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第三企画HP

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RBAプラザ

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第三企画は、NPO 法人RBA インターナショナルともども、不動産業界の繁栄と発展と相互親睦のために、日々の業務・活動に全力投球してまいりました。そのひとつの表れが日本不動産野球連盟RBA 野球大会の開催であり、またRBA 女子会の開催でもあります。今般ご案内します「RBA プラザ」も、この延長線上にある取り組みでございます。
 
いよいよ平成27年♪月♪日、『RBA プラザ』が、新宿アイランドの1階に開設する運びとなりましたので、ここにご案内申し上げます。
 
『RBA プラザ』は、お客様にマッサージ・ビューティートレーニング・フラワーアレンジメント・ネイル・英会話等、仕事・暮らしを豊かにする様々なサービスをご用意します。あわせて、セルビアコーヒーに親しんでいただける憩の場所としても、ご活用いただけるものと存じます。
 
 
 

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ナンバーワンとオンリーワン

存在自体がオンリーワン
勇気を出そう 道は開ける


ナンバーワン
ナンバーワンを目指せと
高い目標を掲げろと
目標達成に励めと

成功のため、成長のため
遠い目標に向かって今日一日を生きよ

計画に沿って確実に
しかし、現実の日々において蹟くのは
弱点と、不得意部分

誰に言われなくても
どうしてもその部分が気になる
だから見つめなおす

弱点と欠点と弱い意志
忘れまいと、念を押す
いつでも、どこでも、何事においても駄目だと

成功と幸せと充実を目指しているにも拘らず
一回しかない今日一日
自己の否定に精をだす

自分の得意を知ることなく
自分の強みを知ることなく
これが、ナンバーワンを目指す実態?


オンリーワン
ナンバーワンを奨励しながら
オンリーワンも賛美している
最初からこの世に同じものは二つと無いにも関わらず

今いること自体がオンリーワン
この世に生を受けた時点でオンリーワン
人と違ってこそ貴方、それでこそオンリーワン

しかし、いつも周りと比較され
負けるな!がんばれ!

しかし、この世は勝者のいない競争社会
舞台は絶えず新しい主役を用意する
いつの世も勝者は期間限定のものでしかない

まさに入れ替わり、立ち代われるのがこの社会
だからこそ、だれでも出来るということになる
なんであれ特別なものは存在し得ないようになっている

だからこそ、自らを殺すことを教えられ
コミュニケーションの大切さを教えられる
貴方を自信喪失にするために……

そんなことに振り回されず
自分に対する無理な要望を止めてみよう!

勇気を出して止めてみよう!
きっと、きっと道は開けるから

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 261号(2007)

「論語」から学ぶ

父母の教え 我が人生
大学まで父から逃げ惑った



「己欲立而立人、己欲達而達人」     【論語】


僕が高校3年生を前に「どこの大学でも行かせてやる」との父の言葉を信じ、これからの時代大学行くのなら海外の大学。そう心に決めイギリスとアメリカから願書を取り寄せました。いよいよ願書提出をしようと、自信と期待を胸に元気いっぱい父に向かいました。しかし、父は「確かに大学は何処でもいいと言った。だからといって海外の大学でいいとは一言も言ってない。日本の大学でなければ駄目だ。しかも法科。それ以外は絶対に許さない。行くのは一校だけなのだから、受ける大学は一校だけで十分!それ以外は駄目だ!」と一喝。自分が検察庁に勤める価値観をもって私の力説する将来の話にも大学の話にも、一切耳を貸してはくれなかったのです。


