久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

2008

2008年「善進する第三企画」

過剰な自我を出さない
それが自分自身を生きること


論語「子罕第九」に「子絶四、母意、母必、母固、母我=子四を絶つ。意母(な)く、必母(な)く、固母(な)く、我母(な)し」とある。すなわちこの四つは、①主観的な私意②必ずやり通そうとする無理押し③頑固に自分を守り通そうとするかたくなさ④自分のことだけを考える我執―――である。孔子は常人の陥り易い四つのものを断ち切って、きわめて円満であったという。


私たち現代社会を生きるものとしては、耳の痛い話である。なぜなら私たちの目の前に氾濫しているネット・書物などにおける情報の多くは、①欲しいものを手に入れなさい。その方法は… ②夢をでっかく持つべきである、そして夢を追いかけなさい③何であれ内容問わず主張しなさい、主張することは個性的である。だから個性的でありなさい④とにかく頑張りなさい、頑張らなければ負け組となりますよ―――以上の四つそのものである。まさに私たちの人生とは、「意に起こり、心に遂げ、固に固まって、我に成る」である。ここでいう「意」と「必」は事前に位置し、「固」と「我」は事後に位置している。すなわち私たち自分自身の生は、「意と必」「固と我」の中間(=自分)に位置(=自身)しているということである。そして、そのサイクルによって形成される「我」が新たな「意」を生じさせるという人生のスパイラルの上に展開されているということでもある。日々忙しく過ごすこの繰り返しの積み重ねが、私たちの人生を作っているのである。


ゆえに第三企画では、①人は変化し成長もするが、何かの目標や方向に向かって成長や進歩を遂げるというわけだけではない②生きるということに過剰な自我を出さないことが第三企画における「品位」である―――と定め、日々の経営に臨むものである。なぜなら、私たち人間の「夢や目標」を追いかけ過ぎる行為は、現実という今から眼を反らすことにつながりかねない危険性を孕んでいるからである。当然、個人においても、そんな挑戦する自分の感情に飲み込まれ(自分の感情を過大評価し過ぎて)自分自身を見失うことになりかねないからである。そんな私たちが暮らしている世の中は、決着のつかない出来事・感情ばかりといっても過言ではない。だからこそ、自分を優先させないことが自分自身を生きることにつながるという逆も成り立つのである。
それが2008年第三企画が「善進」を掲げ「自分自身」に生きる理由である。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 270号(2008)

不易流行の日々①

来る者拒まず去る者追わず!
そして、来る者に希望を 去る者に幸運を!



会社を経営していると、人の心が移り変わることはごく当たり前に経験することである。ある時、そんな生々しい現状を消化できなくて母に相談した。その時の話しで今も覚えている言葉が「去る者追わず」である。


「死生命あり、富貴天に在り(人間の生も死も、はたまた貧富、貴賎も、すべて天命であって、個人がどうすることも出来ないものだ)」(論語)とは、悪い兄をもった司馬牛の嘆きに対して子夏が悟した言葉である。人間は動物の一種、動く生き物である。しかし身体だけではなく、心の状態までもが動き回ってしまうから困ることになる。その「動き回る心の状態」を「気持ち」という。決意する不動の心とは別に、目に接するモノによって変わりゆく心の表れようが気持ちである。宣伝文句ではないが、「分かっちゃいるけど止められない!というねじれ現象。心で固く決めただけに、止められない言い訳をさがす自分の気持ちに腹が立う。誰もが少なからず経験することである。


そんな私たちは手にできないと分かりながらも、お金に囚われ、車に囚われ、地位に囚われ、名誉に囚われ、家族に囚われ、メンツに囚われる。世の中を見渡してみても、経済界の頂点に君臨したにも関わらず、欲に目がくらみ夕立の如く流れ去っていく人が何と多いことか。また最初はやる気満々の意思表示をしながら、年月が経つと自らの言動を翻し、やらないことを正当化する輩(やから)が後を絶たない。流行とは、「一時」的に広く世間に受け入れられることである。その「一時」に沿って動き回るものが私たちの気持ちである。やる気が旺盛の時は良い環境と判断しても、やる気が衰退すると悪い環境だと判断してしまうのが気持ちの動き。その環境は、善悪などないひとつのモノであるにも関わらず、である。このように私たちが生きるということは、あらゆる物事に囚われ追いかけ回すことだといっても過言ではない。しかしどのような人も心は悪くない。ただ動き回る気持ちに振り回されているだけである。「罪を憎んで人を憎まず」ではないが、「振り回されている気持ちを哀れみ、人を憐れむな」である。今日も不易流行の日々を生きると誓う次第だ。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 272号(2008)

不易流行の日々②

来る者拒まず 去る者追わず!
そして、来る者に希望を 去る者に幸運を!



