2011年度

誰もがアイドル=偶像を追い求める
なにもアイドルはスポーツ選手やタレントばかりではない
過去の成功体験も、十分アイドルである

いつの時代も、どの国でも
個人であれ、群れであれ、企業であれ
成功体験は衰退の一大原因

それは、過ぎ去った、出来事
それは、耳にする噂、口コミ
それは、現実を見誤る“錯覚”

見えない「執着」も、「固く信じる」ことも
その思い込みが常識の目を狂わせる
それはアイドルと同じ

夢よ、もう一度!
成功体験にしがみつく
しかし、人生に同じ事は二度と起こらない

だからこそ、過去に流されず
成功体験を捨て
新たなことに挑戦!

そう、今に必要なものは「勇気」なのだ!
 

あれもこれも手にしようと力を分散
その穴埋めに使えるものは全て使う
努力したつもりでも、単なる手抜き

手抜きとは
誰かに寄りかかり
誰かにすがること

良い結果など出るわけがなく
窮地に立たされる羽目となる
勿論、知らぬは本人だけ

周りはみんな、つながっている
いくら、良い顔をしたとしても
因果応報と、人生に狂いはない

自分の感情のままに生きていて
欲望のままに生きていては
周りを味方にはできないぞ

自分の衝動に振り回され
欲望に押し切られていては
周りと足並みを揃えられないぞ

「日日に新たに、又日に新たなり」とは
日々、自制することであり
日々、克己することである

一回しかない、この人生
誰もが「生きた分しか生きられない」
 

「神は万人に公平に一日24時間を与え給うた。
われわれは、明日の時間を今使うことはできないし
昨日の時間を今とりもどすすべもない

ただ今日の時間を有効に使うことができるだけである
毎日の24時間をどう使っていくか
私は一日の決算は一日にやることを心がけている

うまくゆくこともあるが、しくじることもある
しくじれば、その日のうちに始末する
反省するということだ

今日が眼目だから、昨日の尾を引いたり、明日へ持ち越したりしない
昨日を悔やむこともしないし、明日を思いわずらうこともしない
このことを積極的に言い表したのが「日新」だ

昨日も明日もない、新たに今日という清浄無垢の日を迎える
今日という一日に全力を傾ける。今日一日を有意義に過ごす
これは、私にとって最大最良の健康法になっているかもしれない」

以上は、土光敏夫さんの言葉である
「苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり」
この時始めて「苟日新、日日新、又日新」を知った

意味『きょうの行いはきのうよりも新しくよくなり、 
   明日の行いはきょうよりも新しくよくなるように修養に心がけねばならない。
   殷の湯王はこれを洗面の器に彫りつけて毎日の自誡の句とした』
 

「誰が正しい、正しくない」ではなく
「何がいい、悪い」でもなく
 何が出来る、出来ない」でもない

大切なのは、貴方の言葉であり振舞い

今の言葉・振舞いが周りの方々の心にどう映り
どのような感じを与え
どう反応させているかである

貴方の『何気ない会話』や
『やり取り』のなかに
紛れも無い貴方の姿があるのです

その姿が貴方の人間性となり評価の対象となる

その評価が、貴方への対応となり
貴方が生きるこれからの舞台となり
これからの、貴方の生きる枠となる

そうです! 目の前に起こり来る出来事は
貴方が好んで引き起こしている出来事
誰の責任でもない、貴方が望む出来事

自分の力ではどうしようもない自らが招いた出来事だから
人は、愚痴を言い、不平を言い、文句を言い、言い訳を言う
そんな人の多くは、自分を変えずに環境を変えようとする

今こそ、わが身を振り返ろう!

テストの成績が気になった時
受験戦争に巻き込まれた時
社会人になるための試験の時

勉強という言葉が身に染みた

社会人になってから
  試験から逃げる人達がいる
  勉強から遠ざかる人がいる

何のための勉強なのか?
それが分からなくなったから?
それとも単に嫌なだけなのか?

どちらにしても
「強いて勉める」事から逃げている
逃げれるうちはいいのだが・・・・・・・

そこで提案します「勉強する目的を」

勉強は
①自分の身を守るために必要なものを身につけるためです
 騙されないため、裏切られないため、利用されないため

②誰からも好かれる人間になるためです
 どうしても自分中心になりがちな自分に打ち克つために

鍛えの夏
わが人生を守るために強いて勉める日々としませんか?
 

誰も目標を持っている   
そして誰もが努力する
勿論何一つ疑いません

しかしどうだろう?
周りにイキイキしている人は何人いますか?
周りに日々満足している人は何人いますか?

誰もが若い時から今まで
目の前だけを見て頑張ってます
ずっと……真面目に……今まで

で、どうです……?
満足の積重ねができてそうですか?
心は豊かになってきてそうですか?

