久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.52

家族力⑪

思い出してみよう!無償の愛
命のリレー 走者のエネルギー源



お母さんが妊娠すると、自分の骨を作るよりも赤ちゃんの骨を作るのを優先する体になるのだそうだ。だから、お母さんはよくカルシウムを摂らないと骨粗鬆症になりやすいともいわれている。自分の骨身を文字通り削って、それでいてちょっとでもお腹が動くと、手を当てて動いた!動いた!といって大喜びする。そんな日々を過ごして迎える臨月、いよいよ十月十日(とつきとうか)で陣痛との戦いが始まる。そして、赤ちゃん誕生。お母さんはこの苦しみとの戦いを終えたすぐ後、生まれた子供を腕に抱え、優しく包み込み、わが子を受けとめるが、その姿には、今までの苦痛や苦労の影も形もない。
生まれたばかりの子どもは、昼夜関係なく、朝な夕なにお乳を欲しがり泣き喚く。小さい歯でお乳を噛んで血がでてしまうこともある。それでも、お母さんは文句ひとつ言わず黙々と赤ちゃんに応える。


少し大きくなるとオネショ。その時お母さんはいくら眠くても、眠い目を擦りながら着替えをさせる。自分が寝ていた乾いた布団に寝かしつけ、自分はオネショの上にタオルを敷いて寝る。朝起きると、オムツや下着の洗濯。どんなに臭くても、汚くても、顔色ひとつ変えず黙々ときれいになるまで洗う。それはオムツがとれるまで続くのだ。
美味しいものは自分より子どもに食べさせる。子どもの好きなものを忘れない。子どもの好物を目にしたら、それがどこであっても、その度に子どものことを思う。着るものもそう、自分が欲しいものを我慢して、子どもにきれいな洋服を用意する。それは子どもが成人しても、壮年になっても続く。それがお母さん。


物に限らない。人間関係においても同じである。どんな悪さをしても、必ず守る。どんな立場の上の人が相手であっても子どものためなら戦う。守る。正義がなくても守る。子どもが病気になれば、「代わってあげられるものなら、代わってあげたい」と口にし、自分が寿命を全うした後のことまで心を配る。それがお母さん。これが無償の愛なのだ。
このように無償の愛によって誕生し、無償の愛によって育まれた私たちは、家族の歴史の最先端に生きることが役目であり、それが自らの一生なのである。まさに人類史という舞台に繰り広げられる命のリレーといえよう。


リレーといえば、毎年私たちを感動の渦に巻き込んでくれる箱根駅伝のたすき渡し。毎年、出場権を獲得するため選手を補強する。しかし私たちの命のリレーは、交代することもできなければ補強することもできない。ゴール無きリレー、どこまで走るかも、どう走るかも最先端を走る私たちにかかっているリレーなのだ。走者は無償の愛をエネルギー源としてひたすら走る。


 

追加情報

  • 引用: RBAタイムズ 309号(2010)