久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

2007

好奇心と感動を胸に〈1〉

目が開いている間は歩み続ける
一本の道を自然に容認されるまで



思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。

 

魯迅「故郷」竹内好訳


四月は新入生新社会人が誕生する。桜は満開で(今年はもう散り始めてしまったが)世の中全てが自分を祝福してくれているように感じ、希望に胸をふくらます。今年の新社会人は約85万人という。押しなべてダークスーツに身をつつみ、新しい環境に身構えるかのように顔つきも引き締まった若者が街角にあふれる季節である。自分の将来はどうなるか、不安と期待が交錯するものの、夢は大きく、瞳は輝いている。しかしである。この新社会人が一年もしないうちに、ほんの数ヵ月のうちに「旧」社会人に吸収されていく。新しい環境に慣れてくるのとあわせて心と身体の緊張感が消えていく。なぜか?人は、二本の道のどちらを選ぶかで、その人の人生が決まる。これまで歩んできた一本の道が二本に分かれる時がくる。一本の道は「簡単で楽な道」、そしてもう一本の道は「厳しく苦しい道」である。熱き想いで自らの人生を捉え明確な目的を抱けていれば、目的に向かう明らかな道が見えてくる。私は、27年前に一本の道を歩きはじめた。これまで、自分の想いを書き散らし、書き溜めている。ここにちょうど10年前のエッセーがある。まだ若造だと言われつつも、新卒を大量に採用して10年近くたったときのものだ。


『目的地に行き着くまではこの歩みは止めない 誰に何といわれようと苦しくて嫌になろうと断じて歩みは止めない! 目が開いている間は歩み続ける 僕が選んだ一本の道だもの この道を歩くことが僕が僕であることの証明となるから 僕の先を歩く人がいるから 僕の後を歩いてくる人がいるから 瞬時たりとも歩みを止めることは出来ない 僕の歩みは周りにいる人の歩みだから 周りの人の歩みは、僕の歩みとなるから そして地球に住む生き物達の歩みとなっているから…この地球に息づく無数の生き物の歩みが僕を支えてくれている 僕を生かしてくれている 人間が自然に優しくではなく自然が人間に優しくしてくれている だから、僕は平和への一本の道を歩むことが出来る…この一本の道を与えてくれた自然に感謝しながら人間というこの命を与えてくれた自然に感謝しながら自然界から容認されている一本の道を自然と共に歩まん 人間の道という一本の道を自然に容認されるまで歩まん』(ヒューマンブックスVOl・2、1997年 9月)


「この10年間、お前は成長がないではないかといわれそうだが、目的としたものに向かって歩む姿勢が変わらないからこそ今でも自分自身は「新」社会人の緊張感を持ちつづけていられると胸を張れる。今回からこのコラムのタイトルを「道」としたゆえんである。

 

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  • 引用 RBAタイムズ 254号(2007)

「言志四緑」から学ぶ

一本の道を示してくれた菜根譚
常に人に一歩譲ること



「世を渉るの道は、得失の二字に在り。得べからざるを得ること勿れ。失う可からざるを失うこと勿れ。此くの如きのみ。」

【言志四録】


幼いころから母親に、事あるごとに、「得失は出来事にあるのではなく判断にある」といって聞かされてきた。指導者のためのバイブルと言われる言志四録にも、「世を渡る道は、得と矢の二字にある。得てならないものは、得てはならないし、失ってはならないものは失うべきではない。これが世を渡るための基本である。」とある。しかし、「どうやったら、得てはならないものを得ないでおけるのだろう?」また「どうすれば、失ってはならないものを失わずにすむのだろう?」それが出来れば、この人生これ程楽なことはない。そんな妙手はあり得ない、とは思いつつも心のどこかで「もしや」との気持ちも消すことも出来なかった。それはそうである。判断を誤ると得は失にかわることになり、失は失のまま終わるのである。これほど厳しいことはない。これが人生の本当の姿であろう。自らの判断で自ら不幸を招き寄せ、日々を振り回される人生。そんな厳しい日々が続く人生にならぬよう、一本の道を示してくれたのが以下にある菜根譚の一文である。


