久米 信廣の 「徹」

 

現実業務で生き方を表す「徹」
企業理念は「こだわり」と「徹底」から
 
 
 今回よりコラムのタイトルを「徹」としました。前回までのタイトル「真」は誠(まこと)の意味を持ちます。「ごまかしのないこと」「嘘のないこと」の宣言でした。その「真」から「徹」への変更は、「誠」を貫き通す「徹」を通じて現実業務を一層向上させるための号砲と受け取ってください。そして「徹」は、「こだわり」と「徹底」を誓う宣言でもあります。
 
 
 私達は、日本人であることに「こだわり」「徹底」します。
 
 
 私達が生まれ来たこの日本という国は、沢山の世界一を持っている国なのです。先ずは、1万1千年前という世界最古の土(縄文土器)があります。それも煮炊き用の土器。かつて世界の四大文明といわれた文明の中でも、土器は捧げ物、食べ物の盛り付け用であったのに比べ、とてつもなく進んだ使い方をしていたのです。
 企業においては、世界最古の老舗企業、金剛組があります。ヨーロッパで一番古い企業がフィレンツェにあるトルリーニ社という金銀細工の企業、1369年創業なのですが、日本にはこの時点で現存する企業が14社あります、最も古い金剛組はそれよりも800年古い589年創立なのです。
 建築においては、法隆寺という世界最古の木造建築物があります。奈良の大仏は、世界最大のブロンズ像。正倉院においては、現存する世界最古の博物館であります。
 
 
 私たちは、私たちが産まれたこの国が「世界最古の国」であるという事実にこだわります。日本のように長い間同じ政体を維持している国が他にないからです。
 だから私達は、その歴史の事実に誇りと責任を持ち、それに「こだわり」「徹底」します。RBAインターナショナルは、他国との国際交流を長年にわたって続けてきていますが、その精神的な土台は、「世界最古の国」出身だからこそ「世界の平和のリーダーは日本が担います!」という信念にあります。これを貫き、各国に協力いただき、RBA活動を実践してきています。
 
 
 一方、第三企画の業務では、自ら発言した事に対して「こだわり」、言った事については、責任をもって「徹底」します。この姿勢をどこまでも貫いていきます。侍が口にした「武士に二言はない」のように「名こそ惜しみ」ます。
 第三企画は、「日本に産まれきたという誇り」と「侍の志」を持つ人達の集合体です。それで企業風土・文化を形作っています。そこから「人の前に明かりを灯す」という理念が生まれました。そして理念を体現するために「明かり」となって存在できる会社であるように、また「灯す」ことに値する会社であるように問い続け改善する日々が第三企画という企業なのです。
 
 

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  • 引用 RBAタイムズ 2012.04 320号
裏舞台の人を忘れない
素直に聞き素直に行動し続ける
 
 
 今年の第三企画は入社式を浦賀の愛宕山公園で行いました。この公園は、ペリーの浦賀来航の際に交渉に当たった浦賀奉行組与力・中島三郎助の招魂碑を建立した時に、公園として整備されました。実はもう一つ、咸臨丸が出航したときの記念碑がその後建てられました。私はこの碑を新入社員はじめ社員に見せたかったのです。
 1860年、ここ浦賀からアメリカ・サンフランシスコへ向かって咸臨丸が出港しました。この偉業、表に出た軍艦奉行の木村摂津守や勝海舟や福沢諭吉には注目が集まりますが、この記念石碑の裏側にある、苗字を持たぬ多くの人たちを知る人は少ないと思えたからです。だからこそ咸臨丸を支えた人たちに対面してもらいたかったのです。
 
