
第三企画HP (542)
子カテゴリ

RBAプラザ (0)
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第三企画は、NPO 法人RBA インターナショナルともども、不動産業界の繁栄と発展と相互親睦のために、日々の業務・活動に全力投球してまいりました。そのひとつの表れが日本不動産野球連盟RBA 野球大会の開催であり、またRBA 女子会の開催でもあります。今般ご案内します「RBA プラザ」も、この延長線上にある取り組みでございます。
いよいよ平成27年♪月♪日、『RBA プラザ』が、新宿アイランドの1階に開設する運びとなりましたので、ここにご案内申し上げます。
『RBA プラザ』は、お客様にマッサージ・ビューティートレーニング・フラワーアレンジメント・ネイル・英会話等、仕事・暮らしを豊かにする様々なサービスをご用意します。あわせて、セルビアコーヒーに親しんでいただける憩の場所としても、ご活用いただけるものと存じます。
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チャリティプラザ (0)
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ご予約状況 |
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フラワーアレンジメント |
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ネイル |
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マッサージ |
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ビューティトレーニング |
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英会話 |
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お問い合せ・ご予約
完全予約制です。ご予約は弊社担当まで!! TEL.03-3346-3373 |
分類 | タイトル / 著者 |
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人物シリーズ |
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人生論 |
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文化文明論 |
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環境問題 |
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経営 |
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CD |
外から見た日本 内に知る列強
元商社マンが切る国際情勢分析 | |
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著 者/松岡嘉幸 仕 様/四六判・258頁 定 価/本体1,600円+税 発 売/創英社・三省堂書店 ISBNコード/ISBN978-4-9906994-2-0 ◆主な内容 「外」から見える日本は、国力は落ち、衰退過程にあるけれども、まだまだ豊かで恵まれた、力のある国である。しかし、このまま当てもなく漂流し続ける時間的余裕は明らかになくなってきている。一日も早く漂流を止め、目指すべき目的地を定め、それに向かって舵を切る必要がある。そのためには、孫子の兵法にある「敵(外)を知り、己(内)を知れば百戦危うからず」を肝に銘じ、「内向き、下向き、後ろ向き」姿勢を改め、積極的に「外に出、外の内に入って外を知る」ことが強く望まれる。「グローバル人材」の育成の必要性が声高に叫ばれる所以である。 ◆著者紹介 1947(昭和22)年 大阪府生まれ 現在、株式会社M・A・Tエンタプライズ 代表取締役 1970年住友商事入社、有機化学品第二部長、石油化学事業室長、オーストラリア住友商事社長、シンガポール住友商事社長、住友商事ケミカル社長を歴任。2006年住友商事代表取締役執行役員、化学品事業部門長、2008年住友商事顧問、同年住友商事退職。 |
耐えてこそ花は咲く
~信条は「身の丈経営」~ | |