『世に処しては、一歩を譲るを高しとなす。歩を退くるは、即ち歩を進むるの張本なり。人を待つに、一分を寛くするは是れ福なり。人を利するは、実は己を利するの根基なり。』

(世渡りをするには、人と先を争うことをせずに、常に人に一歩を譲って控え目にするのが、自分の人格を高尚にする所以の道である。その一歩を譲り退くということは、これとりもなおさず、数歩を前進さす伏線ともなるものである。人を待遇するには、厳格に過ぎてはよくないので、一分ほどは寛大にすることが、これやがては、自己の幸福をもたらす所以の道である。このように、人に利益を得させることは、つまり自己を利するための土台となるものである。)


私はこの道に沿って、得は失にかわらないように、失は失のまま終わらないように、歩んでいる。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 255号(2007)

「近思録」から学ぶ

母の教えを想い出させた近思録
心に主人公を持つこと



「心に主人公を持つことだ。なにが主人公になるのか。敬である。」

【近思録】


幼い頃、母から教わったことに、「自分の心に従って大事なものを決めてはいけない。なぜなら、自分の心ほど当てにならないものはないからだ。」がある。そう教えられているにも関わらず、自分の心を当てにし、自分の心に従い、自分の心を信じ数々の後悔をする羽目になった。この経験から、『心』と『心の働き』は違うことに気付かされた。こんなことがある。「好き」と思っているのに、何かの出来事(=外部との接触)により全く反対の「嫌い」を口にする。この場合の「好き」が『心』で、何かの出来事により口にする「嫌い」が『心の働き』である。このように私たちの『心』がどれだけ正しいと判断しても、想定外の何かの出来事がきっかけで、その判断の変わる可能性は高いということである。確かに、「人と先を争わないように」を心がけても、外部との接触により顔をもたげる負けず嫌いに押し切られた自分がいた。また、「常に人に一歩を譲って控えめに」を実践しようとしても、知らず知らずのうちに人の前に立つ自分に手を焼いたこともある。これまで、心に固く決意すればするほど同レベルの『心の働き』に邪魔されて思うように行かない自分がいたのである。


そんな時以下の文に巡り会うことができた。
「曇りのない鏡がここにあった場合、万物は全てそれに映るが、それは鏡の常態である。鏡に物が映らないようにさせるのは、むずかしい。人の心は万物に感応しないわけにいかない。心に思慮させまいとすることは、むずかしいものだ。それを免れたいなら、心に主人公を持つことだ。なにが主人公になるのか。敬である。」【近思録】


心の働きをコントロールする道具は、「心に主人公を持つこと」だった。この文章に出会って、それまでの自分は全く逆の「自分の心を主人」としてきたことに気付いたのである。それからは「自分の心を主人」とすること無く、「心の主人」を抱き日々の業務にあたり現在を迎えることができている。感謝!

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 256号(2007)

「三字経」から学ぶ

成人して理解した母の教え
「泥棒でもいい。日本一になれ」



『子不学 非所宜 幼不学 老何為』  『犬守夜 鶏司晨 苟不学 曷為人』

【三字経】


幼い頃、母から言われ続けられていたことに「とにかく、勉強はしなさい。成績の問題ではない。いいから本を読め!勉強しろ!」がある。小学生のころから国語は、“小学一年生”なる月刊雑誌に目を通すことを義務づけられていた。当然、嫌で嫌でたまらなかった。なぜなら、読んだ箇所の感想を言わされるからである。それがたまらなく、毎日、狭い家の中を逃げ回ったものだ。
我が家はそれだけでなく、小学校一年生から塾に通うことを義務づけていたのだ。学校を終えると仲間たちと遊ぶ事が何よりも楽しみだった時期に、一人塾通い。この苦しみたるや未だに脳裏から出て行ってくれない。この時に、「先生が風邪を引いているから」という見えすぎた嘘をつき塾を休む事を覚えた。同時に、嘘はバレるものだという事もこの身をもって分かることとあいなった。


その時に母がよく口にしていたのが、「犬だって役目を果たしているから食事にありつける。(当時我が家は、ブルというシェパード犬を飼っていた。お遣い、留守番、お迎え等々ができる利口な警察犬卒業生である)人間の世は、勉強しなければ生きていけないんだ」「例え泥棒でもいいから、二十歳になった時、胸を張って日本一になりました、と言えるようにしなさい」である。そんな母だからこそ、高校4年、大学8年が現実となっても成績について口にする事はなかった。その母から離れて東京にきて次の言葉と出会った時、幼き頃の日常と母の言葉が瞬時に、そして鮮明に蘇ったのである。