私は「海外の大学に行けないのならい今すぐ仕事をした方がましだとある時は友達のところに転がり込みガソリンスタンドでアルバイトを始めたり、またある時は喫茶店のマスターの家に転がり込むというように何度も家出を試みました。そのたびに父の手がまわって婦人警官の一斉捜査の前に見事に補導され連れ戻されてしまったのでした。このようにして高校を卒業する19歳まで、家庭という強制収容所みたいな環境で育てられた私には非行に走ることの自由も与えられていなかったのです。父にたいして申し訳ないことだと反省していますが、よく「国家権力の犬の言うことは聞かない!」と反抗してました。「法律を犯しているわけではないし、誰に迷惑をかけているわけでもない、だから罰せられることはない。僕は間違ったことはしていない。」と、遠くから腰を引きながら何度も何度も、言ったことを今も忘れられません。当然捕まったら羽交い絞められ往復ビンタという体罰が待っているからです。そうです、高校卒業まで父から逃げまくってました。


このような紆余曲折の上、日大芸術学部という失望と妥協による環境を勝ち取り、怒涛の8年間が始められたのです。そんな私をいつも見守ってくれた母は、「お父ちゃんは貴方が嫌いなんじゃないんだよ。自分が勤める国の法律やこの社会にある道徳だけではなく、久米家には久米家としての生きる道がある、ということを教えてくれているんだよ」と、ことあるごとに諭してくれました。そして「うちの家は安月給の公務員。間違っても海外の大学にやれるだけのお金はない。だからあなたの海外の大学は諦めなさい。その上で、どうしても海外の大学に行きたいと思うのなら、自分の子どもからそうするようにしなさい。だからといってあなたのやりたい事を子どもにやらせようなんてことは考えてはいけないよ。あなたのやりたい事は、あなたの孫から始められるように今から準備をすること。それがあなたに課せられた人生なんだから」と・・・。


母の言葉の、「子どもにやらせようとはしなさんな」は今や知らず知らずのうちに我が心から芽を出し、我が人生の核となって「子どもには僕の後を継がさない!」となり、「孫から始めるように」の「子孫」は第三企画の若いメンバーとなり、「300年後の子どもたち」になったのです。そして私に課せられた人生は、「300年後に生まれくる子どもたちに今以上の地球環境を残し行く」人生になったのでした。久米家の生きる道の訓(おしえ)として父母からこの体に叩き込まれた精神が論語の「己欲立而立人、己欲達而達人=己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達すべし」(自分がこうありたい、こうなりたいと思う事は、自分から人にやってあげなさい)であったことに気づいたのです。両親を誇りに思い心から感謝する次第。これからの我が人生は、父の人生、母の人生でもあるのです!

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 260号(2007)

「中庸・孟子」から学ぶ

「玄関の靴事件」「嘘事件」 の思い出
父の教え「やり始めたら最後までやれ」



『人一能之、己百之、人十能之、己千之。』  【中庸】
『有為者、辟若堀井。堀井九靱、而不及泉、猶為棄井也。』  【孟子】


編集の方から「お母さんに大変薫育されたのですね、ではお父さんついてはどうなのですか?」と問われた。父の教えと言えば「やり始めた事は最後までやれ!できるまでやれ!どこまでもやれ」と、そして決まってその後、「一丈の堀を超えられない者がなんで二丈、三丈の堀を超えられるか?ボケこらっ!」と、幼い頃から言われ続けられたことだろう。この言葉どおりのことを身を以て教えられたのだ。


それは、「玄関の靴事件」である。父が夕方家に帰って来た時、玄関の靴が揃っていなかった場合は容赦なく羽交い締めされ往復ビンタを頂いたものである。それはできるまで続けられた。もうひとつは、「嘘事件」である。家団欒の途中嘘がバレた。僕はすぐに「ごめん」と謝ったのだが、にもかかわらず父の顔は鬼と化していた。叩かれる痛さ、怖さにおびえて裸足のまま外に逃げだした。それからである、やっぱり父は逃げる僕を自転車で追いかけてきた。振り返ると父の姿が迫っている。とっさに僕は、畑に逃げ道を求めた。痛い足を我慢し一目散に走る。しかし父は父である、自転車を乗り棄て走って追いかけてきた。体格の違いは距離を縮めるのにそう時間はかからなかった。見事捕まり、総括されたのである。このように父は自らの行動を持って「やり始めた事は最後までやれ!できるまでやれ!どこまでもやれ!」と恐怖とともに教えてくれたのである。高校4年生の時、退学の道を諦め、恥を忍んで一年間通えたのもこの教えのお陰である。また、大学8年間に繰り返された退学の誘惑に負けずに屈辱の日々を乗り越える事ができたのも、父のこの一言と「人が4年で卒業ができても、お前はできないのだから倍の8年かかっても卒業しろ!学費は心配するな!」との言葉があったればこそである。いま第三企画を経営する日々においても、この二つの言葉はコトある毎に耳元で「ボケこら」と共に聞こえてくる。父の愛により高校・大学と12年間学ばさせて頂いたお陰で、父が学んでいたであろう一文と出会う事ができた。


