えきでんコラム 「想」 - 家族・住まい・街 -

 

不動産流通業への期待
国土交通省総合政策局 不動産業課長  海堀 安喜 氏



第三企画さんから新しい企画の話をうかがったときには、駅伝のように何人もの方々が次々と提言をしたいただく初回を依頼され、大変戸惑って、筆不精を言い訳に、執筆を延ばし延ばしにしておりました。そんな私の状況を察してか、えきでん企画座談会が催され、久米社長のRBA活動を創めた頃の熱いお話をうかがい、とりあえず、スタートさせることに意義があるのだと思い、寄稿させていただくことにしました。


私は、父親の転勤・退職、自身の結婚、転勤など、数えてみると、これまで、13回の引越しをしています。社宅などの借家住まいの引越しでも、荷造りなどに追われますが、新たに住宅を購入するとなると、さらに大変です。初めての経験は、父親の退職が契機です。一家4人が生活するためには、是が非でも、住む場所を確保しなければなりません。当時は、バブルの真っ只中。郊外に新たにできるマンションの広告を見つけては、申し込んだのですが、なかなか当選せず、新しい住宅が見つかるのか、ヒヤヒヤものでした。2回目は、父親が他界したとき、「狭くても、家族の近くに。」という母親の希望を踏まえ、住み替えをサポートしました。私のみならず、多くの人が、家庭の事情に応じて、それに合う住宅を探すところから、不動産取引は始まります。


個々の家庭の事情を踏まえ、それにあった住宅をアドバイスする。もちろん、計画的に、頭金を貯め、将来の生活設計を立てて、精力的に、不動産を研究されている方もいると思いますが、多くの方は素人で、とりあえず、生活できる広さと、通勤時間などを基準に、取得できる(返済可能な)価格しか、頭にありません。
普段、不動産取引に縁遠い消費者に対して、「引っ越してよかった。」と思える場所を斡旋できるかは、流通業者の営業マンに懸かっています。


毎日の買物や子供の学校、いざというときの病院、両親の介護など、これから巻き起こる様々な生活の変化を踏まえて、物件の選定を行い、資金(ローン返済)計画をサポートすることが、今、不動産流通業に求められているのです。高齢社会が進む中、「所有している住宅を、売却・賃貸しても、住み替えたい。」というニーズは、高まる一方だと思います。
不動産の有効活用、証券化、金融との連携が強まる中、不動産取引が、単なる「経済的な価値」の取引だけでなく、生活の生きがいや人生の価値をも左右するものだということが再認識される時代になっており、その業務に携わる方々に対する期待も、高まっています。ライフスタイルに応じて、『安心で信頼できる住宅』を提供する信頼できる産業へと発展することを、強く願っています。

 

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  • 引用 RBAタイムズ 2010.05 306号

安心・安全は当たり前
三井不動産販売株式会社 常務取締役  大井 健成 氏



先般の座談会の中で、第三企画の久米社長から、海外の不動産流通業にかかわる人に年配の方が多いというお話がありました。わたくしもその事は感じておりまして、実際米国で住宅流通に従事される方は圧倒的に年配の女性であります。お客様のお話に耳を傾け、アドバイスする、「住宅」といえども生活の為の手段に過ぎないわけですから、人生経験の豊かな人のほうがお客様とのリレーション作りには長けています。


商業施設事業を少しばかりかじった事のある私の身からしても、同じ流通業というくくりで見て同様のことが言えます。アメリカの五番街の北、セントラルパークのちょっと手前にバーグドルフ・グッドマンという超高級百貨店があります。このデパートのあるフロアーのフロアーマネージャー(当時はある日本人でした)がそのフロアーの販売員を募集したときの話です。さすが超高級デパート、たくさんの人が応募してきました。そして同じ五番街のサックスで長年経験を積んだ女性達を差し置いて選ばれたのは、メトロポリタンのキュレーター補佐の女性や、バークリー音楽院で勉強していた音楽家の卵だったり、小売経験ゼロの人たち。しかし彼女たちは最初の月から圧倒的な販売成績を残しました。
何故か?バーグドルフの顧客層、そのライフスタイルを考えたとき、お客様と会話ができリレーションが築ける人かどうかが問題だったのです。この逸話が示唆するのは、お客様との関係作りの重要性です。


どうしたらお客様の心を掴むことができるのか。我が不動産流通業界も成熟段階に入っていきます。もちろん安心・安全な取引は当たり前、プラスお客様の「根源的な欲求」にどれだけ迫る事ができるか、そしてその期待に応える事ができるか。お客様に近いところにいるという事が今ほど強みになる時代はありませんし、これからずっと同じ時代が続きます。新築と既存のマーケットヴォリュームが拮抗した昨年度を契機に、我々不動産流通業の新たなスタートとして努力していきたいものです。

 