それは、三字経の『子不学 非所宜 幼不学 老何為』である。「子(こ)として学(まな)ばざるは宜(よろ)しき所(ところ)に非(あら)ず 幼(よう)にして学(まな)ばざれば 老(お)いて何(なに)をか為(な)さん」そしてもう一つ、『犬守夜 鶏司晨 苟不学 曷為人』「犬(いぬ)は夜(よる)を守(まも)り 鶏(にはとり)は晨(あした)を司(つかさど)る 苟(いやし)くも学(まな)ばずん 曷(なん)ぞ人(ひと)と為(な)さん」あの時の母の言葉は、成人を迎えるまでにしっかりと勉強をしておけ。でないと、社会人になった時価もできないぞ!との教えであった、と。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 258号(2007)

「中庸・孟子」から学ぶ

「玄関の靴事件」「嘘事件」 の思い出
父の教え「やり始めたら最後までやれ」



『人一能之、己百之、人十能之、己千之。』  【中庸】
『有為者、辟若堀井。堀井九靱、而不及泉、猶為棄井也。』  【孟子】


編集の方から「お母さんに大変薫育されたのですね、ではお父さんついてはどうなのですか?」と問われた。父の教えと言えば「やり始めた事は最後までやれ!できるまでやれ!どこまでもやれ」と、そして決まってその後、「一丈の堀を超えられない者がなんで二丈、三丈の堀を超えられるか?ボケこらっ!」と、幼い頃から言われ続けられたことだろう。この言葉どおりのことを身を以て教えられたのだ。


それは、「玄関の靴事件」である。父が夕方家に帰って来た時、玄関の靴が揃っていなかった場合は容赦なく羽交い締めされ往復ビンタを頂いたものである。それはできるまで続けられた。もうひとつは、「嘘事件」である。家団欒の途中嘘がバレた。僕はすぐに「ごめん」と謝ったのだが、にもかかわらず父の顔は鬼と化していた。叩かれる痛さ、怖さにおびえて裸足のまま外に逃げだした。それからである、やっぱり父は逃げる僕を自転車で追いかけてきた。振り返ると父の姿が迫っている。とっさに僕は、畑に逃げ道を求めた。痛い足を我慢し一目散に走る。しかし父は父である、自転車を乗り棄て走って追いかけてきた。体格の違いは距離を縮めるのにそう時間はかからなかった。見事捕まり、総括されたのである。このように父は自らの行動を持って「やり始めた事は最後までやれ!できるまでやれ!どこまでもやれ!」と恐怖とともに教えてくれたのである。高校4年生の時、退学の道を諦め、恥を忍んで一年間通えたのもこの教えのお陰である。また、大学8年間に繰り返された退学の誘惑に負けずに屈辱の日々を乗り越える事ができたのも、父のこの一言と「人が4年で卒業ができても、お前はできないのだから倍の8年かかっても卒業しろ!学費は心配するな!」との言葉があったればこそである。いま第三企画を経営する日々においても、この二つの言葉はコトある毎に耳元で「ボケこら」と共に聞こえてくる。父の愛により高校・大学と12年間学ばさせて頂いたお陰で、父が学んでいたであろう一文と出会う事ができた。


それは、『人一能之、己百之、人十能之、己千之。』(中庸)「人一たびして之を能すれば、己れ之を百たび、人十たびして之を能くすれば、己れ之を千たびす」(他人が一度でよくするならば、自分はこれを百度する。他人が十度して成し遂げられるならば、自分は千度くり返してそれをする。)そしてもうひとつ、『有為者、辟若堀井。堀井九靱、而不及泉、猶為棄井也。』(孟子)「井を掘ること九靱にして、而も泉に及はざれば、猶お井を棄つと為すなり。」(いくら九靱の深さまで井戸を掘っても、泉のでる所まで掘らなければ、それは井戸を棄てたも同様だ。本当に事をやり抜く人は、井戸なら、水が出るまでは掘ることをやめないものだ。)