それは、『人一能之、己百之、人十能之、己千之。』(中庸)「人一たびして之を能すれば、己れ之を百たび、人十たびして之を能くすれば、己れ之を千たびす」(他人が一度でよくするならば、自分はこれを百度する。他人が十度して成し遂げられるならば、自分は千度くり返してそれをする。)そしてもうひとつ、『有為者、辟若堀井。堀井九靱、而不及泉、猶為棄井也。』(孟子)「井を掘ること九靱にして、而も泉に及はざれば、猶お井を棄つと為すなり。」(いくら九靱の深さまで井戸を掘っても、泉のでる所まで掘らなければ、それは井戸を棄てたも同様だ。本当に事をやり抜く人は、井戸なら、水が出るまでは掘ることをやめないものだ。)


そんな父は、昨年他界してしまった。もう叩かれることもない。また、面と向かって教えてもらうこともできない。しかし、きっと父も生前机に向かい同じことを学んでいたんだ、と確信する自分がここにいる。この小さな発見が、今、尊敬する父と同じ行為ができているのでは、という安心感にもなっている。僕の父は、偉大な父であった。乗り越えることのできない大きな存在である。そんな父に出会えて、最高に幸せであった。天に感謝している。そして今日も父の息子として恥じない人生を歩もうと日々決意しながら生きている。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 259号(2007)

「三字経」から学ぶ

成人して理解した母の教え
「泥棒でもいい。日本一になれ」



『子不学 非所宜 幼不学 老何為』  『犬守夜 鶏司晨 苟不学 曷為人』

【三字経】


幼い頃、母から言われ続けられていたことに「とにかく、勉強はしなさい。成績の問題ではない。いいから本を読め!勉強しろ!」がある。小学生のころから国語は、“小学一年生”なる月刊雑誌に目を通すことを義務づけられていた。当然、嫌で嫌でたまらなかった。なぜなら、読んだ箇所の感想を言わされるからである。それがたまらなく、毎日、狭い家の中を逃げ回ったものだ。
我が家はそれだけでなく、小学校一年生から塾に通うことを義務づけていたのだ。学校を終えると仲間たちと遊ぶ事が何よりも楽しみだった時期に、一人塾通い。この苦しみたるや未だに脳裏から出て行ってくれない。この時に、「先生が風邪を引いているから」という見えすぎた嘘をつき塾を休む事を覚えた。同時に、嘘はバレるものだという事もこの身をもって分かることとあいなった。


その時に母がよく口にしていたのが、「犬だって役目を果たしているから食事にありつける。(当時我が家は、ブルというシェパード犬を飼っていた。お遣い、留守番、お迎え等々ができる利口な警察犬卒業生である)人間の世は、勉強しなければ生きていけないんだ」「例え泥棒でもいいから、二十歳になった時、胸を張って日本一になりました、と言えるようにしなさい」である。そんな母だからこそ、高校4年、大学8年が現実となっても成績について口にする事はなかった。その母から離れて東京にきて次の言葉と出会った時、幼き頃の日常と母の言葉が瞬時に、そして鮮明に蘇ったのである。


