第三企画HP (550)
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第三企画は、NPO 法人RBA インターナショナルともども、不動産業界の繁栄と発展と相互親睦のために、日々の業務・活動に全力投球してまいりました。そのひとつの表れが日本不動産野球連盟RBA 野球大会の開催であり、またRBA 女子会の開催でもあります。今般ご案内します「RBA プラザ」も、この延長線上にある取り組みでございます。
いよいよ平成27年♪月♪日、『RBA プラザ』が、新宿アイランドの1階に開設する運びとなりましたので、ここにご案内申し上げます。
『RBA プラザ』は、お客様にマッサージ・ビューティートレーニング・フラワーアレンジメント・ネイル・英会話等、仕事・暮らしを豊かにする様々なサービスをご用意します。あわせて、セルビアコーヒーに親しんでいただける憩の場所としても、ご活用いただけるものと存じます。
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お問い合せ・ご予約
完全予約制です。ご予約は弊社担当まで!! TEL.03-3346-3373 |
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〈絵詩集〉ひまわりのように たいようのように
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作 /久米信廣 絵 /白鳥千夜 企 画/特定非営利活動法人RBAインターナショナル 仕 様/A4変形型版・71頁 定 価/本体1,200円+税 発 売/創英社・三省堂書店 ISBNコード/ISBN978-4-902281-05-7 ◆主な内容 RBAインターナショナル久米信廣会長は、長年にわたって、自らの想いを詩に託し、その詩に曲をつけて発表してきました。この絵詩集はこれらの歌詞を集め、それに温かくメルヘンチックなタッチの絵を添えたものです。 ◆著者紹介 作:久米信廣 第三企画株式会社の代表取締役社長。徳島県生まれ。日本大学芸術学部卒。経済学博士(明治大学)。 絵:白鳥千夜 白鳥千夜は法政大学文学部在籍中の21歳、風貌静謐にして大和撫子の雰囲気を漂わせる。興福寺の阿修羅像を想起させるきりっとした表情と憂いをふくむ目線をあわせ持つが、感覚は現代的、絵の描写力は両親のDNA、天性のものである。 |
アクセス情報
第三インプレッション株式会社
〒334-0061
埼玉県川口市大字新堀492-1
492-1, Ooaza Niihori,Kawaguchi, Saitama Prefecture, Postal Code 334-0061
TEL:048-286-1835 FAX:048-286-1840
<電車・バス>
東武スカイツリーライン「草加駅」下車 ---- 川口行きバス(約15分 200円)
「南山梨」降車---- 徒歩8分
By train or bus First get off at “Soka” sta., Tobu-SkyTree Line, and take a bus bound for “Kawaguchi” to get off at “Minami-Yamanashi” bus-stop (approx. 15 min. at \200/single way), then 8 min. walk to the destination
JR京浜東北線「川口駅」下車 ---- 草加西口行きバス(約25分 270円)
「南山梨」降車---- 徒歩8分
First get off “Kawaguchi” sta., JR Keihin-Tohoku Line, and take a bus bound for “Soka-Nishiguchi” to get off at “Minami-Yamanashi” bus-stop (approx. 25 min. at \270/single way), then 8 min. walk to the destination

アクセス情報
「近思録」から学ぶ
母の教えを想い出させた近思録
心に主人公を持つこと
「心に主人公を持つことだ。なにが主人公になるのか。敬である。」
【近思録】
幼い頃、母から教わったことに、「自分の心に従って大事なものを決めてはいけない。なぜなら、自分の心ほど当てにならないものはないからだ。」がある。そう教えられているにも関わらず、自分の心を当てにし、自分の心に従い、自分の心を信じ数々の後悔をする羽目になった。この経験から、『心』と『心の働き』は違うことに気付かされた。こんなことがある。「好き」と思っているのに、何かの出来事(=外部との接触)により全く反対の「嫌い」を口にする。この場合の「好き」が『心』で、何かの出来事により口にする「嫌い」が『心の働き』である。このように私たちの『心』がどれだけ正しいと判断しても、想定外の何かの出来事がきっかけで、その判断の変わる可能性は高いということである。確かに、「人と先を争わないように」を心がけても、外部との接触により顔をもたげる負けず嫌いに押し切られた自分がいた。また、「常に人に一歩を譲って控えめに」を実践しようとしても、知らず知らずのうちに人の前に立つ自分に手を焼いたこともある。これまで、心に固く決意すればするほど同レベルの『心の働き』に邪魔されて思うように行かない自分がいたのである。
そんな時以下の文に巡り会うことができた。
「曇りのない鏡がここにあった場合、万物は全てそれに映るが、それは鏡の常態である。鏡に物が映らないようにさせるのは、むずかしい。人の心は万物に感応しないわけにいかない。心に思慮させまいとすることは、むずかしいものだ。それを免れたいなら、心に主人公を持つことだ。なにが主人公になるのか。敬である。」【近思録】
心の働きをコントロールする道具は、「心に主人公を持つこと」だった。この文章に出会って、それまでの自分は全く逆の「自分の心を主人」としてきたことに気付いたのである。それからは「自分の心を主人」とすること無く、「心の主人」を抱き日々の業務にあたり現在を迎えることができている。感謝!