そんな父は、昨年他界してしまった。もう叩かれることもない。また、面と向かって教えてもらうこともできない。しかし、きっと父も生前机に向かい同じことを学んでいたんだ、と確信する自分がここにいる。この小さな発見が、今、尊敬する父と同じ行為ができているのでは、という安心感にもなっている。僕の父は、偉大な父であった。乗り越えることのできない大きな存在である。そんな父に出会えて、最高に幸せであった。天に感謝している。そして今日も父の息子として恥じない人生を歩もうと日々決意しながら生きている。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 259号(2007)

「論語」から学ぶ

父母の教え 我が人生
大学まで父から逃げ惑った



「己欲立而立人、己欲達而達人」     【論語】


僕が高校3年生を前に「どこの大学でも行かせてやる」との父の言葉を信じ、これからの時代大学行くのなら海外の大学。そう心に決めイギリスとアメリカから願書を取り寄せました。いよいよ願書提出をしようと、自信と期待を胸に元気いっぱい父に向かいました。しかし、父は「確かに大学は何処でもいいと言った。だからといって海外の大学でいいとは一言も言ってない。日本の大学でなければ駄目だ。しかも法科。それ以外は絶対に許さない。行くのは一校だけなのだから、受ける大学は一校だけで十分!それ以外は駄目だ!」と一喝。自分が検察庁に勤める価値観をもって私の力説する将来の話にも大学の話にも、一切耳を貸してはくれなかったのです。


私は「海外の大学に行けないのならい今すぐ仕事をした方がましだとある時は友達のところに転がり込みガソリンスタンドでアルバイトを始めたり、またある時は喫茶店のマスターの家に転がり込むというように何度も家出を試みました。そのたびに父の手がまわって婦人警官の一斉捜査の前に見事に補導され連れ戻されてしまったのでした。このようにして高校を卒業する19歳まで、家庭という強制収容所みたいな環境で育てられた私には非行に走ることの自由も与えられていなかったのです。父にたいして申し訳ないことだと反省していますが、よく「国家権力の犬の言うことは聞かない!」と反抗してました。「法律を犯しているわけではないし、誰に迷惑をかけているわけでもない、だから罰せられることはない。僕は間違ったことはしていない。」と、遠くから腰を引きながら何度も何度も、言ったことを今も忘れられません。当然捕まったら羽交い絞められ往復ビンタという体罰が待っているからです。そうです、高校卒業まで父から逃げまくってました。


このような紆余曲折の上、日大芸術学部という失望と妥協による環境を勝ち取り、怒涛の8年間が始められたのです。そんな私をいつも見守ってくれた母は、「お父ちゃんは貴方が嫌いなんじゃないんだよ。自分が勤める国の法律やこの社会にある道徳だけではなく、久米家には久米家としての生きる道がある、ということを教えてくれているんだよ」と、ことあるごとに諭してくれました。そして「うちの家は安月給の公務員。間違っても海外の大学にやれるだけのお金はない。だからあなたの海外の大学は諦めなさい。その上で、どうしても海外の大学に行きたいと思うのなら、自分の子どもからそうするようにしなさい。だからといってあなたのやりたい事を子どもにやらせようなんてことは考えてはいけないよ。あなたのやりたい事は、あなたの孫から始められるように今から準備をすること。それがあなたに課せられた人生なんだから」と・・・。


母の言葉の、「子どもにやらせようとはしなさんな」は今や知らず知らずのうちに我が心から芽を出し、我が人生の核となって「子どもには僕の後を継がさない!」となり、「孫から始めるように」の「子孫」は第三企画の若いメンバーとなり、「300年後の子どもたち」になったのです。そして私に課せられた人生は、「300年後に生まれくる子どもたちに今以上の地球環境を残し行く」人生になったのでした。久米家の生きる道の訓(おしえ)として父母からこの体に叩き込まれた精神が論語の「己欲立而立人、己欲達而達人=己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達すべし」(自分がこうありたい、こうなりたいと思う事は、自分から人にやってあげなさい)であったことに気づいたのです。両親を誇りに思い心から感謝する次第。これからの我が人生は、父の人生、母の人生でもあるのです!