 
 勝海舟を始めとした90人余の日本の若者たち39日間の大航海を成功させることができたのは、苗字のない人たちが裏舞台で必死に頑張ってくれたからなのです。
 「苗字も持たぬ庶民の力なくして、この偉業は達成されなかった。」この事実を肝に銘じ300年後に生まれくる子ども達に伝えることこそが第三企画の役目なのだと誓い合ったのです。
 さらに、「素直」とういことについて話しました。素直であるということは、人の話を聞くということ。逆に聞かないということは、素直ではないということです。そして、人の話を聞くだけでなく、聞いてみて良いと思ったことはやるということが大切です。それをしない人はたとえ話しが聞けても、素直ではありません。聞いて良いと思ったことをやってみて、これは良いなと思ったら、それをやり続ける。この三つがそろって初めて、素直と言えるのです。
 素直な人とそうでない人では差がつきます。まず、素直に話を聞く人は、話しをしてくれる人の知恵を生かすことができるということです。そして、話を聞かない人はだんだんと話をしてもらえなくなるということです。話を聞かない人に、誰も敢えて話はしません。ということは、話を聞かない人はどんどん孤立していってしまいます。だから、素直でない人は成功しないのです。人の世は皆が支えあって成り立っているわけですから、成功するかしないかの分岐点は、孤立をするかしないか、つまり、人の話を聞くかどうかということにあるのです。
 
 そんな私は今まで「素直」を実践してきました。第三企画が33年目を迎えられるのも、日本不動産野球連盟が24年目を迎えられるのも全ては「素直」の賜物と信じています。だからこれからも私は素直に徹します。
 
 

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  • 引用 RBAタイムズ 2012.05 321号
平凡で些細なことをやり抜く
やり抜く「その人」こそが「明かり」
 
 
 第三企画という会社は変わっている、とよく言われます。それは私たちが、どんな会社でもできることを、どんな会社にもできないレベルでやり抜こうとしているからではないでしょうか。
 私たちは、創業から今まで、頑なに守ろうとしてきたものがあります。それが「四徹」です。それを核にして会社経営をしてきたので、皆さんには「変わった会社」と受け取られるのかもしれません。
 
 
 第一の徹は、「恩を知り、恩に報いることに徹する」ことです。人間は一人では生きられません。私たちが生きるということは、誰かのお世話になっているという証なのです。私たち人間は弱い生き物であるからこそ、群れて社会を形成しています。この社会に私たちが今在ることを認識し、そして生きるために受けた恩を感じることが、生きた分だけ成長することに繋がります。世間的な言葉でいえば、利他の振る舞いができる人間になるということです。
 
 
 二つ目の徹は、「努力することに徹する」ことです。第三企画では仕事を、成長へ向けての「努力の機会」と捉えます。だから、努力することを惜しまないのです。力の限り努力に徹するのです。全力主義といってもいいでしょう。
 
 
 第三の徹は、「素直な心を維持することに徹する」ことです。今年の入社式でも、このことに触れました。素直な心を維持する、それに徹するということは、徹底して模倣し、そして創造に行き着くまで徹底的にやり切ることをいいます。頭では良いと思いながら、行動に移らず無為に時間を過ごすことは、許し難いことです。素直な心を持っていれば、人の言うことを聞き、良いと思ったことについてすぐに行動に移します。その姿勢が「模倣から創造」への過程であって、第三の「徹」の基本姿勢です。もちろん、予想していた結果が出れば、直ぐに続きをやります。この繰り返しを徹底してやるのです。
 
 
 四つ目の徹は、「礼儀正しく挨拶に徹する」ことです。なにより自分から、姿勢を正し、面から、笑顔で、明るく、元気に、心から楽しくなるような挨拶をすることに徹します。その行為を第三者から見ると、その人らしい振る舞いと映るので、名は体を表す(名を正す)こととなるのです。これが第四の「徹」の目的なのです。
 
 
 私たちは、この四つの「徹」を核にして、誰にでもできる平凡で些細なことを、誰もができないくらい徹底してやり抜きます。この個々人の生き様こそが、理念で謳う人の前に灯す「明かり」となるのです。それを追求し実現する場は、一つの会社組織という枠を越えた、公私を併せ持つ世界です。そこでこの場のことを「第三ワールド」と表現しています。
 
 

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  • 引用 RBAタイムズ 2012.09 322号

行動の基礎「模倣から創造へ」
エネルギー源は開き直り的な悟り
 
 
 人から「型破りですね」とか「変わってますね」あるいは「エネルギッシュですね」などと、よく言われます。そう見られるのは、どうやら、私の考え方、私の一挙手一投足の源となっている行動原理によるものと思われます。今回は、第三企画の経営のみならず、私の生き方そのものを方向付けている考え方、行動原理についてお話します。私の信念となっているものの考え方の、その根幹に「模倣より創造へ」という考え方があります。なぜそれが私の行動の基礎となったのかといいますと、孔子の次のような文章に出会ったからです。
 
