久米 信廣の 「眞」

 

真の立ち位置がお客さまの利に
目立ち方にも作法・節度がある



平成23年の年頭に「真」を掲げた。恥ずかしながら、自分事ではあるが、皆さま方のお陰をもって、この正月で60歳を迎えることができた。同時に、第三企画株式会社は満31年を迎え、これまで幾多の山や谷を経験しながら32年目に踏み込む。この二つの巡り合わせから、原点回帰の年と定め年初を迎えたのである。


なぜ「真」なのか。その理由は、社員一人一人の努力を確実にお客さまにお届けするため、そして第三企画の本来の役目を果たすためである。300年後に向けて、偽りのない純粋な混じりけのない第三企画として、正確に本来の状態で在り続けるために、この一年を費やそうとの決意の現れがこの「真」である。


真といえば「真・善・美」と続く最初の言葉である。
真とは、真っ正直に真剣に取組む行動。
善とは、尽己、常にお客様のために自ら積極的な行動。
美とは、敬う心、感謝の心、愛情の心に基づく行動、である。 
そして真理といえば、誰も否定できない理(ことわり)・法則である。
例えば、「太陽が東から昇る」という事実は理・法則である。


事実であるから、ここに善・悪は存在しない。事実は事実である。この意味において、世の中、目立てば表現していると錯覚してしまいがちな現代社会だからこそ、目立ち方にも作法があり、節度があると考える。広告には、「その人らしさ」がでてくるからこそ、「その人らしさ」が信頼の裏づけとなれるよう提案すること、それが第三企画の「真」である。これは、「働くその人らしさの信頼の上に、仕事が行われ、続いていくという人間関係の総称、それが仕事である」という考え方から発している。この、人としての振る舞いこそが「善=仁・義」であり、「美=敬・恥」(孟子が人間と動物の違いとしてあげたのが、仁・義・敬・恥である)であるという立ち位置にいる。「真」にその立ち位置にいることこそが、ご利用くださるお客様にとっての「利」に繋がるのだ。ここでいう「利」とは、個人、会社を問わず地位や報酬等の物質的なものだけではなく、もっと幅の広い「力」なのである。


これからの一年間、私と会社のすべての存在を賭けて、お客さまのために善の振る舞いに徹し、お客さまの心が和らぐ振る舞いに徹し、お客さまに元気になって頂くための振る舞いに徹する、それが「真」を掲げた第三企画の決意である。この三つの決意をもって社員がお客さまの明かりとなれるよう、60年目に頂いた一日一日を生き抜くのが私自身の決意である。

 

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  • 引用 RBAタイムズ 2011.01 314号

いまの文化・文明を見直すとき
現時点で必要な支援方針5ヵ条


一分間の黙祷の後、朝礼で社員にこう話しました。


『東日本巨大地震に見舞われて、自然というものの大きさ、また人間の文化・文明の無力さ、自然環境と人間社会というものを見直さなければいけない段階に来ていることを痛感します。生きている者として、犠牲者へ冥福を祈ることは勿論のこと、また被害に遭っている方に救援の手を差し伸べることは勿論のこと、それだけに止まらず、我々は今人間としての文化・文明を根本的に見直していかなければいけません。もう一度みんなが心の中にしっかりとそれを構築する、その責任があるのです。今までの歴史を見ますと、天変地異というものは少なくとも人心に反映しているといっていいでしょう。人間も自然界の一員であることが歴史の中に如実に物語られています。まさに今回の巨大地震も、現在における国会の乱れ、そしてまた国内においても海外においても人間社会における様々な乱れがあるなかで起きた出来事といえましょう。100年後・200年後の心ある人が歴史を紐解いた時、これまでと同じように私たちの生き様と天変地異の整合性を見出すでしょう。そう見抜かれてしまうのではないかと感じます。
この事故が、この事態が、この災害が我々の人生にとって、原点に帰らなければいけない大事なきっかけだと重く捉えましょう。だからといって下ばかりを向いていてはいられません。皆さん方のご家族・ご友人が東北地方にいらっしゃるのであれば早急に連絡をとり、無事であれば素直に喜ぶ、それと同時に、震災と闘う皆さん方への想いを発信し、あわせて日本の復興のために、生活を通じて社会に貢献する日々にしていきましょう。』