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 260号(2007)

ナンバーワンとオンリーワン

存在自体がオンリーワン
勇気を出そう 道は開ける


ナンバーワン
ナンバーワンを目指せと
高い目標を掲げろと
目標達成に励めと

成功のため、成長のため
遠い目標に向かって今日一日を生きよ

計画に沿って確実に
しかし、現実の日々において蹟くのは
弱点と、不得意部分

誰に言われなくても
どうしてもその部分が気になる
だから見つめなおす

弱点と欠点と弱い意志
忘れまいと、念を押す
いつでも、どこでも、何事においても駄目だと

成功と幸せと充実を目指しているにも拘らず
一回しかない今日一日
自己の否定に精をだす

自分の得意を知ることなく
自分の強みを知ることなく
これが、ナンバーワンを目指す実態?


オンリーワン
ナンバーワンを奨励しながら
オンリーワンも賛美している
最初からこの世に同じものは二つと無いにも関わらず

今いること自体がオンリーワン
この世に生を受けた時点でオンリーワン
人と違ってこそ貴方、それでこそオンリーワン

しかし、いつも周りと比較され
負けるな!がんばれ!

しかし、この世は勝者のいない競争社会
舞台は絶えず新しい主役を用意する
いつの世も勝者は期間限定のものでしかない

まさに入れ替わり、立ち代われるのがこの社会
だからこそ、だれでも出来るということになる
なんであれ特別なものは存在し得ないようになっている

だからこそ、自らを殺すことを教えられ
コミュニケーションの大切さを教えられる
貴方を自信喪失にするために……

そんなことに振り回されず
自分に対する無理な要望を止めてみよう!

勇気を出して止めてみよう!
きっと、きっと道は開けるから

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 261号(2007)

人生の理想

止まれ 現代人!
“インスタントに頼るな”



人生の理想、持ってますか?
私たちは、飲まなければ生きられない
食べなければ生きられない
そして、呼吸しなければ生きられない

しかし多くの人は、これらのことを忘れ
健康のためといい、体を鍛える運動を心がける
(排気ガスが充満する車道を、走る人たちがいる)
それに飽き足らず、サプリメントづくしの日々?
(ダイエットなのか食事を制限しながらの栄養剤)

これらに走る人達は、要注意!

さては、肉体だけが成長した人達なのか?
考えることを忘れた人達なのか?
それとも完全に消費者としてプログラムされた人達なのか?

とはいっても………健康への不安は少ない
それなりに、充実する日々を過ごしてはいる
もちろん、大事な事や、重要な時は考え判断を下している
しかし、時折心の隙間に襲い来る不安と空虚の正体は何なのか

身体だけ鍛えれば、目的とする栄養だけを摂取できれば
何事も簡単に手にできればと、インスタント情報の吸収に走る
形があり、目に見えるモノから得られるエネルギーには限りがある…

止まれ現代人!
一回しかない人生を、生きていくエネルギーをお持ちですか?
そして、その正体をご存知ですか……


欲望・目的は外からやってくる
私達人間は、不幸になる為に努力できる生き物でもある
また、周りから不幸といわれても幸せと言える生き物でもある

そんな私達は、努力する事は知っている
そして、競争する事も知っている
だからこそ、他人と比較して生きられる

現に、今も生きている

そこで知らなければならない事がある
私達は、一人では何も出来ない生き物だという事

私達は知らないものを欲しがることができない生き物
また、経験しないものへの目的を持つ事もできない生き物
そんな私達の日常は、インプットしたモノのアウトプット作業

入れたモノ以外は出しようが無い
だから挨拶で分かる、身なりで分かる
態度で分かる、表情で分かる、言葉遣いで分かる

そう私達は、口・目・耳・鼻・肌からしか入れられない
食べ物にこだわるように、見るものにもこだわってあげよう!
聞くものにも、香りにも、身体全体にもこだわってあげよう!
その時、果たして今と同じ人たちが貴方の周りにいるだろうか?
「友は第二の我なり」(アリストテレス)とは至言である

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 262号(2007)

“自分”とは “人生”とは

原点に還るときかもしれない
人生はギャップの中にある



「ちょっと考えて」見て下さい
さて貴方は、自分の「自」をどう読んでまずか?もし「自(=みずか)ら」と読んでいたら矯正する必要があるのかも?なぜなら、自らと断定すると何事も自分で決めていい事になるからです。

何を知ろうとするかは自分次第。何を経験するか決めるのも自分次第。これだと、みんな自分の好きにしちゃいますよね。主体である本人がいかなる存在かに関係なく、その時々に他人と比較し欲しいもの、好きなものを入れる。果たしてこれで幸せになれると考えられますか?