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- 引用 RBAタイムズ 256号(2007)
「言志四緑」から学ぶ
一本の道を示してくれた菜根譚
常に人に一歩譲ること
「世を渉るの道は、得失の二字に在り。得べからざるを得ること勿れ。失う可からざるを失うこと勿れ。此くの如きのみ。」
【言志四録】
幼いころから母親に、事あるごとに、「得失は出来事にあるのではなく判断にある」といって聞かされてきた。指導者のためのバイブルと言われる言志四録にも、「世を渡る道は、得と矢の二字にある。得てならないものは、得てはならないし、失ってはならないものは失うべきではない。これが世を渡るための基本である。」とある。しかし、「どうやったら、得てはならないものを得ないでおけるのだろう?」また「どうすれば、失ってはならないものを失わずにすむのだろう?」それが出来れば、この人生これ程楽なことはない。そんな妙手はあり得ない、とは思いつつも心のどこかで「もしや」との気持ちも消すことも出来なかった。それはそうである。判断を誤ると得は失にかわることになり、失は失のまま終わるのである。これほど厳しいことはない。これが人生の本当の姿であろう。自らの判断で自ら不幸を招き寄せ、日々を振り回される人生。そんな厳しい日々が続く人生にならぬよう、一本の道を示してくれたのが以下にある菜根譚の一文である。
『世に処しては、一歩を譲るを高しとなす。歩を退くるは、即ち歩を進むるの張本なり。人を待つに、一分を寛くするは是れ福なり。人を利するは、実は己を利するの根基なり。』
(世渡りをするには、人と先を争うことをせずに、常に人に一歩を譲って控え目にするのが、自分の人格を高尚にする所以の道である。その一歩を譲り退くということは、これとりもなおさず、数歩を前進さす伏線ともなるものである。人を待遇するには、厳格に過ぎてはよくないので、一分ほどは寛大にすることが、これやがては、自己の幸福をもたらす所以の道である。このように、人に利益を得させることは、つまり自己を利するための土台となるものである。)
私はこの道に沿って、得は失にかわらないように、失は失のまま終わらないように、歩んでいる。
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- 引用 RBAタイムズ 255号(2007)
好奇心と感動を胸に〈1〉
目が開いている間は歩み続ける
一本の道を自然に容認されるまで
思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
魯迅「故郷」竹内好訳
四月は新入生新社会人が誕生する。桜は満開で(今年はもう散り始めてしまったが)世の中全てが自分を祝福してくれているように感じ、希望に胸をふくらます。今年の新社会人は約85万人という。押しなべてダークスーツに身をつつみ、新しい環境に身構えるかのように顔つきも引き締まった若者が街角にあふれる季節である。自分の将来はどうなるか、不安と期待が交錯するものの、夢は大きく、瞳は輝いている。しかしである。この新社会人が一年もしないうちに、ほんの数ヵ月のうちに「旧」社会人に吸収されていく。新しい環境に慣れてくるのとあわせて心と身体の緊張感が消えていく。なぜか?人は、二本の道のどちらを選ぶかで、その人の人生が決まる。これまで歩んできた一本の道が二本に分かれる時がくる。一本の道は「簡単で楽な道」、そしてもう一本の道は「厳しく苦しい道」である。熱き想いで自らの人生を捉え明確な目的を抱けていれば、目的に向かう明らかな道が見えてくる。私は、27年前に一本の道を歩きはじめた。これまで、自分の想いを書き散らし、書き溜めている。ここにちょうど10年前のエッセーがある。まだ若造だと言われつつも、新卒を大量に採用して10年近くたったときのものだ。
『目的地に行き着くまではこの歩みは止めない 誰に何といわれようと苦しくて嫌になろうと断じて歩みは止めない! 目が開いている間は歩み続ける 僕が選んだ一本の道だもの この道を歩くことが僕が僕であることの証明となるから 僕の先を歩く人がいるから 僕の後を歩いてくる人がいるから 瞬時たりとも歩みを止めることは出来ない 僕の歩みは周りにいる人の歩みだから 周りの人の歩みは、僕の歩みとなるから そして地球に住む生き物達の歩みとなっているから…この地球に息づく無数の生き物の歩みが僕を支えてくれている 僕を生かしてくれている 人間が自然に優しくではなく自然が人間に優しくしてくれている だから、僕は平和への一本の道を歩むことが出来る…この一本の道を与えてくれた自然に感謝しながら人間というこの命を与えてくれた自然に感謝しながら自然界から容認されている一本の道を自然と共に歩まん 人間の道という一本の道を自然に容認されるまで歩まん』(ヒューマンブックスVOl・2、1997年 9月)