「不動産業界の繁栄と発展を通じ、300年後に生まれ来る子ども達に今以上の地球環境を残しゆく企業経営をもって、人類に貢献する」

第三企画の企業理念である。いわゆる経営上ではなく経済上としての使命を持ち続ける心である。300年後に生まれ来る子ども達の生活を安定させるために今の社会をよくするという、社業を通じての心の体現世間では志と云われているものである。創業当時、この志を掲げ日夜頑張ったものである。直球の生き様ゆえ何事にも、正直に理念を、志を口にした。その度ごとによく言われたものである。「なに寝言を言っているんだ。そんなことより仕事しろ!」「平和だの、300年後だの、君は詐欺師か!」等々まともに相手をしてくれる人は少なかった。
しかしこの世は捨てる神あれば拾う神ありと言われる如く、第三企画はここまで生かさせて頂くことができた。本当に感謝、感謝の日々である。「人生志に適するを貴ぶ」とは張翰(西晋の人。黄河流域に生まれ、才能を見込まれ内陸の首都洛陽の政府高官となった)の言葉である。「人生は想いに従った生き方を尊ぶべきである」との意。確かに人生は、志に適することは大事である。金に志を持つ人は、寝ても覚めても金儲けに奔走すべきである。権力に志を持つのであれば、昇進をすべてに優先させるべきである。何事においても実現すれば満足はできる。


そこで第三企画だが、その理念は、経世済民に焦点を当てた志である。ゆえにおのずと日常の過ごし方が決まってくる。だから、他人の満足を羨むような愚はおかさない。それよりも、「上戸は毒を知らず下戸は薬を知らず」ではないが、「上戸は酒を楽しむべし下戸は餅を楽しむべし」である。別の志を尊ぶ者として、去る者には幸運を願わずにはいられない。さて前述の「人生志に適するを貴ぶ」には前後がある。「張翰は、秋風が吹き出したのに逢って、故郷の県中の菰菜(まこも)と蓴嚢(じゅんさいのあつもの)と鱸魚の膾(すずきのなます)とを思い出して食べたいと思い、『人生は思いに従った生き方を尊ぶべき』で、どうして故郷を数千里も離れた所で高官に就くべきだろうかと言って、籠に乗って故郷に帰っていった。この後すぐに、主君は敗れた。人々は、張翰のことを機を見るに敏な人で、上手に身を引いた人だと思った」―晋書―という文脈で使われている。故郷の鱸魚(すずき)と膾(なます)を辞職の口実にして生き延びたという訳である。どう考えてみても私は、張翰のようには生きられそうにない。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 273号(2008)

不易流行の日々③

「苦しい方」と「楽な方」があったなら惑わず苦しい方を選べ!


『「苦しい方」と「楽な方」があったなら、惑わず苦しい方を選べ!」』と言われ育ってきた。高校を落第した時も、大学の落第時もそうだった。父の「何があっても卒業しろ!」の一言から逃れるために、真剣に悩んだ。そこで父に高校を辞める事を認めてもらうために、「裁断の学校に行きたい。自分はもともと美術が好きで興味がある、だからファッションデザイナーを目指そうと思う、その為には洋服の裁断を身に付けておかなければならない。だから大阪の裁断学校に行かせてほしい。」と意を決してお願いをした。自分なりの精一杯の物語をした。その結果は、「何考えてるんだ!高校も卒業できなくて何ができるというんだ!いらん事を考えずに高校を卒業しろ!」との厳しく残酷な一言からはじまった高校四年目の生活。それまでとは全く違う天国から地獄の日々、それは恥ずかしくて顔を上げることもできない辛い日々の一年間だった。しかし正直すごく楽しくもあった。皮肉にも、その四年目にお世話になった先生と友達から大学への道が開けることになった。


大学においても結果的に八年かかって卒業。その時も、五年目で退学を決意し父に申し出た。弟の大学入学も一つの理由だった。予定外の学生生活では経済的に余裕のない公務員の父に迷惑をかけられないとの理由もその一つだった。しかし何よりの理由は、これ以上大学に通うのが嫌だった。何よりも苦痛だった。そんな思いから出た退学願いだったが、「いったん目指したことは何があっても最後までやり切れ!」と却下。その一言から苦い中にも楽しかった三年間が始まった。そしてこの時期に、今の基礎となる人間関係が築かれていった。曲がりくねる僕を強制的に真っ直くしてくれた父のお陰で、いまや「苦しい方と楽な方があれば、何の抵抗もなく苦しい方を選ぶ」という日々を生きられるようになった。


そんなある日、「楽処の楽は真の楽に非ず苦中に楽しみ得来たりてわずかに心外の真機を見る」―菜根譚―。(楽しい環境にあって感じる楽しみは、本当の楽しみではない。苦しい経験の中で楽しみを得てこそ、人は初めて精神的にも行動にも真機、すなわち本当の心の働きを見出たすことができる。)との言葉に出会うことができた。今だから言えることだが、15~16才の頃や21~22才の頃の「好き」や「得意」を最優先していたなら今はない!それもそのはず、22~23才の若い頃の不確かな自分が選ぶ「好き」や「得意」が確かなものであるはずがない。そんな「好き」を基準に選択をすれば誤ることはあっても的を射るには程遠くなる。なぜなら、「好き・良い」は印象に左右され、「嫌い・否」は生理的なものからの反応だからである。今は亡き父に感謝しつつ、若いメンバーに「苦しい方・嫌な方」を選ぶように!と話す日々である。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 274号(2008)