前号で人生とは、インプットしたもののアウトプットであると……。教育は学校にお任せ、生活費はご主人頼り、そして自分は若作り。嫌な事には顔を出さず、資格に実力をすり替え、自分は趣味に走る。こんな現実は、どんな自分を基準にしたら可能になる?そもそも、形あるものにはそれぞれの機能がある好きなもの、欲しいものを組み合わせれば機能不全を招く事も。そう私たちの言う「不幸」とは、この機能不全に他ならない。

止まれ現代人。本来、自分の自とは「自(=みずか)ら」ではなく「自(=おの)ずから」だった。

そして「分とは、分け与えられた性質・身の程・力量(=分)」を指す言葉である。これらから、自分とは分際(=その人に応じた限界身の程)の異名となる。自分とは、もとから持っているものの(在り方の)ままということ。だとすると、そろそろ原点に還る時かもしれない…。「ヒューマンブックス」(第三企画発行)より転載


せめぎあい
生きること。
それは、「理想と現実」と「理論と事実」。この「せめぎあい=鬩ぎ合い」である。そして「鬩ぐ」とは「(あらそう)に、(子ども)」による会意文字。漢字を結合し、それらの意味を合わせて書き表す方法。

「信」とは、「人」と「言」を合わせた会意文字。=疑わずに本当だと、心の中に強く思い込むこと。同様に「鬩」とは「ゆずらない、こども」である。私たちの人生は理想と現実のギャップの中にある理論と事実のギャップの中にある誰にも心当たりがある。それは、嘘をついた事。真実を言わなかった事。

ということは…私たちの眼前に現れる「事実と現実」果たしてそれは「真実」と言えるのか?理想とは、「考えられる限りのもの」である。理論とは、「事実による体系的知識」である。

ちょっとまった!現代人の「人生」って……?真実を無視した観念の遊戯?
「ヒューマンブックス」(第三企画発行)より転載

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 263号(2007)

家族

僕の人生(一回しかない人生今在る恩)


家族は私そのものである。

父は厳しく
居心地はよくはなかった
母はうるさく
気の休まる時がなかった
しかし、いつもちゃんと居場所はあった

よく喧嘩し助け合いもした
世界で二人しかいない兄弟
仲良くする事が人生の役目と育てられた

そんな家族があってこその僕である

父・母には、
人類と平和の為に生きよ!と育てられた
武士の子らしく生きよ!と
見えない糸で縛られ続けたそんな日々の積み重ねが、
第三企画の出会いをもたらせてくれた

だからこそ
今まで、家族に大切にしてもらった分
ずっと、家族を大切にしている

そんな矢先、父は天に還ってしまった
父からしてもらった恩返しは、まだできていない
だからこそ、墓前で300年後への恩返しを誓った
きっと父も分かってくれるはず、と信じて

これからも今まで以上に全力で生きる!
父の教えを左手に、母の教えを右手に
一回しかない僕の人生を

人類の幸せのために…
世界の平和のために…
今、第三企画に集うすべての家族のために……
それが僕の人生のすべてだから……


 

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  • 引用 RBAタイムズ 264号(2007)

“何のため”

何万年もの前から受け継がれきた命


僕の命
僕は、幸せにも人間に生まれきた
たくさんある命の中、人間の生を受けることができた
この世は連関の世、ならば必ずこの命には意味がある

僕の命は、何万年もの前から受け継がれきた命
決して僕一人のものではないと受け止めている
だから、命ある限り感謝あるのみと生きてきた

ある時までは、
何万年もの間つないでくれた人達に対して感謝の毎日であった

そしてある時から、300年後に生まれくる子ども達に対しての想いの日々となった
感謝は、有り難いことへの御礼から、
今ある命の使い方(使命=報いる日々)へと昇華した

僕は、食事しなければ生きていけない
沢山の草木や動物達の尊い命により生き存えている
僕のために草木と生まれ、魚と生まれ、動物と生まれ、
今僕となっている

今の僕は、そんな動植物達へ感謝しなければならない
動植物達からもらったこの命、
今も生きられているこの命
どんなことがあっても無駄にしてはならない!