石原都知事が「天罰」と発言しました。この天罰は、一人の人間の次元ではなく、もちろん被災された方々に向けられた言葉でもないでしょう。日本人ひいては人類という次元の言葉でしょう。そもそも天罰とは、悪事に対する自然の報いという意味です。自然界に起こる異変、この東日本巨大地震がまさにそれに当たります。何事も部分最適が全体最適になるわけではありません。だからこそ、社会は人類規模の正義感と勇気を持つ人間を必要としているのです。批判を甘んじて受ける覚悟です。今回、私たちは次の支援方針のもとに、現時点での支援活動をおこないます。


①被災地に行かない!②むやみに救援物資を送らない!③電話・アクセスを控えよ!④不確かな情報は流さない!⑤むやみな買占めをしない、連鎖反応を起こさない!
私たちの目は前に付いています。前向きの目を十二分に活かして、命を得た私たちだからこそ、5つの支援を徹底して進めます。

 

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  • 引用 RBAタイムズ 2011.02 315号

手を抜かず本気で 小事を大事に
仕事を通じ人間的な成長を目指す


RBA日本不動産野球連盟(注)の試合では、両チームが整列して試合開始の挨拶をするとき、グランド責任者が口上文を声高らかに読み上げます。今年の第23回大会は6月に開幕していますが、その口上文はこうです。


「私達が日々取り組む仕事の目的は、仕事を通しての人間的な成長にあります。やり切ることでの充実感や達成感を楽しむことにあります。本気で仕事をすれば、人間的に成長し磨かれます。だから第三企画は、どんなに苦しい事からも、どんなに辛い事からも逃げないのであります。挑戦し続けることが、人間的成長だと信じるからであります。」


私は、本気で仕事をすれば、成長し人間的に磨かれていくと信じています。そのために日々仕事をしています。また、「塵が積もれば山となる」を信じています。小さな大事なことをコツコツとやるべきなのです。小事を大事へと変換するために、手を抜かず、真剣にやるべきなのです。小さな事こそ気にして、本気で体当たりしていくべきなのです。この本気での体当たりが小さな結果を生みだし、やがて大きな成果をもたらしてくれます。そしてこの小さな結果や、大きな成果は、周りの評価となってわが身に返ってきます。その周りの評価が自分の耳に届いたとき、「やりがい」を感じることができるのです。つまり「やりがい」とは、自ら行動して創り上げていくものであって、間違っても、会社や上司から与えられたりするものではありません。


仕事を受け身でやれば、仕事に追われることが当たり前になります。受け身の人の口からは愚痴・不平・不満・文句・言い訳が溢れ出てきます。その多くは他人に責任を転嫁させる言葉となり、ついには、自分に向かって自分をおとしめ不幸にするような言葉になります。自分が幸せになるために始めた仕事で自ら不幸になっては、本末転倒もはなはだしいことです。


この流れを変えるためには、目の前にある仕事を追えるようにし、些細なことまできっちりと打ち合わせ、前向きに、積極的に取り組むことです。そして、やるべき仕事は全部やりきるだけでなく、それ以後の仕事、その周辺の仕事へと手を伸ばしていく、仕事を通して、周りの人たちへのコミュニケーションを深めていく、このような小さな事をやり続けるしかないのです。その継続が、成果に繋がるのです。


(注)RBA日本不動産野球連盟の幹事会社は三井不動産、三菱地所、東急不動産、ケンコーポレーション。大会は中華人民共和国大使杯・モンゴル国大使杯・タイ王国大使杯・セルビア共和国大使杯の各杯をかけて争われます。