 
 論語(述而篇)に「子曰。述而不作。信而好古。竊比於我老彭。」=子曰く、述べて作らず。信じて古を好む。竊(ひそか)に我が老彭に比(なぞら)う。という文章、これに出会い衝撃を受けたのです。
 口語訳はこうです。「孔子がいうには、自分は在ったことを述べているのであって、新たに創り出しているのではない。古を信じ、古を好んでいるからだ。心中ひそかに、殷の賢人の彭という人に倣いたいものだと思っている。」
 孔子は、同じく述而篇で「好古敏以求之者也。」=古を好み、敏にして以て之を求めたる者なり、とも言っています。私は、この文章に触発されて古典を好きになろう、古典に生きかたを求めて行こう、そして怠けず学んでいこうと秘かに決意したのです。
 
 
 私の古との出会い、古への共鳴は模倣へと発展しました。そして新しい価値を見いだすきっかけとなってくれました。まさに論語(為政篇)にある「温故而知新、可以為師矣。」=故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以て師となるべし、です。私は、そこから「自分が以前に習ったことや昔のことをしっかりと習熟して、新しいことを知ることができるならば、師(先生)となることができる」と確信したのです。
16歳から目指してきた人生のゴールをこの行動原理の先に見据えることができたのです。
 もちろん不安もありました。でも、この安も論語(述而篇)の一節が解消してくれました。孔子は「徳が積もらないこと、習が進まないこと、道義を学んでも実践できないこと、不善をば改めることができないこと、これらが私の悩みである」と言うのです。孔子でさえ普通の一人の人間だったのだと思いました。そしてそれまでの不安は吹き飛びました。私は孔子と同じ人間なのだ、と。人間という生き物の在り方は、4000年前から変わらないということです。
 であるとしたら、自分は日本人として日本人らしく堂々と生きればいい、模倣から創造へと全力すればいいと開き直り、悟る(気付く)ことができたのです。
 
 

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  • 引用 RBAタイムズ 2012.12 323号

人間脳は人と繋がるために使う
目標達成し周りに影響を与える
 
 
 「働く」は「傍(はた)楽」であって、傍を楽にすることだと世間ではよく言われています。私は言葉の遊びでそういうのではなく、まさに言葉通りだと考えています。すなわち、働くことは人の前に明かりを灯すことなのです。それは取りも直さず第三企画の経営理念そのものなのです。
 私たちは人間としてこの世に生を受けました。この世の中は、弱肉強食の世界です。その中で生き物はバランスしています。もし人間が他の動物と同じ土俵に立っているとしたら、ここまで永らえることはできなかったでしょう。人間は強い牙も爪もなく、また、早い足も並外れた跳躍力もありません。身体能力においては明らかに劣っているのですから。
 
 
ところが、その非力さをカバーして有り余るものを私たちは持っています。それが人間脳です。私たちには動物脳の上に考える脳が与えられました。いわゆる大脳新皮質です。私たちは、この人間脳を使って今まで生き延びてきました。この人間脳の使い方こそが私たちの存続を守ってくれたのです。
 人は、一人で生きていけないから群れて生きています。群れるということは、社会に自ら繋がっていくということです。一人では生きられない私たちだからこそ、自分に与えられた能力で他人の役に立つ生き方をすること、つまり他人に役立つ行為をすることが結果的に、自分が生き延びることに繋がります。人間脳は自分以外の人のために役に立つように使われる道を選んだのです。
 私たちは、生まれたというそれだけで、知ると知らずと人の役に立つようになっています。自分のことに全力することで、私たちの日々は自分以外の人の役に立っているのです。自然と役に立つようにできています。意識する、しないに関わらず、繋がっているからこそ、周りの人に影響を与えます。
 