その想いが僕に「何のため」の哲学を贈ってくれた
そして
僕の命を生き存えさせてくれている動植物達のためにも
僕は幸せにならなければならない、と想えるようになった

だからこそ、その幸せは永遠に崩れないものでなければならない!
だからこそ、他人の不幸の上に幸せを築いてはならない
だからこそ、周りの人達の幸せの上に自らの幸せを築かなければならない

そこから僕の命は、
「人の前に明かりを灯す」日々となった
そして、「人による」との哲学も形を成してきた
そして、「共鳴」のエネルギーが
第三企画を誕生させてくれた

そんな第三企画は、君との出会いをもたらせてくれた

だから僕は、君の幸せのために生きる
それが僕の命となってくれた、動植物達へ報いることと信じられるから……
僕の命をつないできてくれた人達のために報いることと信じられるから……

君の幸せが、君の家族の幸せを創り、
社会、国、世界の幸せを創る原点だから
僕の命は、君の幸せのために在る
それが僕の「何のため」だから

今日も、君の前に明かりを灯しゆくのだ!
だから今日も、明るく、元気に、朗らかに
僕の生命は、平和に向かう行動者であり続けるのだ!


 

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  • 引用 RBAタイムズ 265号(2007)

父の言葉”

“求めて得たものでないからこそ本物”


流れのままに生きる
今も耳に聞こえる父の、言葉
 とにかく、やることだ!
 やる限りには興味を持ってやれ!
 自分の力無さを、思い知らされるから!

何度も同じ事をしていると怒られた
 なんで工夫しない!同じ経験するんだったら、工夫しろ!
 「こうやっていこう!」と思わないのか?阿呆か!馬鹿なら馬鹿になってみろ!
 同じ事をやるのは、愚か者のすることだ!
 的を外してもいい、遅くてもいい
 同じ事を新しいやり方でやってみろ!

眼鏡から目をはみ出しながら
鬼の形相で機関銃の如く

そんな父が恐くて、無我夢中でやってきた
すると知らないうちにこんな僕になってしまった

今も父は僕の身体に染み付いている
 誰の真似をするのでなく
 自分らしくやり切ること
 それをやれば、やるほど
 自分を主張する事だから

またある時
 無我夢中でやっているのはいいが
 お前は、何のためにやっているんだ!
 やる事が目的なのか?どうなんだ!と言われてきた

やるせなかった
思いの持っていき場所がなかった
ただ母の優しさが身にしみた

そんな父は今僕の身体に生きている
 やる限りには、ただやるな!
 目的を見据え最短を走れ!
 何時もその為の工夫をしろ!

 人生に無駄はない
 経験できるものはすべて自分のため
 それを信じること
 その生き方が、自分を信じる事であり他人を信じる事

 人間が生きるということは
 相手を大切にする事であり
 目の前の人を大切にすること

そして現在
「人の前に明かりを灯す」第三企画の経営に全力を尽くしている
「求めて得たものでないからこそ本物」
これからも育てられたように、全力で久米信廣を生き抜いて征く


 

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  • 引用 RBAタイムズ 266号(2007)

“諸行無常”

与えられた寿命を価値あるものへと転換しゆく


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の世の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。」

【平家物語】


人生、諸行無常の先を目指して
私達の社会生活には家族が在り、会社が在り、仲間が在る。
そしてすべては諸行無常である。


時は家庭内の変化を招き寄せ、会社では定年を運んでくる。仲間は、時のうつろいとともに自らの意思に反し入れ替わる。世間では、存在する万物で変わらないものはない。古来より言い伝えられてきた「万物流転の法則」がこれである。建物は壊される為に建ち、人は別れる為に出会いがあり、会社における幹部は変る為に就任する。個人の生活でいえば、今に全力する人にもやがて人としての魅力はなくなり、目先の成果に集中する人に目指す未来は訪れない。ましてや家庭だけの人に、社会的な充実と個人的な満足は遠のいていく。