さて貴方
先を生きている人達を目指しますか?
それとも……

今も相変らず無我夢中に生きる人達
親の言う事、誰の言うことも聞かず
自分だけは違うと信じ口にしながら

そうして現代社会ができている
貴方の一年先、三年先、五年先

大丈夫ですか?

考えること
それは、立ち止まること
    動きを止めること

あれこれと、シュミレーションすること
いわゆる模擬実験をするということ
どこまでも観念の遊戯である

考えている間に物事は進んでいる
答えが出た時状況は変わっている
だから、また考えてしまう

どこまでいっても考える人はずっと考えている
考えるだけで満足してしまっている

熱湯が手にかかってしまったとき
誰もが思わず手を引く
もちろん熱さに耐えられないから

誰も考えて手を引くわけではない
熱いと感じた瞬間反射的に手を引く
そう感じたから・・・・・・

さて貴方、

考える余り「感じる能力」を退化させてませんか?
今日一日、「感じる」ことはありましたか?


執着とは
ある物事に強く心が引かれる事
一つのことに心をとらわれて、そこから離れない事

集中とは
一ヶ所に集めること
また、一ヶ所に集まること

人の振る舞いを
見た目では見分けることは難しい
一見どちらも同じに見えてしまう

しかし行き先には全く違うものが用意されている
執着の行為からは、ねずみの回し車が待っている
集中の行為からは、目的達成の感動が待っている

この両者を分かつものは
その姿勢を見切る勇気である
そして勇気とは「初心忘るべからず」

もうひとつは選択行為
用いるのか、用いないか
今必要なのか、そのうち必要か

さて貴方の日々は、執着する日々ですか?
それとも、集中する日々ですか?

答えは、自分の部屋を見れば見つかります

ある出来事を、
   ある人は10と言い
   ある人は12と言う
   ある人は8と言う

世間には、普通という言葉があり
   楽観という言葉があり
   悲観という言葉もある

その場合、往々にして
一番多く指示されているものが普通と言われる
ゆえに、ある出来事は10が普通と認識される

すると自動的に、
12は楽観的となり、8は悲観的となる
もちろん真実は度外視しての事である

そもそも
能天気と楽観は別物である
悲観的と慎重も別物である

しかしどうしても
見た目が同じに見えるから
多くの人が混同してしまう

だから僕はこうするのです
すべての出来事を8(慎重)と捉え
現実的に12(楽観)の立場で動くのです


話し合って、意見が一致する人もいれば
ずっと平行線をたどる人たちもいる
さて、この原因を突き止めてみよう

多くの話し合いは
状況、出来事をきっかけに始まる

意見が一致しない場合は
確実に二つの見方が独立する
永遠に交わらない見方である

その見方を分かつものは
対象となる現実解釈の仕方
その相違が、決定打となる

その一つは、自分中心の見方
現実を自分の感覚で解釈する人
良かった、仕方ない等の感情で判断する人

もう一つは、現実中心の見方
現実を特定の立場にとらわれないで解釈する人
感情を入れず、事実をありのままに判断する人

自分中心の人の意見は、特定の人物にしか通用しないが
現実中心の人の意見は、誰もが納得し、誰にも通用する
困ったことに、感覚中心の人程自分が正しいと行動する

さて貴方は、どっちの人でしょう?
決裂している事に気づいてない人ではないですよね?

お茶を飲み
 お水を飲み
  珈琲を飲む

もちろん
 氷も入る
  何でも入る

でも…そのつど洗わなければ
汚れがついて取れなくなる

部屋もしかり
なんでも入る
でも…捨てなければガラクタの山

突然の来客、大丈夫ですか?

心もしかり
何でも入る
でも…忘れなければ傷と残る

汚れた部屋は、人に見せられない
傷ついた心は、人に触れられない

さて
貴方の部屋は何を捨て、何が残されていますか?
貴方の心は何を忘れ、何を覚えさせていますか?

また新たな一年が始まった
誰もが確実に年を重ねいく
赤ちゃんからお年寄りまで

そんな新年に一休さんは、つぶやいた
「正月は、めいどの旅の一里塚
     めでたくもあり、めでたくもなし」

してその意味
「誰でも正月が来ると、一つずつ年をとる。
 正月が来るたびに、それだけ冥途へ近づく。
 だから正月が来たといって、めでたがってもいられない。」

確かにそうである、浮かれてばかりでいられない
しっかりと、見つめなければならない時でもある
よく口にする言葉「一年の計は元旦にあり」がある

それは「一日の計は朝にあり
    一年の計は元旦にあり
    十年の計は樹を植えるにあり
    百年の計は子を教えるにあり
」の一行である  

人間として生まれきた者の一生の大事は
     「子を教うることにつきる」ということか

さて貴方の今年は、何行目からスタートしますか?