それは、三字経の『子不学 非所宜 幼不学 老何為』である。「子(こ)として学(まな)ばざるは宜(よろ)しき所(ところ)に非(あら)ず 幼(よう)にして学(まな)ばざれば 老(お)いて何(なに)をか為(な)さん」そしてもう一つ、『犬守夜 鶏司晨 苟不学 曷為人』「犬(いぬ)は夜(よる)を守(まも)り 鶏(にはとり)は晨(あした)を司(つかさど)る 苟(いやし)くも学(まな)ばずん 曷(なん)ぞ人(ひと)と為(な)さん」あの時の母の言葉は、成人を迎えるまでにしっかりと勉強をしておけ。でないと、社会人になった時価もできないぞ!との教えであった、と。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 258号(2007)

ある取引が原体験、RBA活動へ
日本不動産野球連盟主催
第三企画㈱ 代表取締役  久米 信廣



28歳まで塾を運営していました。自修指導塾といいます。知識の切り売りではなく、知識に至る背景に重きをおき、自ら考えを巡らせ知識に至らせるという指導法をとりました。23歳の頃からの挑戦です。この5年間にわたる教育活動によって、私は「子ども達」と「家族」と「住まい」は密接に関係しているとの確信を持ちました。子どもの人格形成の中核は、住まいにあるのです。家族の触れ合いの仕方と生活の在り方指導、それが即勉強というものになるというのが塾の方針で、それが塾の特徴でした。塾での指導の重点は、自然と、親子の関係性、家族の在り方の問題になっていきました。「21世紀母の会、父の会」を結成し、子どもの勉強と平行して活動しました。家庭訪問もそのための手段として活用しました。


私は、一方で、教育を生活の糧とすべきではないと強く考えていましたので、大学卒業をもって一旦活動を終えました。そして「住まい」に関係の深い不動産業(ひとりの塾生のお父さんが不動産会社を経営されていた関係上)のお手伝いをすることにしました。神奈川方面に二つの営業所を開設しましたが、今も忘れられないのが、当時の営業活動において起こったマンションの瑕疵事件でした。


4人家族の方にさる中古マンションを販売した時のことです。念願のマンションを購入して夢が叶ったとお喜びのご家族を見守り、引渡しを終えた後のことです。横殴りの雨で壁から雨漏りがあったとの一報がありました。「何とかしてほしい」と困り果て懇願するご家族に対して、その業者は「契約では見えない瑕疵についての責任はありません」との一言で処理を終えてしまったのです。この現実を目の当たりにした時、自分は何をしなければいけないのか、それまでもやもやしていたものが明確になりました。この出来事が第三企画誕生の引き金となったといえます。また、日本不動産野球連盟の目的である「不動産業界の繁栄と発展」もこの体験から生まれてきたのです。


私が目指している「平和」「幸せ」とは、「子ども達が笑顔で暮らせる世の中」です。舞台は、家庭であり、学校であり、会社がある社会です。そしてその舞台を支えているものが「住まい」であり「家族」なのです。何事もそうですが、脚本がドラマを形作るように、住まいが家庭を形作るのです。子ども達が笑顔で暮らせる住まいのために、業界の皆さんが社会生活を支える不動産業を営むのだという共通の意識をもつこと、そしてその意識を横糸にして連携していくことが必要だと感じたからです。日本不動産野球連盟が求めているものがここにあります。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 2010.12 313号

人材教育こそ発展の礎
東急リバブル㈱
取締役 専務執行役員 流通事業本部長  平元 詢二 氏



えきでんのたすきを三菱地所リアルエステートサービス勝間田様からいただきました。勝間田様はテレビの龍馬伝から岩崎弥太郎のお話をされたので、私は龍馬伝を人材育成というところから見たいと思います。