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  • 引用 RBAタイムズ 2010.06 308号

住生活の全てを視野に
法政大学社会学部教授  長谷部 俊治 氏


不動産流通は生活スタイルの転機と重なって発生することが多い。「住む」ことは人生のスタイルを築いていくことであるが、そのスタイルの転機(就職、結婚、転職など)と住宅の購入・賃貸とが重なるのである。つまり、住宅取引の満足感は、モノとしての住宅の良否だけではなく、コトとしての住生活の充足感によって大きく左右される。そしてその充足感は、個々人の価値観や生活歴、人生への期待や人間性によりまちまちなのである。


ところが、住生活の視点から住宅を評価するようなしくみは極めて不十分である。ライフスタイルにあわせて住宅を選択しようとすれば、情報の少なさ、選択の幅の狭さ、居住性と無関係に決められる価格水準等々の困難に直面する。あるいは、一つ一つ違うはずの住宅が実は画一的に供給されている。郊外のひな壇に並ぶ戸建住宅、私鉄駅近辺の低層賃貸住宅、都心の超高層マンションなどと分類して大きな誤りがないように、供給される住宅はワンパターンである。選択の余地がないのだ。特に、ファミリー向けの賃貸住宅ストックは貧弱であり、手軽に住み替えていく選択を難しくしている。このような情況にあるのは、住宅が資産として捉えられ、居住の場として尊重されるような文化が育っていないからであろう。人生を築く上で「住む」ことがいかに重要かが理解されていないのである。教育も福祉も、居住の問題抜きには考えられないにもかかわらず、である。


しかし、十年以上にわたる経済停滞を経験して、人々は、土地を所有することが豊かな生活を保障するわけではないことや、生活スタイルは自らが選択し、築くほかないことを確信するに至った。いまやニーズは、住宅というモノではなく、住生活というコトを豊かなものにする方向へとシフトしつつあると思われる。住生活サービスへのニーズが高まっているのである。
「住む」ことは、雨露をしのぐことから、家庭を営み生活の拠点性を維持することまで、生活のあらゆる局面を包含する。住宅は、衣・食・睡眠、労働(特に家事)、育児・教育、余暇・安らぎ、医療・介護、社交など幅広い活動の場となっている。だから、住生活サービスを提供するには、生活を丸ごと捉えるセンスを必要とする。そのようなセンスを磨いて、住生活の必要に応えるためのサービス技術を向上させ、生活全体を視野に入れたビジネスを展開することは、これからの社会を真に豊かなものにするうえで欠かせない仕事である。不動産流通業に、是非、その役割を担って欲しい。
 

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  • 引用 RBAタイムズ 2010.09 310号

夢、感動の共有目指す
三菱地所リアルエステートサービス㈱
取締役副社長執行役員  勝間田 清之 氏



本年三月より、日本不動産野球連盟(RBA)顧問を仰せつかったご縁で、「えきでんコラム」に寄稿させて頂く事になりました。少々三菱グループの宣伝になるかもしれませんが、お許し願います。


福山雅治さんが坂本竜馬役を演じる、NHK大河ドラマ「竜馬伝」はご存知の方も多いと思います。坂本竜馬に関する話は沢山ありますが、岩崎弥太郎の視点から創られているのは珍しく、俳優の香川照之さんが豪傑な岩崎弥太郎役を演じているのも新鮮に感じます。岩崎弥太郎が三菱を興した実業家である事は、説明するまでもありませんが、弥太郎は、士族出身者が多い三菱の社員に対して、温和な顔つきでお客様に接する事を心がけさせるために店頭に掲げたという、「おかめの面」が現存します。
私たちは不動産という仕事を通じて、どうすればお客様お一人お一人に喜んでいただく事ができるか。幸せになっていただけるか。夢や感動を感じていただけるか。絶えずその答えを追い求めていますが、その根底にあるのは、私たち一人ひとりも仕事を通じて、夢や感動を共有できるような職場環境を育んでいく事だと思います。それは弥太郎の掲げた「おかめの面」に通じるかもしれません。


三菱地所グループのブランドスローガンに「街を、想う」とありますが、「街」に関わりを持ち、「街」を通じて社会に貢献するために、これからも「街」を舞台として、新たな価値創造や環境との共生に挑戦して行く姿勢や意思を集約しています。
丸の内という「街」には、様々な歴史が刻まれていて、幕末には、松平相模守などの大名屋敷がたちならんでいましたが、明治維新後は兵部省などが連なる政府所有地でした。それを三菱は政府より一括購入して、地震に耐える堅牢な事務所街を築き上げました。三菱一号館は、丸の内に建築された初めての西洋式事務所建築でした。幕末、土佐藩の海運業を任せられた岩崎弥太郎は、明治維新後に事業を引継ぎ、海運業以外にも造船、銀行、保険、不動産と様々な事業に着手、拡大させました。同時に岩崎家と三菱は、事業だけではなく、文化・芸術とも深い関わりを持ちます。
 

本年四月、丸の内という「街」に三菱一号館を復元した美術館がオープンしました。三菱一号館美術館では十一月三日まで、「三菱が夢見た美術館~岩崎家と三菱ゆかりのコレクション」が開催されています。 
丸の内という「街」は、煉瓦建築の並ぶ「街」から、高層ビルが建ち並ぶ「街」へと変革を遂げていますが、当初から既に将来の都市形成を思い描きながら創られてきたと思います。
 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 2010.10 311号

