久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.51

家族力⑩

人間として生きていける力の源
「親」に瞬間移動する力こそ家族力



「自分がなぜ生まれてきたのか?」を知る人は誰もいない。ましてや、「生きる意味」となると考えても答えを見つけることは難しいだろう。生きる理由も意味もわからぬままに、なぜ人間は生きていけるのか?結論を先に言えば、それは家族があり、家族力があるからなのだ。


家族は、「両親に子ども3人の5人家族」というように数に表すことができ、目にも見える。「大家族」とか「核家族」という表現もできる。ところが、家族力となると目には見えないし、数字で表現することもできない。ましてや手にとって示すことはできないものである。そういう家族力とはどんなものか。そしてそれが「なぜ人間は生きていけるのか」の回答になるのか。私達は、生まれてきた時に「心から喜んでくれる人に出会うから」、「ただそこにいるだけで喜んでくれる人に出会うから」生きていくことができるのである。これをもたらすのが母親による目に見えない愛、この無形にして強い愛が家族愛であり家族力である。これによって生きられるのである。私達は、誕生の瞬間に無意識のうちに自分が生きる意味を本能的に自覚している。誕生という母親との出会いは、無自覚的に「生きる意味」となり、「生きる価値」となり人格を形成する核となっているのである。


同時に子どもは、その誕生によって夫と妻という男女を「お父さん、お母さん」へと瞬間移動させるのである。もちろん、「お父さん、お母さん」を「おじいちゃん、おばあちゃん」へと瞬間移動もさせるのである。この瞬間移動の力こそ家族力の根源である。子どもの誕生という出来事は、お父さんやお母さんを知恩とか、報恩という愛の世界にいざなうものなのだ。これが、無償の愛の源泉であり、これによって「ただ一人」の人間が生成するのである。いつの場合も、赤子は無償の愛の対象となって誕生するオンリーワンの存在である。両親にとって赤子は、ベットにずらりと並んでいるなかで「あなたでなければダメ」な存在なのだ。つまり、この世に生まれてきた全ての人は、生まれてきたこと自体で既にオンリーワンの存在なのである。「ただ一人」の人の誕生だからこそ、「お父さん、お母さん」はわが子の愛おしさを鮮明に心に焼き付け、「ただ一人」の人だからこそ、わが身を省みることもせず、夜泣きされようが愚図ろうが一生懸命育てるのである。


この無償の愛から育まれる親子の関係から醸成されるのが、敬愛(=尊敬と親しみの気持ち)である。
この敬愛こそ家族力のもう一つの姿といえるものである。


 

追加情報

  • 引用: RBAタイムズ 307号(2010)