龍馬をはじめ幕末の志士たちは、自分の所属する藩の利害得失もさることながら、それを超えたところに日本のあるべき姿を求め、勉学をし、切磋琢磨し、行動もおこしました。藩を会社に置き換えれば、単に会社の業績を上げることに貢献するだけでなく、社員一人ひとりが自己実現のために成長し続け、それが社会全体の発展につながるから、そこに社員たるものの価値があるのではないでしょうか。幕末の志士の「こころざし」は、正に『「自己の成長とリバブルの発展」「社会貢献」を実現する』という当社の基本理念と軌を一にするものといえます。
手前味噌かもしれませんが、「リバブルの社員は違う」というお褒めの言葉を頂戴しています。これは、私どもが以前から取り組んできた「不動産のコンシェルジュ」育成という人材教育の効果が現れてきたものかもしれません。まだ道半ばというところですが、当社の理念に沿って、「お客様の満足と感動」を実現しようと努力しているところです。


「東急リバブルって、どんな会社」と問われたとき、売上高とか利益とかの数値だけでしか答えられないのはいかにも寂しい。ネットの普及で不動産仲介の仕事もずいぶん変わってきましたが、基本的にはフェース・ツー・フェースです。そして、不動産の仲介にとどまらず、衣食住のあらゆる分野でお客様のニーズに対応できるようにすべきでしょう。
フェース・ツー・フェースといっても、その相手がお客様だけというわけではありません。社内の上司、同僚、部下に対するコミュニケーションもこれが基本でしょう。最近、ややともすると面と向かって間違いを指摘しない上司、自分の思いをきちんと述べるより衝突をさけようとする部下を見受けます。何かにつけて目立つのを怖がる風潮があるように思います。根底に相手に対する関心と愛情があれば衝突してもこじれることはありません。そういう社員を作ることも大切な人材教育と考えています。


いずれにしても、幸せな世の中にするために日本を変革していこうと行動した坂本龍馬のように、強い気概をもって仕事に取り組む人材をどれだけ育てられるか、そこに会社や業界の明日があると思います。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 2010.11 312号

夢、感動の共有目指す
三菱地所リアルエステートサービス㈱
取締役副社長執行役員  勝間田 清之 氏



本年三月より、日本不動産野球連盟(RBA)顧問を仰せつかったご縁で、「えきでんコラム」に寄稿させて頂く事になりました。少々三菱グループの宣伝になるかもしれませんが、お許し願います。


福山雅治さんが坂本竜馬役を演じる、NHK大河ドラマ「竜馬伝」はご存知の方も多いと思います。坂本竜馬に関する話は沢山ありますが、岩崎弥太郎の視点から創られているのは珍しく、俳優の香川照之さんが豪傑な岩崎弥太郎役を演じているのも新鮮に感じます。岩崎弥太郎が三菱を興した実業家である事は、説明するまでもありませんが、弥太郎は、士族出身者が多い三菱の社員に対して、温和な顔つきでお客様に接する事を心がけさせるために店頭に掲げたという、「おかめの面」が現存します。
私たちは不動産という仕事を通じて、どうすればお客様お一人お一人に喜んでいただく事ができるか。幸せになっていただけるか。夢や感動を感じていただけるか。絶えずその答えを追い求めていますが、その根底にあるのは、私たち一人ひとりも仕事を通じて、夢や感動を共有できるような職場環境を育んでいく事だと思います。それは弥太郎の掲げた「おかめの面」に通じるかもしれません。


三菱地所グループのブランドスローガンに「街を、想う」とありますが、「街」に関わりを持ち、「街」を通じて社会に貢献するために、これからも「街」を舞台として、新たな価値創造や環境との共生に挑戦して行く姿勢や意思を集約しています。
丸の内という「街」には、様々な歴史が刻まれていて、幕末には、松平相模守などの大名屋敷がたちならんでいましたが、明治維新後は兵部省などが連なる政府所有地でした。それを三菱は政府より一括購入して、地震に耐える堅牢な事務所街を築き上げました。三菱一号館は、丸の内に建築された初めての西洋式事務所建築でした。幕末、土佐藩の海運業を任せられた岩崎弥太郎は、明治維新後に事業を引継ぎ、海運業以外にも造船、銀行、保険、不動産と様々な事業に着手、拡大させました。同時に岩崎家と三菱は、事業だけではなく、文化・芸術とも深い関わりを持ちます。
 