「理想・実現・現実」

今も16歳から思い定めた道を歩む
毅然とした母の後ろ姿を追う



母は華道と茶道を続けている。今年でかれこれ70年近くになろうか。弟子を持つ今も自ら学んでいる母が自慢でもあり、師匠でもある。この母の後を追っかけるのに私は必死である。幼いころから貧しくも毅然とした母の姿を見ながら大きくなってきた。だから人生は何があっても前を向き進むのが当たり前のように、あたかも見えない糸で縛られたようになりながら育てられた。そんな見えない糸に対する反抗を様々に試みてみたが、傷つきながらすべてが不発に終わってしまい、現在を迎えている。(そのおかげで)寄り道しながらではあっても、今も16歳から思い定めた一本の道を歩むことができるのは、両親の厳しくも暖かい指導があったればこそである。あの時あれほど憎んでいたのに、絶対に口をきかないと決めていたのに、年とともにありがたくなってくる。


親の存在とは、不思議なものである。同時に、夢と希望は豊かさや貧しさとの関係性がまったく無いと痛感する。誰一人相手にしてくれない時期であっても、母は信じ続けてくれた。人間不信に陥っていた時、僕の対応にすべての原因があると諭してくれた。落ちこぼれの僕を最後の最後まで信じてくれた。いつでも、どこでも最強の味方だった。いや今も最強の味方である。その母のためにと人生一事にふんばっている。
そんな僕の支えとなったのが、約680年前の徒然草にあるこの一文である。「芸能を身につけようとする人は、『よくできないような時期には、なまじっか人に知られまい。内々で、よく習得してから、人前に出ていくようなのこそ、まことに奥ゆかしいことだろう』と、いつも言うようであるが、このように言う人は、一芸も習得することができない。まだまったくの未熟なうちから、上手の中にまじって、けなされても笑われても恥ずかしいと思わずに、平然と押しとおして稽占に励む人は、生まれついてその大分がなくても、稽古の道にとどこおらず、勝手気ままにしないで、年月を過こせば、芸は達者であっても芸道に励まない人よりは、最後には上手といわれる芸位に達して、人望も十分にそなわり、人に認められて、比類のない名声を得ることである。世に第一流といわれる一芸の達人といっても、初めは下手だという噂もあり、ひどい欠点もあったものである。けれども、その人が、芸道の規律を正しく守り、これを重視して、気ままにふるまうことがなければ、一世の模範となり、万人の師匠となることは、どの道でも、かわりのあるはずがない。」(小学館日本古典文学全集)
この一文が理想に向かう僕の支えである。また、母の後を追う僕の道である。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 275号(2008)

流れに逆らわず

流れの速さで、自らの力で流れゆく
不幸とはマイナスに働いた欲望の集積



「人間は欲望をエネルギーに生きている」と教わったこともあり、人生とは欲望の使い方だと断じて今まで生きてきた。そしてその使い方に、プラスとマイナスがあることを発見した。不幸とは、マイナスの使い方の集積だといっても過言ではない。マイナスの欲望は、同類の人を呼び込んでくる。そう考えるからこそ、マイナスに敏感にならざるを得なくなる。同時に、プラスを見るよりマイナスを見るほうがより効果的だと考える。人間は、良いものに心を奪われれば奪われるほど、固くなってしまい足元を見失う生き物である。だからこそ、最初に悪いものを正確に知るべきだ。そもそも人間とは、行きたくない場所は理屈抜きで避けて通る生き物だからである。


私達の潜在意識に内在している三大欲望の実体とは、①欲しいものをどこまでも欲しがるエネルギー、②相手を攻撃するエネルギー、③楽な方に向かうエネルギー、この三つの欲望エネルギーである。このエネルギーの使い方次第で人は人間ともなり、動物のようにもなりながら生きていく。①の例として、良いことがあると、それに満足することよりも、更にもっと!と欲望に突き動かされるのが私達だ。もう、そこで止めればいいのに!というのが周囲の見方であるのに。同様に、高ぶる感情を抑えきれなくなってしまい言いすぎることがある。それが原因で取り返しのつかない事態を招くことがある。これが②の例である。まったくもって自分の言葉に追いまくられる始末である。火に油を注ぐとはこのこと。自ら油を注いで、自ら火傷をする。何事においても争いで得られるものは無いのにである。また、③の楽な方に向うエネルギーの例は、良いと分かっていても手をあげないことがある。身体に悪いと分かっていても止められないこともある。誰が見ても価値的でない逆の方向に突進してしまう。この行為に費やすエネルギーたるや半端なものではない。そんな誰もが理解に苦しむような行為が日常生活において、いまだに後を絶たない。