 

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  • 引用 RBAタイムズ 2011.06 316号

「人の前に明かりを灯す」こと
情けは人のためならずの実践


前回はRBAの仕事観について書きました。RBA日本不動産連盟野球大会やRBAインターナショナルの活動は、手を抜かず本気で、小事を大事に行うことです。それが人間的な成長に繋がると考えます。


そのRBA活動を支えているのが第三企画です。第三企画の仕事観は何かというと、それは第三企画のホームページのトップに掲げている理念に集約されています。それは、「人の前に明かりを灯す。私達は、仲間の前に、お客様の前に、家族の前に、友達の前に、恋人の前に、協力会社さんの前に、毎日接する多くの皆様の前に、そして私達の後に続く子ども達の前に、私達の『生き様』という明かりを灯し続けます。」というものです。


私たちは、十人十色です。一人として同じ人間はいません。何故そうなのか?何故、同じであってはならないのか?と考えた挙句の答えが、「人の前に明かりを灯す」だったのです。人間は一人で生きていけません。群れることによって生き長らえてきました。そこから社会ができ、世間といわれているものができているのです。そして社会とか世間といわれるものは、実は私の、私たちの「そばにいる人」を指していることだと思い到りました。およそ道徳とかエチケットといわれるものは、人の嫌がることをしない、人に迷惑をかけない、嘘をつかない等々、隣の人、あるいは人たちと仲良く暮らしていく方法を教えてくれるものに他なりません。ですから世界の平和といっても、皆さんの幸せといっても、その漠然とした言葉の裏にある実態は、自分の隣にいる人、あるいは周りの人たちに親切にすることであり、役に立つことであり、喜ばれることだと気づいたのです。


そういった意味で「人の前に明かりを灯す」の「人」とは、今現在自分の隣にいる人、あるいは周りの人たちを指しています。そして「明かり」とは、親切にすることであり、役に立つことであり、手を添えることなのです。つまり、私が目指す第三企画パーソンとは、隣の人に、周りの人たちに「明かりを灯す」人なのです。困っている人のために「苦しみを共にし、力になってあげ、役に立つ振る舞い」をする人のことなのです。それができるようになるために技術、技能、知識、知恵を身に着けたいという強烈な想いをもって、日々、自分との闘いに明け暮れる人のことなのです。


「情けは人のためならず」です。「人のために役立つことが自分の幸せである」と信じ実行できる人が、まさに第三企画の理念を体現する社員といえるでしょう。このような社員が、あるいはこのような社員になろうと努力している社員がRBA野球大会のグランドに立っています。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 2011.08 317号

仕事は人格陶冶、己を磨く道具
ただ「立つ」のでもRBAらしく


RBAのスタッフは黄色いシャツを着てグランドに立ちます。炎天下でも、砂埃が舞い上がる強風のなかでも立ってもらっています。私自身そのように立ち、スタッフの皆にも立ってもらってきました。それは、ただ立っているRBAのような仕事でも、それでも仕事の第一人者になれる、そう確信して心を決めてきたからです。 確かに、立つことは誰にでもできます。でも、RBAらしく、美しく、青春を思い出してもらえる立ち方はそう簡単にできるものではありません。好感をもたれる立ち方をしよう、そのように立つことがRBAにおける私の仕事だ、だったら、プロフェッショナルの立ち方をするのが自分の仕事だ、そう強く決心しました。


そこで、先ずはヒルトンホテルの人達をまねることから始めました。ホテルマンとしての彼らではなく、青年らしく、青春らしく、最高の立ち方をしている見本として、いかに彼らに近づけるかを考え、工夫を重ねてきました。ヒルトンの宣伝をするわけではありませんが、彼らは素晴らしい立ち姿をしています。彼らは最高のサービスを提供する準備ができているのです。私はそういう彼らを立つ模範と考えました。だから、RBA野球大会の抽選会の会場はいつもヒルトンです。(中国大使館で抽選会をした例外はありますが)