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著 者/津波古勝三 仕 様/四六判・228頁 定 価/本体1,800円+税 発 売/創英社・三省堂書店 ISBNコード/ISBN978-4-9906994-1-3 ◆主な内容 太平洋戦争の最終段階で沖縄は米軍の非情な猛攻撃に遭い、父親と長兄を亡くす。 極貧生活の中で、3人の子供を育てた母親の苦労は並大抵ではなかった。 高校卒業後、「米留」ではなく「日留」を選択。沖縄に戻り、サラリーマンを経て、兄弟三人で起業する。儲からず、赤字続き。でも、あきらめなかった。「雨垂れ石を穿つ」の思いで辛抱を重ねた。 若い世代に語り継ぐ、沖縄経済界の重鎮が振り返る「耐え続けた」人生哲学とは。 ◆著者紹介 1941(昭和16)年12月27日 沖縄県与那原町生まれ 現在、㈱技建代表取締役社長、全国生コン産業厚生年金基金評議員、沖縄県生コンクリート協同組合理事長、沖縄県生コンクリート工業組合理事長、全国生コンクリート工業組合連合会九州地区本部副本部長、全国生コン産業厚生年金基金理事、全国生コンクリート協同組合連合会理事、沖縄県中小企業団体中央会理事、㈳沖縄県建設産業団体連合会副会長、沖縄県生コン産業協同組合連合会会長、沖縄県JIS協会顧問、沖縄県中小企業団体中央会会長、那覇空港拡張整備促進連盟副会長、国有財産沖縄地方審議会委員(内閣府沖縄総合事務局)、沖縄振興開発金融公庫運営協議会委員(内閣府)、㈶沖縄県産業振興公社理事、全国中小企業団体中央会理事、新事業創出促進出資運営評議会評議委員(沖縄振興開発金融公庫)他多数の役職を務める沖縄経済界の重鎮。平成24年春の叙勲受章(旭日双光章)。 |
家族力⑪
思い出してみよう!無償の愛
命のリレー 走者のエネルギー源
お母さんが妊娠すると、自分の骨を作るよりも赤ちゃんの骨を作るのを優先する体になるのだそうだ。だから、お母さんはよくカルシウムを摂らないと骨粗鬆症になりやすいともいわれている。自分の骨身を文字通り削って、それでいてちょっとでもお腹が動くと、手を当てて動いた!動いた!といって大喜びする。そんな日々を過ごして迎える臨月、いよいよ十月十日(とつきとうか)で陣痛との戦いが始まる。そして、赤ちゃん誕生。お母さんはこの苦しみとの戦いを終えたすぐ後、生まれた子供を腕に抱え、優しく包み込み、わが子を受けとめるが、その姿には、今までの苦痛や苦労の影も形もない。
生まれたばかりの子どもは、昼夜関係なく、朝な夕なにお乳を欲しがり泣き喚く。小さい歯でお乳を噛んで血がでてしまうこともある。それでも、お母さんは文句ひとつ言わず黙々と赤ちゃんに応える。
少し大きくなるとオネショ。その時お母さんはいくら眠くても、眠い目を擦りながら着替えをさせる。自分が寝ていた乾いた布団に寝かしつけ、自分はオネショの上にタオルを敷いて寝る。朝起きると、オムツや下着の洗濯。どんなに臭くても、汚くても、顔色ひとつ変えず黙々ときれいになるまで洗う。それはオムツがとれるまで続くのだ。
美味しいものは自分より子どもに食べさせる。子どもの好きなものを忘れない。子どもの好物を目にしたら、それがどこであっても、その度に子どものことを思う。着るものもそう、自分が欲しいものを我慢して、子どもにきれいな洋服を用意する。それは子どもが成人しても、壮年になっても続く。それがお母さん。
物に限らない。人間関係においても同じである。どんな悪さをしても、必ず守る。どんな立場の上の人が相手であっても子どものためなら戦う。守る。正義がなくても守る。子どもが病気になれば、「代わってあげられるものなら、代わってあげたい」と口にし、自分が寿命を全うした後のことまで心を配る。それがお母さん。これが無償の愛なのだ。
このように無償の愛によって誕生し、無償の愛によって育まれた私たちは、家族の歴史の最先端に生きることが役目であり、それが自らの一生なのである。まさに人類史という舞台に繰り広げられる命のリレーといえよう。
リレーといえば、毎年私たちを感動の渦に巻き込んでくれる箱根駅伝のたすき渡し。毎年、出場権を獲得するため選手を補強する。しかし私たちの命のリレーは、交代することもできなければ補強することもできない。ゴール無きリレー、どこまで走るかも、どう走るかも最先端を走る私たちにかかっているリレーなのだ。走者は無償の愛をエネルギー源としてひたすら走る。
追加情報
- 引用 RBAタイムズ 309号(2010)
家族力⑩
人間として生きていける力の源
「親」に瞬間移動する力こそ家族力
「自分がなぜ生まれてきたのか?」を知る人は誰もいない。ましてや、「生きる意味」となると考えても答えを見つけることは難しいだろう。生きる理由も意味もわからぬままに、なぜ人間は生きていけるのか?結論を先に言えば、それは家族があり、家族力があるからなのだ。