よく言われる言葉がある。「今あるすべてに感謝しなさい。縁のないものとは出会わないのだから。」「むやみに批判はするな、批判は依存の裏返しなのだから。」「見えない明日より、見える今に全力で生きろ。」など。総じて、「流れに逆らわず、しかもその流れの速さで自らの力で流れていけ。」との教えと解釈し今を生きていくのはどうだろうか。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 276号(2008)

人材育成のために

楽しみは対象にあるのではない
対象と向き合う自分の中にある



今年度も新しいメンバーを迎え新しい一年のスターを切った。初々しい新入社員を前に背筋を伸ばし取り組む日々を過ごしている。そして彼らと接するとき、日々において自分の若かった頃を思い出しながら話しをすることにしている。「学校(高校)が面白くないから行きたくない!」と言い、父から「学校が面白いはずがないだろ!その考え方がおかしい!」と怒鳴られたこと。当然渋々行くことになったのだが、その時は父の言うことがよく分からなかった私。また音楽活動をしている大学一年の時、プロダクションからのレコーディングの話があった。母を喜ばせることができると思うと嬉しくて母に報告した時、母から「19歳で社会の何が分かるの、今は勉強しなさい」と冷たく否定され、腹が立つのを通り過ぎて母の存在が許せなかったこと。その時も「音楽に楽しみがあるのではないんだよ!」との母の言葉がよくわからなかった私。私は自分が向かう対象に楽しみがあると信じていたのである。


ところが二度言われ冷静に振り返ると、どれも自分から進んで楽しいことを探していたことに気がついた。それならばと、遊んで楽しくない対象にあたってみようと赤羽の魚屋さんでアルバイトを始めた。面白いはずない、楽しくない対象はどんなにしたって楽しくはないんだ、それを証明したくて決めたアルバイト先であったのだ。その結果をもって父母に意見しようと企てた。しかし僕の目論見は見事に外れた。魚屋さんを毎日楽しみ、愉快に過ごした日々、確かに遣り甲斐があった。本当に今も忘れないくらいびっくりした。なぜか毎日毎日のバイトが待ち遠しくて仕方なくなってしまっていた。最初の思惑を忘れてしまい、魚屋さんをやりたくなっていた…。今や対象に拘らなかった自分がある。


そんな体験を思い出しながら、若い人には、目の前に現れてくるものに有りのままに向かおう、と話している。そして自分勝手に判断しないように、事ある毎に父母への相談は欠かさないように、普段の挨拶をやるようにと話している。対象に楽しさを求めている若い方々に今だからこそ言える。「楽しみは対象にあるのではなく、自分にある」と。「やりたい仕事に楽しさがあるのではなく、例えどんな仕事であっても、工夫する自分の中にある。」ということを。そして「そんな君たちを育ててくれたご両親と接する中にある」ということを力説している。なぜなら両親を尊敬できない人に、上司を尊敬できるわけがないと考えるから。


 

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  • 引用 RBAタイムズ 277号(2008)

幹部の人材育成

不祥事にわれ関せずの経営者
選び従う方にも大きな問題が



最近の若い者は…とは、いつの時代でも耳にする言葉である。いわく、「最近の若い者は老人に席を譲らない」果たしてそうであろうか?若者としては言われるから譲っているのだろうか?私はそうは思わない。電車に乗り合わせてよく目にするのは譲らない若者がいるかわりに、譲られて座らない老人がいる何か変な風景である。できる人は言われなくてもできる人であり、逆にできてなくて言われている人は、言われてもできない人である。こういえば言いすぎであろうか?


さて、「最近の若者はルールを守らない」、これもよく聞く話しである。公共施設を大切にしない、電車の中での振る舞いが…、コンビニの前でたむろする等々。何故か若者が標的にされている感じである。私たち大人は大きな顔をしてそんな事を言えるのだろうか?私は否と言う。現に、不祥事を起した企業の幹部たちが記者会見の場で、揃って頭を下げて謝罪する光景がTVの画面で繰り広げられているではないか。しかも、名の通った大企業の不祥事の連続投である。
彼らは勿論、立派と言われてきた大人である。そんな方の口をついて出てくる言い訳が「部下がやった」「現場が勝手に…」等々、まさにわれ関せずと言わんばかりの言葉である。自ら棚に上がった!経営者の責任はどこに行ったのやらである。「最近の若い者はマナーを守らない」と嘆いている方々は、何を根拠に「守れ」と言っているのだろう?非常に興味がある。私はこう思っている。「マナーといい、ルールといい、挨拶といい、一人で暮らす事のできない人間が考え出した生きる為の最低条件である『他人を思いやる』という行為だからこそ、自分の為にも守らなければならないものである」と。
だからこそ、若者は言うに及ばず人間である全ての人が守るものである。老人に席を譲る事に関してもそうである。今私たちが生きられるのも先人の方々の労苦があったればこそであって、そんな先人である老人たち(先輩たち)に対する「尊敬と労いの気持ち」があるからこそ、例えば席を譲るという行為が産み出てくるのである。もちろん、挨拶も然りである。