 
 そこで、私は、同じ働くのであれば、全ての仕事に目標を立て働くようにしました。また、仲間にも目標を立て達成するように促しています。掲げた目標は何が何でも達成するのです。目標が達成されれば、更に影響を与えることができます。私は、目標を持って一ヵ月を生き、掲げた目標は何が何でも達成します。それが私の生き方なのです。
 どう生きたとしても、自分以外の人の役に立つのであれば、最大限人の役に立てるように生きよう!同じに生きるのなら、目標の達成に向かって全力しよう!そう決めたから「人の前に明かりを灯す」ことに社運を賭けるのです。命を選ぶことはできませんが、いかに生きるかを選ぶことはできます。だから「はたをらくにする」ことに社運をかけるのです。
 
 

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  • 引用 RBAタイムズ 2013.01 324号
目標があれば 何でもよいのか
目標にこだわり続け、徹する
 
 
 人が生きるとはどういうことなのか?この問いに、人類は古来から思索を重ね、「目標に向かうこと」と気付きます。その目標とはどんな目標でもいいのでしょうか。どんな目標でもいいから、持てばいいのでしょうか?
 目標があるなら、その目標の中身は問わない、何でもいい、なんていうことがある訳はありません。人の世である以上、一人では生きられないのがこの世の中です。なにより、一人では生きていけない地球環境に私たちは置かれているのです。私たちは常に誰かと共同して命を永らえてきたのです。ですから、そういう環境にある私たちの目標がなんでもいいはずはありません。
 
 
 そもそも、人類の歴史を振り返れば、「生き延びる」ということこそ目標であり、そのために共同する行為こそが大切だったのです。共に生き延びるという目標が、今の人類社会を作り上げた連結ピンであり、ここに人類が持った目標の本質が隠されているのです。
 生き延びるために体系的に作られたもの、経験により積み重ね、作り上げられたもの、それが哲学とか思想だったといえるでしょう。生き延びるという命の欲求から発しているのです。人類の目標を現しているのです。
 ところが、この目標がどうでもいい、と言っている人がいるとしたらどうでしょう。その人は、過ぎゆく時間が自分のかけがえの無い、取り戻すことができない命だと知らない人です。行った行為が、他人の心の中に染み込んで消えないということを知らない人です。そういう人は、人生を歩く本人だけが人生を知らないことになります。
 
 
 目標はいくつ掲げてもいいでしょう。ただ、次の三点の条件を満たすものでなければいけないと考えます。つまり、①世の中に役に立つこと、なぜなら私たちは誰であっても何事も一人ではできないから、②自分を前進させるもの、なぜなら自分を下げるものであっては一人になってしまうから、③自分や周りを幸せにするもの、なぜなら他人が不幸になれば一人ぼっちになってしまうから。
 ですから、第三企画は目標にこだわります。そして、徹底するのです。第三企画の目標は「人の前に明かりを灯す」ことによって「300年後に生まれ来る子ども達に今以上の地球環境を残す」ことです。
 世の中には、ただ自分が儲ければいい、利益があがればいい、それが幸せだ、と考える人がいます。でも、それだけでは、三つの条件を満たしていません。最近になって、ようやく経済成長一辺倒で突き進んできたことへの反省がでてきたようですが、目標をしっかり持ってほしいと願っています。
 
 

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  • 引用 RBAタイムズ 2013.05 325号
地球環境を考慮した判断基準
人を敬し 場を綺麗に 約束を守る
 
 
 私たち人間が生きていくということ、それは私たち、すなわち生命が活動するということです。生命維持のために息をし、食事をし、喜怒哀楽し、夜になって床につくという活動の繰り返しが生きていくということです。その私たち人間の活動の場所、私たちの故郷、それは地球なのです。  この地球は「天地人の三才」で表わされます。「才」は働きといっていいでしょう。天の才は、私たちに見えない天の理です。そして地球上において見える天道となってあらわれ、宇宙を創っています。地の才は、私達に見えない地の理です。そして地球上において見える動植物の発育から死滅までというライフサイクルという形であらわれます。人の才とは、小宇宙のようにバランスを保ち続ける身体です。それは天の理と地の理を抑え、また進展させて、人の道となって、倫理となり、人倫となります。
 