本年四月、丸の内という「街」に三菱一号館を復元した美術館がオープンしました。三菱一号館美術館では十一月三日まで、「三菱が夢見た美術館~岩崎家と三菱ゆかりのコレクション」が開催されています。 
丸の内という「街」は、煉瓦建築の並ぶ「街」から、高層ビルが建ち並ぶ「街」へと変革を遂げていますが、当初から既に将来の都市形成を思い描きながら創られてきたと思います。
 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 2010.10 311号

住生活の全てを視野に
法政大学社会学部教授  長谷部 俊治 氏


不動産流通は生活スタイルの転機と重なって発生することが多い。「住む」ことは人生のスタイルを築いていくことであるが、そのスタイルの転機(就職、結婚、転職など)と住宅の購入・賃貸とが重なるのである。つまり、住宅取引の満足感は、モノとしての住宅の良否だけではなく、コトとしての住生活の充足感によって大きく左右される。そしてその充足感は、個々人の価値観や生活歴、人生への期待や人間性によりまちまちなのである。


ところが、住生活の視点から住宅を評価するようなしくみは極めて不十分である。ライフスタイルにあわせて住宅を選択しようとすれば、情報の少なさ、選択の幅の狭さ、居住性と無関係に決められる価格水準等々の困難に直面する。あるいは、一つ一つ違うはずの住宅が実は画一的に供給されている。郊外のひな壇に並ぶ戸建住宅、私鉄駅近辺の低層賃貸住宅、都心の超高層マンションなどと分類して大きな誤りがないように、供給される住宅はワンパターンである。選択の余地がないのだ。特に、ファミリー向けの賃貸住宅ストックは貧弱であり、手軽に住み替えていく選択を難しくしている。このような情況にあるのは、住宅が資産として捉えられ、居住の場として尊重されるような文化が育っていないからであろう。人生を築く上で「住む」ことがいかに重要かが理解されていないのである。教育も福祉も、居住の問題抜きには考えられないにもかかわらず、である。


しかし、十年以上にわたる経済停滞を経験して、人々は、土地を所有することが豊かな生活を保障するわけではないことや、生活スタイルは自らが選択し、築くほかないことを確信するに至った。いまやニーズは、住宅というモノではなく、住生活というコトを豊かなものにする方向へとシフトしつつあると思われる。住生活サービスへのニーズが高まっているのである。
「住む」ことは、雨露をしのぐことから、家庭を営み生活の拠点性を維持することまで、生活のあらゆる局面を包含する。住宅は、衣・食・睡眠、労働(特に家事)、育児・教育、余暇・安らぎ、医療・介護、社交など幅広い活動の場となっている。だから、住生活サービスを提供するには、生活を丸ごと捉えるセンスを必要とする。そのようなセンスを磨いて、住生活の必要に応えるためのサービス技術を向上させ、生活全体を視野に入れたビジネスを展開することは、これからの社会を真に豊かなものにするうえで欠かせない仕事である。不動産流通業に、是非、その役割を担って欲しい。
 

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  • 引用 RBAタイムズ 2010.09 310号

安心・安全は当たり前
三井不動産販売株式会社 常務取締役  大井 健成 氏



先般の座談会の中で、第三企画の久米社長から、海外の不動産流通業にかかわる人に年配の方が多いというお話がありました。わたくしもその事は感じておりまして、実際米国で住宅流通に従事される方は圧倒的に年配の女性であります。お客様のお話に耳を傾け、アドバイスする、「住宅」といえども生活の為の手段に過ぎないわけですから、人生経験の豊かな人のほうがお客様とのリレーション作りには長けています。


