久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.49

家族力⑧

親が本当の親になれるか
自我の成長の第三段階「親心」



物事には必ず二面性がある。子どもの誕生の場合においても然りである。私たちの人生における子どもの誕生という出来事は、一方では親を誕生させることでもある。親となる夫婦は、これまでの人生で遭遇した出来事、進路決定を始めとして結婚、趣味等々、ほとんどの場合において、自分を中心に決めてきた。その固く、壊れそうもない、その人らしい生き方が、180度変わり始める起点となるのが、子どもの誕生なのである。


子どもの誕生は、今までの人間関係が愛憎・損得・善悪という自分中心の価値観に基づいていたのに対し、無償の愛・利他・容認という一体感的価値観へと変わっていく瞬間となる。それは同時に、女性が妻になった結婚という瞬間をへて、更に母親を兼ねなければならなくなる時であり、夫になった男性が父親の立場を兼ねる時でもある。


この出来事を、単に、子どもの誕生によって家族構成員が一人増えたとみる現象として捉えてはいけない。その見方では、前回、「夫婦は子ども誕生のその時、協力し合いながら今までの生き方に耳を傾け省みることが家族力向上となる」と述べた「耳を傾けて省みること」にならない。子どもは、夫婦とは全く別の、一個の人格を持っている人間である。決して夫婦の所有物ではない。この一点を勘違いしてしまうと、子どもに夢を託す的な生き方となってしまうのだ。あるいは、泣き喚いてうるさくて言うことを聞かないからといって、目に余る折檻をして平気でいる親となってしまうのだ。


私たちは、幼少の頃と青年期の二回、自我意識の芽生えを経験している。反抗期といわれているものは、その最たる変化の兆しである。この反抗期を経て人間は成長する。ところが、実は、反抗期に匹敵する自我の大きな発達時期が大人になっても訪れる。それが、結婚と子どもが誕生するその時、なのである。それは、「子ども心」から「恋心」になり「親心」となってゆく人間の成長過程である。
この大人になってからの成長過程が成熟しないまま、単なる子どもの親となると、自らは「親」を誕生させていないので、食事を与えず餓死させたり、折檻を繰り返して死にいたらしめる犯罪者に転落することになり、それを食い止める歯止めを失ってしまうのだ。


このように子供の誕生とともに、夫婦が自ら「親」を誕生させているかによって、単なる血縁関係という人間の集団としての家族なのか、それとも自らの犠牲も省みないという親子関係の心が通じ合う相乗効果を持つ家族なのか分かたれる。家族力とは「親子の心が通じ合う」相乗効果のことなのである。それはまた現象面として、家族同士が協力という形で私たちの目に映るものである。

 

 

追加情報

  • 引用: RBAタイムズ 304号(2010)