さて、そこで企業における経営者の姿勢である。私も中小企業を経営している関係上、他人事と感じられない。頭を下げている経営者の皆さん方を本心で許せない。私が経営者として最も大事にしているものは、「会社組織の構築、幹部の育成と配置・任命」という一大仕事である。そこには自ら棚に上ってしまう姿勢は、もちろんない。そんな私の日常から考えるに、恥も外聞もない経営者も問題であるが、そんな人を経営者と選び従う方々にも大きな問題があるのではと、中小企業だからこその立場で考えている。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 278号(2008)

足し算と引き算の人生

歴史を彩る一人の小さな行為
良きも悪しきも認め受け入れる



人生において大切な事は「足し算と引き算だからね」と言われて育った。引き算とは、何かあるとすぐに「できません」「それは無理です」「考えさせて下さい」等々自ら避けて通ろうとする人達のこと。このような人達こそ「引き算の人生を歩む人達」だと僕は教わって来た。


「引き算の人」は、自分にはできないと思っているのだから、できない事をできない自分に向かって薦めるような人を信じられる訳がない。なんて不親切な人なんだ、分かってない!と考える。
そして、このような出来事を重ねる度に人間不信となってしまう。すなわち、自分をできない人だと思い込んでいる人にとって、できない事を薦める人は信用ならない人なのである。自分を信用できない人は、相手も信用できない。また自分の悪い所ばかりが気になる人は、相手の悪い所ばかりを見てしまうものである。挙げ句に自分を好きになれない人は、相手を好きになることはない。このように私たち人間は、自分を見ている目と同じ目で、相手を見ているのである。


また逆に、「やらせて下さい」「できます」「もっと詳しく話して下さい」等々「足し算の人」がいる。自分から手をあげた一つひとつに真面目に取り組む人は、時にやりすぎ、無理のし過ぎになる。そんな場合、話しを薦めた人は黙って見過ごす訳にはいかなくなるので、陰に陽に協力体制に入る事となる。すなわち、前向きに生きる人には、前向きな人が応援に入るようになっている。どうも人間という生き物は、自分が自分自身について理解している内容を尺度にして他人はどのような人なのかを計る生き物らしい。まさにアリストテレスの「類は友を呼ぶ」につながるのである。であるからこそ、自分と真っ正面から向き合い、良きも悪しきも認め受け入れることが大切なのである。そうすれば自然と他人とも真っ正面から向き合えるようになってくるからである。第三企画が推し進める「人の前に明かりを灯す」行為とは、このような姿勢から目指す一人の小さな行為である。この小さな一波が万波となり私たち人間の歴史を彩っていくのを楽しみにしたい。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 279号(2008)

孟子の一文に助けられる

「憂患に苦しんでこそ本当の生き方」
決して逃げずに一人前を目指す



創業当時から楽な事はなかった。ヒト・モノ・カネが無い上、情報までも無い状態でのスタートである。来る日も来る日も苦難の連続であった。そんな時の心の支えとなったのが母から言われた「誰にだって試練が来るわけではない。試練に出会うという事は貴方に役目があるという事だよ。」また、「人には、乗り越えられない試練は無い!来たという事は、必ずその試練は乗り越えられるということだ。」である。当時、確かにそうかも知れないなと思いあたることがあった。だから一度歩み始めた道からは決して逃げることはなかった。そう思い返すと、確かに第三企画も自分から選び進んだ道である。そのことに気付けば、困難に向かって真正面から取り組む事ができ、まっしぐらに28年間を走ってきた。


そんな苦しみの日々のなかに孟子の一文があった。舜は田んぼを耕していたところを尭から引き挙げ用いられるようになった、その事を例に挙げる個所である。「天が人に大いなる任務を与えようとする時は、必ずその人の心や志を苦しませ、その筋骨を疲れるほど働かせ、その一身を窮乏にさせ、する事なす事がそのしようとする意図と食い違うような苦境に立たせる。こんなにもこの人を苦しめるのは、天が、その人を発憤させ、その人の本性を忍耐強いものにし、その結果、今まで良くする事の出来なかったものをなし得るように、その人の能力を増大させ、そして大任を負わせるに足る人物にしようとする為である。


人というものは、おおむねあやまって後によく改め、心に苦しみ考えにあまって、そこで初めて発憤して事をなし、困苦が心にたまって、思わず顔色にあらわれ、声に出るようになって、そこでやっと悟ることが出来るものである。国家においても同様で、内には法家(法度を守る世臣)・払士(君を助ける臣)がなく、外には敵国・外患のない国はおおむね亡んでしまうものである。以上のことを考えてみると、人というものは、憂患に苦しむことによって本当の生き方が出来、安楽にふけることによって、だめになってしまうという事が分かる。」(新釈漢文体系孟子)だから今日も頑張れる自分がある。第三企画の目的である300年の継続を現実のものとする為に、多方面からの方々のお力を借り、人前を目指す日々である。しかし右があるように左があるのは当たり前、一方に片寄ってはバランスを崩すことになりかねない。組織は正直である。反省しきりの昨今、相変わらず困難の日々が続く。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 280号(2008)