「この10年間、お前は成長がないではないかといわれそうだが、目的としたものに向かって歩む姿勢が変わらないからこそ今でも自分自身は「新」社会人の緊張感を持ちつづけていられると胸を張れる。今回からこのコラムのタイトルを「道」としたゆえんである。
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- 引用 RBAタイムズ 254号(2007)
自他ともの幸せがあってこそ
自分事として救援、復興に全力
私たちの日常は、どうしても自分自身で押さえようのない感情の起伏、喜怒哀楽の連続に翻弄され、押し流されている日々です。それが人生といってもいいかもしれません。そのような喜怒哀楽の連続である日常での自身の心の状態は、私たちが意識する、しないに関わらず、自分自身の内面だけの問題に留まることなく、自分自身という人間性から発信する言動、振る舞い(=エネルギー)が影響を及ぼし、外面である生活空間に広がり、人間模様を形作っていきます。昨年、日本には極めて強い「哀」の空間が広がりました。2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による津波と余震、これにより、大規模地震災害が引き起こされました。後に東日本大震災と名付けられたこの災害で、多くの尊き命がなくなられました。謹んで亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
この大きな災害に立ち向かう言動、振る舞いも極めて強いものがありました。RBAそしてRBAを後押しする第三企画は、復興を願う他の方々と同じように、復興に全力する地元の皆さま方の健闘を後押しします。私たちの人間社会では、「私一人」という存在はありえません。一人だけの幸せはありえないのです。一人の幸せは自他ともの幸せがあってこそもたらされるものなのです。だからこそRBAは、自他共の幸せを願い活動するのです。東日本大震災直後に、第三企画はお客様に呼びかけて「がんばる日本」キャンペーンを行いました。そしてキャンペーンの趣旨にご賛同いただき発注していただいた売上金の一部をもって激励品とし、RBAを通じて被災地にお届けしました。ご賛同いただいたお客様には個々にご報告しましたが、RBAは、国民のために夜も寝ず自分事として救援、復興に全力を傾注する自衛隊の皆さま方に感謝の意を表し、この激励品を仙台の自衛隊東北方面総監部に直接お渡ししました。
私たちも自衛隊の精神を見習い、日本国のために全力することを約します。もちろんそのRBA活動にゴールはありません。私達の活動は、山に登る行為を活動といっているのではなく、山脈を歩き続けること、その行為そのものを活動といっています。雷にたいして「くわばら、くわばら」というのと同様に、地震に直面したときある地方では「世直し、世直し」というようです。「地震」はいったん構築された秩序を破壊し、新たな世に生まれ変わる再生のための儀式と捉える見方があるからでしょう。震災を乗り越え、私たちは今年も共感と感動の触れ合いの旅を力強く歩みゆくことを誓います。
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- 引用 RBAタイムズ 2012.02 319号
仕事は人格陶冶、己を磨く道具
ただ「立つ」のでもRBAらしく
RBAのスタッフは黄色いシャツを着てグランドに立ちます。炎天下でも、砂埃が舞い上がる強風のなかでも立ってもらっています。私自身そのように立ち、スタッフの皆にも立ってもらってきました。それは、ただ立っているRBAのような仕事でも、それでも仕事の第一人者になれる、そう確信して心を決めてきたからです。 確かに、立つことは誰にでもできます。でも、RBAらしく、美しく、青春を思い出してもらえる立ち方はそう簡単にできるものではありません。好感をもたれる立ち方をしよう、そのように立つことがRBAにおける私の仕事だ、だったら、プロフェッショナルの立ち方をするのが自分の仕事だ、そう強く決心しました。