商業施設事業を少しばかりかじった事のある私の身からしても、同じ流通業というくくりで見て同様のことが言えます。アメリカの五番街の北、セントラルパークのちょっと手前にバーグドルフ・グッドマンという超高級百貨店があります。このデパートのあるフロアーのフロアーマネージャー(当時はある日本人でした)がそのフロアーの販売員を募集したときの話です。さすが超高級デパート、たくさんの人が応募してきました。そして同じ五番街のサックスで長年経験を積んだ女性達を差し置いて選ばれたのは、メトロポリタンのキュレーター補佐の女性や、バークリー音楽院で勉強していた音楽家の卵だったり、小売経験ゼロの人たち。しかし彼女たちは最初の月から圧倒的な販売成績を残しました。
何故か?バーグドルフの顧客層、そのライフスタイルを考えたとき、お客様と会話ができリレーションが築ける人かどうかが問題だったのです。この逸話が示唆するのは、お客様との関係作りの重要性です。


どうしたらお客様の心を掴むことができるのか。我が不動産流通業界も成熟段階に入っていきます。もちろん安心・安全な取引は当たり前、プラスお客様の「根源的な欲求」にどれだけ迫る事ができるか、そしてその期待に応える事ができるか。お客様に近いところにいるという事が今ほど強みになる時代はありませんし、これからずっと同じ時代が続きます。新築と既存のマーケットヴォリュームが拮抗した昨年度を契機に、我々不動産流通業の新たなスタートとして努力していきたいものです。

 

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  • 引用 RBAタイムズ 2010.06 308号

不動産流通業への期待
国土交通省総合政策局 不動産業課長  海堀 安喜 氏



第三企画さんから新しい企画の話をうかがったときには、駅伝のように何人もの方々が次々と提言をしたいただく初回を依頼され、大変戸惑って、筆不精を言い訳に、執筆を延ばし延ばしにしておりました。そんな私の状況を察してか、えきでん企画座談会が催され、久米社長のRBA活動を創めた頃の熱いお話をうかがい、とりあえず、スタートさせることに意義があるのだと思い、寄稿させていただくことにしました。


私は、父親の転勤・退職、自身の結婚、転勤など、数えてみると、これまで、13回の引越しをしています。社宅などの借家住まいの引越しでも、荷造りなどに追われますが、新たに住宅を購入するとなると、さらに大変です。初めての経験は、父親の退職が契機です。一家4人が生活するためには、是が非でも、住む場所を確保しなければなりません。当時は、バブルの真っ只中。郊外に新たにできるマンションの広告を見つけては、申し込んだのですが、なかなか当選せず、新しい住宅が見つかるのか、ヒヤヒヤものでした。2回目は、父親が他界したとき、「狭くても、家族の近くに。」という母親の希望を踏まえ、住み替えをサポートしました。私のみならず、多くの人が、家庭の事情に応じて、それに合う住宅を探すところから、不動産取引は始まります。


個々の家庭の事情を踏まえ、それにあった住宅をアドバイスする。もちろん、計画的に、頭金を貯め、将来の生活設計を立てて、精力的に、不動産を研究されている方もいると思いますが、多くの方は素人で、とりあえず、生活できる広さと、通勤時間などを基準に、取得できる(返済可能な)価格しか、頭にありません。
普段、不動産取引に縁遠い消費者に対して、「引っ越してよかった。」と思える場所を斡旋できるかは、流通業者の営業マンに懸かっています。


毎日の買物や子供の学校、いざというときの病院、両親の介護など、これから巻き起こる様々な生活の変化を踏まえて、物件の選定を行い、資金(ローン返済)計画をサポートすることが、今、不動産流通業に求められているのです。高齢社会が進む中、「所有している住宅を、売却・賃貸しても、住み替えたい。」というニーズは、高まる一方だと思います。
不動産の有効活用、証券化、金融との連携が強まる中、不動産取引が、単なる「経済的な価値」の取引だけでなく、生活の生きがいや人生の価値をも左右するものだということが再認識される時代になっており、その業務に携わる方々に対する期待も、高まっています。ライフスタイルに応じて、『安心で信頼できる住宅』を提供する信頼できる産業へと発展することを、強く願っています。

 

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  • 引用 RBAタイムズ 2010.05 306号
 

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