人材教育こそ発展の礎
東急リバブル㈱
取締役 専務執行役員 流通事業本部長  平元 詢二 氏



えきでんのたすきを三菱地所リアルエステートサービス勝間田様からいただきました。勝間田様はテレビの龍馬伝から岩崎弥太郎のお話をされたので、私は龍馬伝を人材育成というところから見たいと思います。


龍馬をはじめ幕末の志士たちは、自分の所属する藩の利害得失もさることながら、それを超えたところに日本のあるべき姿を求め、勉学をし、切磋琢磨し、行動もおこしました。藩を会社に置き換えれば、単に会社の業績を上げることに貢献するだけでなく、社員一人ひとりが自己実現のために成長し続け、それが社会全体の発展につながるから、そこに社員たるものの価値があるのではないでしょうか。幕末の志士の「こころざし」は、正に『「自己の成長とリバブルの発展」「社会貢献」を実現する』という当社の基本理念と軌を一にするものといえます。
手前味噌かもしれませんが、「リバブルの社員は違う」というお褒めの言葉を頂戴しています。これは、私どもが以前から取り組んできた「不動産のコンシェルジュ」育成という人材教育の効果が現れてきたものかもしれません。まだ道半ばというところですが、当社の理念に沿って、「お客様の満足と感動」を実現しようと努力しているところです。


「東急リバブルって、どんな会社」と問われたとき、売上高とか利益とかの数値だけでしか答えられないのはいかにも寂しい。ネットの普及で不動産仲介の仕事もずいぶん変わってきましたが、基本的にはフェース・ツー・フェースです。そして、不動産の仲介にとどまらず、衣食住のあらゆる分野でお客様のニーズに対応できるようにすべきでしょう。
フェース・ツー・フェースといっても、その相手がお客様だけというわけではありません。社内の上司、同僚、部下に対するコミュニケーションもこれが基本でしょう。最近、ややともすると面と向かって間違いを指摘しない上司、自分の思いをきちんと述べるより衝突をさけようとする部下を見受けます。何かにつけて目立つのを怖がる風潮があるように思います。根底に相手に対する関心と愛情があれば衝突してもこじれることはありません。そういう社員を作ることも大切な人材教育と考えています。


いずれにしても、幸せな世の中にするために日本を変革していこうと行動した坂本龍馬のように、強い気概をもって仕事に取り組む人材をどれだけ育てられるか、そこに会社や業界の明日があると思います。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 2010.11 312号

ある取引が原体験、RBA活動へ
日本不動産野球連盟主催
第三企画㈱ 代表取締役  久米 信廣



28歳まで塾を運営していました。自修指導塾といいます。知識の切り売りではなく、知識に至る背景に重きをおき、自ら考えを巡らせ知識に至らせるという指導法をとりました。23歳の頃からの挑戦です。この5年間にわたる教育活動によって、私は「子ども達」と「家族」と「住まい」は密接に関係しているとの確信を持ちました。子どもの人格形成の中核は、住まいにあるのです。家族の触れ合いの仕方と生活の在り方指導、それが即勉強というものになるというのが塾の方針で、それが塾の特徴でした。塾での指導の重点は、自然と、親子の関係性、家族の在り方の問題になっていきました。「21世紀母の会、父の会」を結成し、子どもの勉強と平行して活動しました。家庭訪問もそのための手段として活用しました。


私は、一方で、教育を生活の糧とすべきではないと強く考えていましたので、大学卒業をもって一旦活動を終えました。そして「住まい」に関係の深い不動産業(ひとりの塾生のお父さんが不動産会社を経営されていた関係上)のお手伝いをすることにしました。神奈川方面に二つの営業所を開設しましたが、今も忘れられないのが、当時の営業活動において起こったマンションの瑕疵事件でした。


4人家族の方にさる中古マンションを販売した時のことです。念願のマンションを購入して夢が叶ったとお喜びのご家族を見守り、引渡しを終えた後のことです。横殴りの雨で壁から雨漏りがあったとの一報がありました。「何とかしてほしい」と困り果て懇願するご家族に対して、その業者は「契約では見えない瑕疵についての責任はありません」との一言で処理を終えてしまったのです。この現実を目の当たりにした時、自分は何をしなければいけないのか、それまでもやもやしていたものが明確になりました。この出来事が第三企画誕生の引き金となったといえます。また、日本不動産野球連盟の目的である「不動産業界の繁栄と発展」もこの体験から生まれてきたのです。


私が目指している「平和」「幸せ」とは、「子ども達が笑顔で暮らせる世の中」です。舞台は、家庭であり、学校であり、会社がある社会です。そしてその舞台を支えているものが「住まい」であり「家族」なのです。何事もそうですが、脚本がドラマを形作るように、住まいが家庭を形作るのです。子ども達が笑顔で暮らせる住まいのために、業界の皆さんが社会生活を支える不動産業を営むのだという共通の意識をもつこと、そしてその意識を横糸にして連携していくことが必要だと感じたからです。日本不動産野球連盟が求めているものがここにあります。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 2010.12 313号