そこで、先ずはヒルトンホテルの人達をまねることから始めました。ホテルマンとしての彼らではなく、青年らしく、青春らしく、最高の立ち方をしている見本として、いかに彼らに近づけるかを考え、工夫を重ねてきました。ヒルトンの宣伝をするわけではありませんが、彼らは素晴らしい立ち姿をしています。彼らは最高のサービスを提供する準備ができているのです。私はそういう彼らを立つ模範と考えました。だから、RBA野球大会の抽選会の会場はいつもヒルトンです。(中国大使館で抽選会をした例外はありますが)
立つという一見単純なことを一流の仕事にするのは、RBAの活動にとどまらず、どのような仕事でも共通して大切なことなのです。立つこと、コピー一枚とること、このような仕事であっても、その人の仕事への姿勢が現れますし、心が投射されて炙り出されることになるのです。腰掛け的な気持ちでいたのでは社会人として成長はあり得ません。どのような仕事でもあっても、組織においてはなくてはならない大事な仕事なのです。その仕事をやり切ることで成長できるのです。ただ給料を貰うためだけに仕事をするのではなく、自分を輝かせるため、人間修業のための仕事であるべきなのです。どんな仕事であっても完璧に成し遂げるための努力、創意工夫が必要なのです。第三企画で私はそのように社員に訴え、指揮を執ってきました。23年に及ぶRBAの「立つ」という活動をやり続けてきたなかで、私自身、気づくことができました。
何事においても、何かによりかかったり、すがったりするのではなく、自分の足できちんと立とうとすることが人生の基本なのです。ですから、これからも、仕事は人格を陶冶するものであると捉え、仕事は自分を磨く道具だと捉え、どんな単調でつまらない仕事であってもそこに豊かな意味を見いだし、真剣に、誠実に、全力であたっていきます。
追加情報
- 引用 RBAタイムズ 2011.11 318号
「人の前に明かりを灯す」こと
情けは人のためならずの実践
前回はRBAの仕事観について書きました。RBA日本不動産連盟野球大会やRBAインターナショナルの活動は、手を抜かず本気で、小事を大事に行うことです。それが人間的な成長に繋がると考えます。
そのRBA活動を支えているのが第三企画です。第三企画の仕事観は何かというと、それは第三企画のホームページのトップに掲げている理念に集約されています。それは、「人の前に明かりを灯す。私達は、仲間の前に、お客様の前に、家族の前に、友達の前に、恋人の前に、協力会社さんの前に、毎日接する多くの皆様の前に、そして私達の後に続く子ども達の前に、私達の『生き様』という明かりを灯し続けます。」というものです。
私たちは、十人十色です。一人として同じ人間はいません。何故そうなのか?何故、同じであってはならないのか?と考えた挙句の答えが、「人の前に明かりを灯す」だったのです。人間は一人で生きていけません。群れることによって生き長らえてきました。そこから社会ができ、世間といわれているものができているのです。そして社会とか世間といわれるものは、実は私の、私たちの「そばにいる人」を指していることだと思い到りました。およそ道徳とかエチケットといわれるものは、人の嫌がることをしない、人に迷惑をかけない、嘘をつかない等々、隣の人、あるいは人たちと仲良く暮らしていく方法を教えてくれるものに他なりません。ですから世界の平和といっても、皆さんの幸せといっても、その漠然とした言葉の裏にある実態は、自分の隣にいる人、あるいは周りの人たちに親切にすることであり、役に立つことであり、喜ばれることだと気づいたのです。
そういった意味で「人の前に明かりを灯す」の「人」とは、今現在自分の隣にいる人、あるいは周りの人たちを指しています。そして「明かり」とは、親切にすることであり、役に立つことであり、手を添えることなのです。つまり、私が目指す第三企画パーソンとは、隣の人に、周りの人たちに「明かりを灯す」人なのです。困っている人のために「苦しみを共にし、力になってあげ、役に立つ振る舞い」をする人のことなのです。それができるようになるために技術、技能、知識、知恵を身に着けたいという強烈な想いをもって、日々、自分との闘いに明け暮れる人のことなのです。
「情けは人のためならず」です。「人のために役立つことが自分の幸せである」と信じ実行できる人が、まさに第三企画の理念を体現する社員といえるでしょう。このような社員が、あるいはこのような社員になろうと努力している社員がRBA野球大会のグランドに立っています。
追加情報
- 引用 RBAタイムズ 2011.08 317号