家族は、「両親に子ども3人の5人家族」というように数に表すことができ、目にも見える。「大家族」とか「核家族」という表現もできる。ところが、家族力となると目には見えないし、数字で表現することもできない。ましてや手にとって示すことはできないものである。そういう家族力とはどんなものか。そしてそれが「なぜ人間は生きていけるのか」の回答になるのか。私達は、生まれてきた時に「心から喜んでくれる人に出会うから」、「ただそこにいるだけで喜んでくれる人に出会うから」生きていくことができるのである。これをもたらすのが母親による目に見えない愛、この無形にして強い愛が家族愛であり家族力である。これによって生きられるのである。私達は、誕生の瞬間に無意識のうちに自分が生きる意味を本能的に自覚している。誕生という母親との出会いは、無自覚的に「生きる意味」となり、「生きる価値」となり人格を形成する核となっているのである。
同時に子どもは、その誕生によって夫と妻という男女を「お父さん、お母さん」へと瞬間移動させるのである。もちろん、「お父さん、お母さん」を「おじいちゃん、おばあちゃん」へと瞬間移動もさせるのである。この瞬間移動の力こそ家族力の根源である。子どもの誕生という出来事は、お父さんやお母さんを知恩とか、報恩という愛の世界にいざなうものなのだ。これが、無償の愛の源泉であり、これによって「ただ一人」の人間が生成するのである。いつの場合も、赤子は無償の愛の対象となって誕生するオンリーワンの存在である。両親にとって赤子は、ベットにずらりと並んでいるなかで「あなたでなければダメ」な存在なのだ。つまり、この世に生まれてきた全ての人は、生まれてきたこと自体で既にオンリーワンの存在なのである。「ただ一人」の人の誕生だからこそ、「お父さん、お母さん」はわが子の愛おしさを鮮明に心に焼き付け、「ただ一人」の人だからこそ、わが身を省みることもせず、夜泣きされようが愚図ろうが一生懸命育てるのである。
この無償の愛から育まれる親子の関係から醸成されるのが、敬愛(=尊敬と親しみの気持ち)である。
この敬愛こそ家族力のもう一つの姿といえるものである。
追加情報
- 引用 RBAタイムズ 307号(2010)
家族力⑨
ペット飼育と子育て 愛の違い
子育ては親への感謝を表す行為
子どもの誕生とともに、夫婦が自ら「親」を誕生させたか、どうか。それによって、家族力は決定されてしまう。
現代社会では、時には事件の形をもって、親が自らの親を誕生させたかどうかを社会に明らかにしてくれる場合がある。先頃4歳児死体遺棄事件しかり、生後3ヵ月男児虐待殺人未遂事件しかりである。なぜ、このような事件が発生するのか。その原因は何なのか、それが分からなければ、現状の打開は困難である。自らの内に親が誕生していない親であっても、子どもが誕生する時には、五体満足を願う。そして誕生後においては、健康に育つか心配する。長じて学校に行くようになれば、まずは成績に目が行き、勉学を督励し塾通いに熱心になる。体力作りに目が向けば、英才教育を行うのもやぶさかでない。
しかし、子育てはペット飼育と違うのである。自らの内に親を誕生させていない親は、自分に都合のいいように子育てをする。自分の都合が悪くなるようなことがあれば、子育てを放棄する。可愛いから、癒されるからといってペットを飼育していても、大きくなって扱い難くなったから、言うことを聞かなくて手に負えないからといって捨ててしまうペットの飼い主の心境に瓜二つである。ペットへの愛情は、邪魔になったら捨ててしまう行動に表われているように、有償の愛なのだ。
それに引き替え、子育ては、対象となる子どもへの愛情に加えて、自分が親に育ててもらったことに対する感謝の想いに裏打ちされている。我が子を授かったその時に、自分が今在ることに思いを馳せ、自らの両親にどれほど感謝の念を持つことができるのか。その感謝の念こそが自らの内なる親の正体である。この感謝の念を知恩と言い換えれば、自らの内に親を誕生させるか否かの境目となるのは、この知恩である。この知恩があるからこそ、無償の愛が生まれる。眠い目を擦りながらでも深夜に泣き出す子どもをあやすことができるし、ダダをこねて言うことを聞かない子どもに辛抱強く向き合うことができるのである。
現代社会で発生している乳幼児をめぐる事件に戻ろう。この手の事件は未熟な親が起こした事件だと言われている。この未熟さは何なのか。子どもへの愛情が足りない未熟さなのではなく、自分が育ててもらった両親への感謝の念、知恩が足りないから未熟であるのだ。知恩(親の恩を知る)が我が子を育てることによって報恩(親の恩に報いる)になるのである。
追加情報
- 引用 RBAタイムズ 305号(2010)