人生における悟りとは、諦念とは、諸行無常を受け入れることである。だからといって、ハイそうですかと言っていられないのが人間である。それがゆえに、もがき苦しみ、工夫しながら生きるのである。その結果、自分の立ち位置を見失い、彷徨う人が後を断たないのも事実である。今を失わないために今にしがみつき、雑念を払いのけようと耳を塞ぐことに全力を尽くす。未来の事など気にする暇はなく、ただひたすら今の帳尻を合わせることに勤しむ。そして先行き不安を隠したまま今を生きる。


しかしである。定年も、結婚も、家庭も、仲間も、人生という寿命までは長くない。だからこそ、せめて寿命までの日々の充実を目指そうと私は決意している。第三企画もRBAも、そんな諸行無常である人生を充実させるために天が用意してくれたものであり、そこでお会いする皆様方との出会いは天が用意してくれたものと解釈している。これまでお会いいただいた皆様方、そしてこれからお会いさせていただくことになる皆様方に改めてよろしくと申しとげる次第。これからも全力で、一回しかない人生という与えられた寿命を価値あるものへと転換しゆくために、僕は頑張ります。

 

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 267号(2007)

「番外編」

経験していない反応はあり得ない


一を識りて二を知らず
(一つのことだけを知っていて、その他のことを知らない。知識や考え方が極めて狭いたとえ)

【荘子】


性格は変えられない?!
性格は変えられない!と言われ
性格は変えられる!とも言われている

そもそも性格の「性」とは、心が立っている状態の生
人が起きている間に(物事に出会う度に)働く心の働き
その働きが他の人と比べて際立つ様を見て私達は性格と言っている

総じて性格とは、
「その人が生まれつきもっている感情や意志(性質)などの傾向」
と辞書に書かれるようになった

そして、「三つ子の魂百まで」とも言われている
幼児の性質は一生変わらないものだという

ここでいう性質は、言動に現れるその人に
備わったものを指している言動であるから、
その人の発する言葉と行動である
それらは、出会いごとにその身体の内から
湧き上がりくるものである

とする性格とは、
経験による反応と言い換えてもおかしくはない
ここで大事な事は、
「経験していない反応はあり得ない」
正に荘子して「一を識りて二を知らず」と
言わしめる如くである

経験していない反応はあり得ない
だから性格はひとつしかない
それを、人は変えられないという

もうひとつの性格を知りたければ
新たな経験をすればいい…
ただそれだけで性格は新たになる


 

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  • 引用 RBAタイムズ 番外編1(2007)

「番外編」

他方を知っていて一方を知らない


一を識りて二を知らず
(一つのことだけを知っていて、その他のことを知らない。知識や考え方が極めて狭いたとえ)

【荘子】


続・性格は変えられない?!
「心に善悪有りや否や」との問いに答えた興味深い言葉がある

「天にあてはめれば『命』といい、
 物にあてはめれば『理』といい、
 人にあてはめれば『性』といい、
 一身にあてはめれば『心』という

 このように実質は、一つである
 心は元来が善でありそれが心の働きに現れると
 善ができ不善ができる
 心の働きが外に現れる場合は、
 “情”という事はできても“心”とはいえない
 例えば、水は水といえるだけである、
 しかしそれが流れ出し支流を作り東や西に行ったりすれば、
 水といわず“流れ”と言うようなものである」

私達がいう性格とは「感情や意志」を指している
感情とは、喜び悲しむ心の働きであり
意志とは、積極的に目指す心の働きである

ここで早くも性格は、二つに分かれている
荘子のいう「一を識りて二を知らず」とは
一方だけを知っていて他方を知らないことを戒めた言葉である

ということは、他方を知っていて一方を知らないこともある
いわゆる「性格を変えられない」
と言っている人は他方に明るく、一方すなわち自分に暗い人なのかも知れない

この場合においても「性格は変えられない]というでは、
もう一方を知ればどうなるのか?新たな性格が現れてくるということにならないのか

さて貴方は、今も 「性格はひとつ」と想いますか?


 

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  • 引用 RBAタイムズ 番外編2(2007)