土光さんに教えてもらった 日新

「神は万人に公平に一日24時間を与え給うた。
われわれは、明日の時間を今使うことはできないし
昨日の時間を今とりもどすすべもない

ただ今日の時間を有効に使うことができるだけである
毎日の24時間をどう使っていくか
私は一日の決算は一日にやることを心がけている

うまくゆくこともあるが、しくじることもある
しくじれば、その日のうちに始末する
反省するということだ

今日が眼目だから、昨日の尾を引いたり、明日へ持ち越したりしない
昨日を悔やむこともしないし、明日を思いわずらうこともしない
このことを積極的に言い表したのが「日新」だ

昨日も明日もない、新たに今日という清浄無垢の日を迎える
今日という一日に全力を傾ける。今日一日を有意義に過ごす
これは、私にとって最大最良の健康法になっているかもしれない」

以上は、土光敏夫さんの言葉である
「苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり」
この時始めて「苟日新、日日新、又日新」を知った

意味『きょうの行いはきのうよりも新しくよくなり、 
   明日の行いはきょうよりも新しくよくなるように修養に心がけねばならない。
   殷の湯王はこれを洗面の器に彫りつけて毎日の自誡の句とした』