僕は日本人

忘れかけていた、“農耕民族”の生き方
鉢植え草木にみる人間社会の掟



最近の出来事に振り回され、鉢植えの花々や木々に水をやるのを疎かにしてしまった。七年前位から一緒に暮らしてきた友たちである。雨の日を除いて、毎朝朝食の水を注ぎながら話しをしてきた。僕の苦しい時も悲しい時も話し相手になってくれた。動かないから安心だった。今から思い返せば沢山の大変な時もあったはずだ。暑くて耐えられない時もあったのだろう、また寒くて凍えてしまいそうな時もあっただろう。でも暑く寒いコンクリートの上でじっと我慢をしながら毎年花を咲かせ、青々とした葉をつけてくれた。それだけで安らげた。しかし今年になって毎朝の対話が途切れ途切れとなった。内外に起こりくる激変がピークを迎えた五月後半頃には、そんな草木たちのことなど頭のどこを探しても見当たらなかった。そんな激動の日々を過ごすなか、工夫を加えることができるようになった。最近になって、東に位置するコンクリートの広場に目が向くようになった。


ある日の朝そこから目に飛び込んできたのは、無惨にも枯れ果てた木々たちと薔薇であった。一瞬身勝手にも我が目を疑った。彼らは、どんな思いで枯れていったのか。炎天下にもかかわらず水をくれない主をどういう目で見ながら命絶えていったのか。何も喋らないことをいいことにとんでもない罪を犯してしまった現実に潰されそうになった。この地球に生まれてきたという意味では、僕と同じ命である。そのような命を持つ彼たちを、僕の楽しみの為に栽培し始めた訳ではなかった。しかし、結果的に自分の楽しみとしてしまった。僕という個人的な身勝手な楽しみが、大切な自然界の尊い命を絶やすことになってしまったのである。人間の都合のよい奢りがもたらした残酷な現実である。


僕たち日本人は、雨の日も風の日も田んぼに行って雑草を抜き、水をやり作物を育ててきた農耕民族である。どんなことがあっても、仲間と力を合わせコツコツと努力を積み重ねゆく農耕民族であった。またそうしなければ生きていけなかったのである。僕はそんな日本人でありながら、とんでもない間違いを犯していた。僕の草花たちが、毎日毎日水をやらなければ枯れてしまうように、会社も全く同じだと素直に思える今日この頃である。この経験により、自然界に対する人間の身勝手な振る舞い(自然に成長・生育する流れを変えること)は、必ず人間界に負の遺産として還ってくるものだと理解出来るがゆえに、今日も地球と積極的に関係をしていこうと決意している。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 281号(2008)

私の毎日

「当り前のことを疎かにする現代社会」
流れの早さで、自ら流れゆく日々



今の社会は、経済的に非常に苦しい時期である。もちろん社会全般に言えることでもある。いわゆる当たり前のことが当たり前でないという意味において苦しいのである。ごみが落ちているのを見つけたら、まずは拾ってゴミ箱に捨てる。これは当たり前のこと。子供に対して誰もが教える事柄。それに付け加えてごみのポイ捨てはいけないことを教える。こんな当たり前のことが疎かになっている。自分でしたものは自分が片付ける。これが人として生きる道であり、人間社会の理(ことわり)だ。それに準じると、「私ならこうしている。あなたはなぜそうなのか?だから結果が違ってくる。ゆえに、ここをこうすべきだ!そうでなければならない」と私は主張する。それが社会人としての歩む「道」であり「理」だと信じる。それを無視したまま、過去の職業で慣れ親しんだ考え方、理解の仕方、対処の仕方の枠のまま、「経営」を、「政治」を司ってはいけない。


世の中を見渡せば、人の倫理を棚にあげ、企業の倫理を論じる経営者・学者の姿勢が極めづけであるが、もう一つの雄が政治家である。社会保険・年金問題が脚光を浴びていた頃、ミスター年金などと持ち上げられ、批判のための批判を繰り返す人をご記憶ではないだろうか。あたかも理性的に話しているようでいて、中身といえば論理と立場を忘れて感情を振り回す。まさにプロパガンダそのものなのに公共の電波に朝から堂々と乗せる。現代社会の苦しみは、人間社会の根幹を成す倫理において、当たり前のことが疎かになっていることである。わが社にも「楽をしてたくさんの給料をもらいたい」という人や、「準備は嫌、だが表舞台には出たい」などと、わがままを言う人がいる。そんな人が多くなってくると、人間としての生きる道が見えなくなってしまう。この流れを止めるために日々の仕事が費やされている現実が最大の悩みである。本来であれば、もっとお客様への貢献について全てを費やすべきなのに。


最近になってよく親の言葉を思い出す。「人間は誰であっても一人では生きていけない。周りの人たちとの触れ合いによって育てられるのだ。だからどんな時も、周りの方々への感謝を忘れないように。」また、「周りにいる方への思いやりを忘れないように。何事にも誠実に礼儀正しく接するように。その日々があなたの人生となり、あなたが生きるということになる」と。当社の役目は、社会の流れに流されず、勇気を持って当り前のことを当たり前に体現していくところにある。ゆえに、人間として生き、人間として生きる努力に全力を尽くす経営の舵を取り続ける毎日が、私の道である。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 282号(2008)

我一本の矢にならん!

