を抱け』
誰もが口にできる

この言葉には続きがある
それを語る人に今も会えてない
必要とされてないから?

時に人は自分の都合を優先する
だからといって、都合の鵜呑みはいけない
誰人も人生は自分で切り開くものだから

これは個人、団体問わず
必要と信じる
だから私は今も自らに言い聞かせている

『少年よ大志を抱け
お金の為でなく
私欲の為でもない。
名声という虚しいものの為でもない。
人としてあるべき道をまっとうする為に
大志を抱け!』


そして私は、今日も『大志』に生きる!

2012.2

私達が暮らす世は、人間関係で成り立っている
それは仕事関係にあらわれ
   利害関係に集約される

そしてそれは
人の口から発せられた言葉で織り成す人間模様
その時々のその人の言葉そのものが人間模様

私達の使う言葉には大きな特徴がある
『言った人は忘れ、聞いた人は忘れない』
故に、「辻褄が合わない」と思うのは他人

判断するその時、人は今を優先する
それは『過去を捨て、未来を消し去る』こと
だからこそ判断する時は今の言葉を鵜呑みにしてはいけない

他の人がその人の言葉を再生している
『過去を生かし、未来をなぞる』作業をしている

その時炙り出されるもの、それは「過去と今の食い違い」
            そして「未来に繋がらない今」

この作業を怠ると今スッキリ、先でガッカリ
まさに、「行きはよいよい帰りは怖い」

そう!
言葉の積み重ねこそ自分の人生

2012.3・4

新年度が始まって1ヶ月
心機一転を誓って30日
さて、何人の人が「初心」を覚えている?

お正月で決意し
4月で再び決意し
そして5月の連休

連休にうつつを抜かす人
日常の出来事に流される人
弱い自分に負け安逸に浸る人

正月・新年度の雰囲気に乗せられての決意は
まだ見ぬ明日に「夢と欲望」を委ねる決意
ならば今、「破れ・ほころび・忘れている」

結果の出る「決意」とは
単に、とるべき行動や態度を決めるのではなく
過去を振り返る「反省」から始める意志

だから、結果を出す人の「反省」は
「省」を「かえりみる」と読まず
よくないものを、「はぶく」と読む

ゆえに、結果を出す人の「決意」は
はぶいた箇所を補う為の具体的行為となる
出来たか、出来なかったかが明確になる行為

さて、貴方の「決意」は大丈夫ですか?

2012.5

何もされなければ
じっとしているか
行きたいところに行く

しかし、右に引けば右に
    左に引けば左に
言った通りに動いてくれる

だから、田畑を耕すことができる
そんな光景を目にしなくなった現代

しかしそれは、機嫌の良い時に限る話である
機嫌が悪ければ、うんともすんとも反応してくれない
常日頃のコミュニケーションが能率のバロメーター

そんな今は、引くことなく
用意されたボタンを押すか
スイッチをひねるだけで用は足りる

正確に、忠実に、例外なく
いらぬ気使いは必要ないが
故障した時の修理手配は必要となる

そんな人間社会だから、こんな言葉が目に止まる
『進んでするのは、上の上
真似てするのは、中の中
言われてするのは、下の下
言われてもしないのは、人間失格』


2012.6
 

「当然」の当て字
「当前」を訓読みにして生まれた言葉
意味は、そうあるべきこと。そうすべきこと

誰が考えても
そうあるべきであるさま
そうすべきこと

そうであるはずなのに
誰が見てもそうなっていない現実
普通でないことが普通に起こっている現実

挨拶においても・・・
仕事する姿勢においても・・・
親孝行においても・・・

今や、普通のことって・・・
ありふれていることって・・・
ありきたりなことって・・・

そんな私達の社会においては
当たり前のことは何千年も前から変わっていない
だから当たり前が問題とされている

そんな理解されていない「当たり前」とは
知っていることでなく
私達が「やらなければならない基準」ということ

貴方の当たり前、大丈夫ですか?

2012.7

自分って、二人いること知っていますか?
それとも、一人しかいないと思っていますか?
いままで考えたことありますか?

結論から言います
自分は、二人いるのです
その一人は、今そんな事はないと言っている貴方

そして、もう一人の自分は
貴方が遠くの昔に忘れてきてしまった自分
ご両親から授かったこの世に一人しかいない自分

その自分とは
時あるごとに顔を出しては消えて行く
「こんなはずではない」と、「思う」自分

この、事ある毎に瞬間に顔を出してくる「思い」
と、その後に決まって顔を出してくる「思い」
この二つの「思い」に見覚えがありませんか?