立つという一見単純なことを一流の仕事にするのは、RBAの活動にとどまらず、どのような仕事でも共通して大切なことなのです。立つこと、コピー一枚とること、このような仕事であっても、その人の仕事への姿勢が現れますし、心が投射されて炙り出されることになるのです。腰掛け的な気持ちでいたのでは社会人として成長はあり得ません。どのような仕事でもあっても、組織においてはなくてはならない大事な仕事なのです。その仕事をやり切ることで成長できるのです。ただ給料を貰うためだけに仕事をするのではなく、自分を輝かせるため、人間修業のための仕事であるべきなのです。どんな仕事であっても完璧に成し遂げるための努力、創意工夫が必要なのです。第三企画で私はそのように社員に訴え、指揮を執ってきました。23年に及ぶRBAの「立つ」という活動をやり続けてきたなかで、私自身、気づくことができました。

何事においても、何かによりかかったり、すがったりするのではなく、自分の足できちんと立とうとすることが人生の基本なのです。ですから、これからも、仕事は人格を陶冶するものであると捉え、仕事は自分を磨く道具だと捉え、どんな単調でつまらない仕事であってもそこに豊かな意味を見いだし、真剣に、誠実に、全力であたっていきます。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 2011.11 318号

自他ともの幸せがあってこそ
自分事として救援、復興に全力


私たちの日常は、どうしても自分自身で押さえようのない感情の起伏、喜怒哀楽の連続に翻弄され、押し流されている日々です。それが人生といってもいいかもしれません。そのような喜怒哀楽の連続である日常での自身の心の状態は、私たちが意識する、しないに関わらず、自分自身の内面だけの問題に留まることなく、自分自身という人間性から発信する言動、振る舞い(=エネルギー)が影響を及ぼし、外面である生活空間に広がり、人間模様を形作っていきます。昨年、日本には極めて強い「哀」の空間が広がりました。2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による津波と余震、これにより、大規模地震災害が引き起こされました。後に東日本大震災と名付けられたこの災害で、多くの尊き命がなくなられました。謹んで亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
   

この大きな災害に立ち向かう言動、振る舞いも極めて強いものがありました。RBAそしてRBAを後押しする第三企画は、復興を願う他の方々と同じように、復興に全力する地元の皆さま方の健闘を後押しします。私たちの人間社会では、「私一人」という存在はありえません。一人だけの幸せはありえないのです。一人の幸せは自他ともの幸せがあってこそもたらされるものなのです。だからこそRBAは、自他共の幸せを願い活動するのです。東日本大震災直後に、第三企画はお客様に呼びかけて「がんばる日本」キャンペーンを行いました。そしてキャンペーンの趣旨にご賛同いただき発注していただいた売上金の一部をもって激励品とし、RBAを通じて被災地にお届けしました。ご賛同いただいたお客様には個々にご報告しましたが、RBAは、国民のために夜も寝ず自分事として救援、復興に全力を傾注する自衛隊の皆さま方に感謝の意を表し、この激励品を仙台の自衛隊東北方面総監部に直接お渡ししました。
私たちも自衛隊の精神を見習い、日本国のために全力することを約します。もちろんそのRBA活動にゴールはありません。私達の活動は、山に登る行為を活動といっているのではなく、山脈を歩き続けること、その行為そのものを活動といっています。雷にたいして「くわばら、くわばら」というのと同様に、地震に直面したときある地方では「世直し、世直し」というようです。「地震」はいったん構築された秩序を破壊し、新たな世に生まれ変わる再生のための儀式と捉える見方があるからでしょう。震災を乗り越え、私たちは今年も共感と感動の触れ合いの旅を力強く歩みゆくことを誓います。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 2012.02 319号