日本に押しよせた、“浪費への圧力”
今“圧力”撥ね返す矢を放つ時



米国で問題となっている「サブプライム」という言葉は、マーケティングの世界においては「信用リスクの大きい消費者である中低所得者」を指している言葉だと聞いている。それにならえば米サブプライムローンは、リスクという危険を承知した上であえて信用度の低い人達に向けて用意した住宅ローンである。このサブプライムローンに世界の金融機関が群がった。この日本では、確かな事実の裏付けをもってしても「信用リスク」が大きすぎると一般融資を断る日本の金融機関もその群がった一つである。さて、日本を牽引してきた会社に広告会社電通がある。その電通の中興の祖、吉田秀雄四代社長が説いたものに鬼十則がある。電通マンはこの鬼十則に叱喧激励され、電通は現在の地位を築いた。その電通は、「はっきり言って、間接的ではあるが、いま電通と関係のない日本人は、まず一人としていないのである。」とまで公然と言われる企業である。(植田正也氏著・電通「鬼十則」、PHP文庫)


この巨大な企業をつくりだした原動力が1970代の「電通戦略十訓」である。
これは、【1、もっと使わせろ。2、捨てさせろ。3、無駄使いさせろ。4、季節を忘れさせろ。5、贈り物をさせろ。6、組み合わせで買わせろ。7、きっかけを投じろ。8、流行遅れにさせろ。9、気安く買わせろ。10、混乱をつくり出せ。】というものだった。
実はこの戦略十訓は、米国人ジャーナリスト、ヴァンス・パッカードが1960年に著した「浪費をつくり出す人々」の7つの戦略をヒントとして作られたと言われている。その7つの戦略とは、「もっと買わせる戦略」「捨てさせる戦略」「計画的廃物化の戦略」「混乱をつくり出す戦略」「月賦販売による戦略」「快楽主義を植え付ける戦略」「人口増加を利用する戦略」である。また、そこにはこのように記されている。「アメリカ市民が日常生活でより浪費的になるように工夫している人たちは、われわれにより多く浪費させ、われわれを消費生活でより無分別で不注意にさせる。この圧力のもとで、われわれはどこに流れていくのだろうか。この浪費への圧力が、アメリカ国家と国民の行動、性格に及ぼす影響はどういうものだろうか。
私は、これが最も重要な問題だと思う。われわれはできるだけの同情と忍耐をもって、この問題を見きわめることにしよう。」これは米国で問題となっているサブプライムローンを予感させるに余りある。そしてこの懸念は、そのまま日本に当てはまる。だからこそ、この的に矢を向けることが必要な時期でもある。
我この一本の矢にならん!

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 283号(2008)

300年後を目指して

今は我慢、「駅伝経営」に徹する秋(とき)
次世代に確実にバトンをつなぐ



アメリカ発のマネーゲームが発端となった金融危機が世界を覆い、この日本も漏れなく大地震が起こっている。政府は緊急対策に追われている。グローバル化を主導した国が震源地である故、当然と言えば当然のことである。主役が人間から経済にすり替えられたにしても苦しむのは当の人間である。そして誰が得をしたと言えるのだろう?グローバル化に合わせて、国を挙げて、「戦略十訓」(「道」前回号ご参照あれ)の思惑通り、我こそ一番になろうと、他人を押しのけ頑張る消費者へと全国民がマインドコントロールされてきた。それが日本である。そんな国に暮らす私達の日々に安心の家庭が出来るはずがない。生き甲斐に満ちた日々を過ごせるはずがない。希望に胸膨らませる子ども達が育つはずがない。殺伐とした社会になって当然である。お金や物を手にするために人の命を奪うことが日々のニュースで流れるような崩壊した社会が、消費大国日本である。
この国をリードしてきた指導者も、ことは深刻である。会社経営における後継者(二世)問題は日々の経営における大きな問題となって中小企業等を覆っている。そんな現実を打開するための政治を、二世・三世の政治家が執っている。これも「戦略十訓」の狙う総国民無能化が行きわたっている証左と考えられないだろうか?そう考えると、解決が見えない現状が理解できる。経営においては、中小企業も国も次元を同じくするといえよう。こんな現状を許しているからこそ、未だに企業の不祥事が後を絶たないのである。