 
 人の道とは、「地球という環境」を形成する空間と、「命としての経過」を形成する時間と、「人と人との関係」による人間のバランスなのです。そのような私たちが活動する地球という環境に、経済的発展という名のもとに、地球という環境への敵対的行為がまかり通って展開されているのです。そして、一人の人間としての幸せは、他者との戦いの末に勝ち取るもの、という思い込みが蔓延した結果、地球時間を無視した人間、観念的時間に生命をのせることが生きることのように錯覚した病める人間を生み出してしまっているのです。
 このような現代社会の病巣ができた原因は、目的であれば何だっていい、今置かれている環境から導き出してくるものであれば問題はないといった目的観にある、と私は思います。前号で書いたように、目標があればその目標はなんでもよいということにはなりません。だからこそ、古くからの人類の知恵としての「天地人三才」から導き出されたものを、目的を設定する時の判断基準にするのです。それは、地球環境を考慮した判断基準をもつことなのです。いや、もっと積極的にいえば地球環境を乱さないという判断基準、地球というリズムにのった判断基準に則るといったらいいでしょう。
 そこで、私たち第三企画は目的を掲げるとき、他者と協力することを前提にする、地球を含めて生命というものを信頼する、違いを認め合い尊重し合う、以上を業務の根底に置いています。これはまさに第三企画の哲学、経営哲学なのです。その哲学を日常の行動に落とし込むと、具体的には、人を敬し気遣い、場所を綺麗にし、約束を守るという3つの行動原則に集約されます。この哲学と原則の上に目標・目的が展開されているのです。
 
 

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  • 引用 RBAタイムズ 2013.06 326号
RBAは自分を変革すること
小さな羽ばたきが世界を変える
 
 
 25年前、平成元年にRBA日本不動産野球連盟・RBA野球大会がスタートしました。
 当時世間は、私が考えていることをいくら真剣に訴えても、なかなかわかってくれませんでした。ゆえに、「論より証拠」とひたすら運営に徹しました。まさに実験証明でした。
 
 
 私は日々の業務という第三企画とRBAの活動に全力しました。その時から、第三企画とRBAは表裏一体となり、会社もRBAも「見るもよし、見ざるもよし、されど吾は咲くなり」の姿勢で事に当たることとなりました。
 とはいえ、現実は社員との間の隙間を埋めることはできません。「ロバを水飲み場に連れて行くことは出来るが、ロバに水を飲ますことは出来ない」といいます。確かに、強制的にやらすことはできます。しかし、根本からその人の行動を変えることはできません。言って聞かせ、教えやらせるだけでも無理なのです。水飲み場に連れて行くことは飲むことと別次元のことだからです。
 人は知らなければ信じない、動かないという一面があります。それは「知らない事」は「信じられない事」だからともいえます。だから水飲み場にはついて行くけど、水は飲みません。水は飲まなければ知ることはできません。だから信じることができません。だから飲まないのです。
 この知らなければ、信じない、だから動かないという人間の行動のパラダイムの転換作業を、先ず自社から。それがRBA活動の使命だと考え、行動してきました。
 
 
 ところがそれは、誰よりも自分を変えること、すなわち自分が変わる作業だったのです。ここからRBA(Reform ByAction)は「世の中の変革」ではなく、「自分の変革」を推し進める活動となりました。
 自分を変えること、それは生き方を変えること、との気づきは、朝起きる起き方、食事の仕方、仕事の仕方等々「生活習慣」を変える日常へと昇華させてくれました。
 
 
 私はバタフライ効果があると信じます。カオス理論では、北京で蝶が羽ばたくとニューヨークが嵐になると譬えられていますが、はじめのわずかな力でも、時間とともに拡大して、結果に大きな違いをもたらすというものです。私一人の習慣を変え、行動を変え、人生を変えることができれば
―それが世界を平和にし、人類の300年後を創る―
そう信じます。
 今年、お蔭さまでRBA野球大会は25周年を迎えることができました。それを記念していくつかのイベントを開催していますが、これも皆様が用意下さいました次の変革のためのひとつの羽ばたきと捉え更に確実に積み重ねてまいります。
 
 

追加情報

  • 引用 RBAタイムズ 2013.11 327号