きっとあるでしょう!

この「思い」こそ、まぎれもない自分の正体
一人が否定すれば、一人は反省する
一人が賛成すれば、一人は迷いだす

この二人がいることを先ずは認めよう
そして、時に冷静に一人ずつを認めてあげよう
「相手を知り、自分を知れば百戦危うからず」
だから・・・。

2012.8

お茶を飲み
 お水を飲み
  珈琲を飲む

もちろん
 氷も入る
  何でも入る

でも…そのつど洗わなければ
汚れがついて取れなくなる

部屋もしかり
なんでも入る
でも…捨てなければガラクタの山

突然の来客、大丈夫ですか?

心もしかり
何でも入る
でも…忘れなければ傷と残る

汚れた部屋は、人に見せられない
傷ついた心は、人に触れられない

さて
貴方の部屋は何を捨て、何が残されていますか?
貴方の心は何を忘れ、何を覚えさせていますか?

「過去は変えられない」が、
「未来は変えることができる」
と、言い聞かされてきましたよね!

そして、「後悔先に立たず」
後になって悔やんでも取り返しがつかない
だから事前に注意しなさい、とも言われてきましたよね!

だから、だんだん自信が無くなってきましたよね
そんな状態で、いくら未来を変えられる!と言われても
ブレーキを踏み続けられているようなもの

だから僕はこう考えてきました!
「過去は変えられる」もちろん、「未来も変えられる」って

だってそうでしょ!
いくら失敗したって、今成功すれば
失敗は恥じることではなく胸を張れる失敗となるんですもの

今の生き方如何によって
過去の出来事は変えることはできないけれど
その出来事の意味を変えることはできるのです

そのように僕は過去を変えてきました
当然にして、過去が変わるのですから
僕の未来もどんどん変わってきています

2012.11

今があるのは、昨日があったから
この今は、昨日から続いてるもの
そんな今は明日に続いて今となる

人は、昨日といい
    今日といい
    明日という

続いている瞬間のいつのことを指すのか
いくら「過去・現在・未来」といっても
ただ、それだけのことである

その証拠に
一年前の悩みを未だ悩む人は少ない
一年前の喜びを今も喜ぶ人は少ない

多くの人は、
昨日と今日と明日の三日で
人生を生きてるようなもの

その三日間の実の姿は「この瞬間の判断と行動」

そんな今を悔やむと
明日も悔やむことになる
昨日を悔やむことになる

だから僕は「今に全力で取り組む」
常に、自己ギネスを更新するために
今の自分の能力を出し切るのだ!


2012.10

誰も、親を選べない
    生まれる地域も選べない
    生まれる国家も選べない

すべて用意されたもの
奇跡でもなく、偶然でもなく
生まれるべくして生まれ来た

私達が知る知らないに関わらず
太陽は東から昇り、西に沈む
波は打ち寄せ、引いていく

その中で、生きる私たちに
       選べる出会いはない
       望める日々もない

だからこそ
無いものねだりをするのかも知れない
手に入らないと分かるからこそ望むのかも知れない

でもね、年老いたら全てを知ることができるようになる
     自らの人生を振り返ることができるようになる
     その時すでに遅しと思うか、よくやったと思うか

果たしてやり直しができない日々を
悔やんで生きるか、笑顔で生きるか
その時、選択ができないのが私たちの人生


ですよね!

2012.9

また新たな一年が始まった
誰もが確実に年を重ねいく
赤ちゃんからお年寄りまで

そんな新年に一休さんは、つぶやいた
「正月は、めいどの旅の一里塚
     めでたくもあり、めでたくもなし」

してその意味
「誰でも正月が来ると、一つずつ年をとる。
 正月が来るたびに、それだけ冥途へ近づく。
 だから正月が来たといって、めでたがってもいられない。」

確かにそうである、浮かれてばかりでいられない
しっかりと、見つめなければならない時でもある
よく口にする言葉「一年の計は元旦にあり」がある

それは「一日の計は朝にあり
    一年の計は元旦にあり
    十年の計は樹を植えるにあり
    百年の計は子を教えるにあり
」の一行である  

人間として生まれきた者の一生の大事は
     「子を教うることにつきる」ということか

さて貴方の今年は、何行目からスタートしますか?