そんな中わが第三企画は、300年後を目指しての経営に全力をあげている。現状、苦しい日々の連続である。しかし格好わるくてもいい、傷だらけで立ってるだけだと言われてもいい、何を言われても我慢して生き延びようと工夫している。まさになり振り構わずではあるが、第三企画はそうしなければならない使命がある。第三企画の理念と目指す目的を守り抜かなければ人類の未来はないと信じている。
今は、この社会を我が物顔で暴れまくる黒船経済の怪物に食われることなく生き延びなければならない。例えドンケツ(一番びり)であろうと、駅伝のように次の世代にバトンを繋ぐ経営に徹しよう。駅伝といえば、駅伝制は特命任務を帯びた朝廷の使者を中央から地方へ派遣するためのシステムとして始まったそうだ。私は次世代にバトンを繋くこの駅伝の使者を自認する。例えこの命をかけても!これこそ私の一本の矢である。


 

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  • 引用 RBAタイムズ 284号(2008)

「我執を絶つ」と地球の意思

目の前に全力尽くし天命を待つ
過剰な自我を出さない品位尊ぶ



論語に「子絶四、母意、母必、母固、母我=子四を絶つ。意母(な)く、必母(な)く、固母(な)く、我母(な)し」(卷第五、子罕第九)とある。すなわち、孔子は常人の陥り易い四つのものを断ち切って、きわめて円満であった。


四つとは、主観的な私意、必ずやり通そうとする無理押し、頑固に自分を守り通そうとするかたくなさ、自分のことだけを考える我執、である、と。私達現代社会を生きるものとしては、耳の痛い話しである。なぜなら私達の目の前に氾濫しているネット・書物等における情報の多くは、①欲しいものを手に入れなさい、その方法は云々、②夢をでっかく持つべきである、そして夢を追いかけなさい、③何であれ、内容問わず主張しなさい、主張することは個性的である、だから個性的でありなさい、④とにかく頑張りなさい、頑張らなければ負け組となりますよ、というものである。まさに私達の人生とは、論語と逆で「意に起こり、心に遂げ、固に固まって、我に成る。」である。ここでいう「意」と「必」は事前に位置し、「固」と「我」は事後に位置している。すなわち私達自分自身の生は、「意と必」「固と我」の中間(=自分)に位置(自身)しているということである。そして、「我」が新たな「意」を生じさせるというサイクルによって形成されるスパイラルの上に人生が展開されている。この繰り返しの積み重ねが、私達の人生を作っているのである。


第三企画では、人は変化し成長もするが、何かの目標や方向に向かって一直線に成長や進歩を遂げるというわけではないと見切って、生きるということに過剰な自我を出さない、と戒めて日々の経営に臨んでいる。それが第三企画の「品位」である。「夢や目標」・「願望や失望」を追いかけ、求めすぎる行為は、現実という「今」から目を逸らす危険性を孕んでいる。挑戦する自分の感情に飲み込まれ(自分の感情を過大・過小評価しすぎて)自分自身を見失うことになりかねない。特に「百年に一度あるかないかの規模の信用市場大波乱」の津波が押し寄せてきている現代社会においてはなおさらである。ここに第三企画が「品位」を重んじるゆえんがある。私達が暮らしている世の中は、決着のつかない出来事・感情ばかりといっても過言ではない。
そんな現代だからこそ、孔子のいう四を絶って目の前の事柄に全力を尽くし天命を待つ日々を送るのが地球の意思に沿うことになる。だからこそ、自分を優先させないことが「自分自身を生きる」ことに繋がるという逆説が成り立つのである。地球の意思に沿っていれば、いかなる出来事にも耐えられる。第三企画はそういう存在たることを標傍している。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 285号(2008)

評価社会と間人主義

人と人との間に自然がある社会
「和を以って尊し」が日本の文化



現代社会を「評価社会」といっても過言ではない。見渡せば、幼稚園から始まって大学・会社へと…更には会社に入ってからは退職のその日まで業績に追いまくられる。まさに終わり無き評価人生である。
そこで重くのしかかってくるのは評価による善悪・勝ち負け・高低等の二極化である。このような社会に暮らすのであるから、人々が内にこもるのも考えてみれば当然のことともいえる。評価社会ゆえ、失敗は評価が下がることになりかねない。一人で悩まなくていいことも他人に打ち明ければ、これまた評価が下がることになりかねない。全く心休まる所も時もない。それが現代社会が欝病的社会となっている問題なのである。社会におけるほころびが個人に降り掛かり、日常生活に置ける欝的状況をもたらしているのである。


ところで、文化は人によって形となって現れてくるものである。西洋に西洋の文化があるように、日本は日本の文化がある。人間が一人で二足歩行が出来ないように(人が二足歩行出来るようになるためには、それ相応の努力、すなわち教育と訓練が必要とされる)、それぞれの国には二足歩行同様、言葉を含め、身体を張って個人に伝えられる生活方法がある。個々人におけるそれらの総称がそれぞれの地域における文化と言われているものである。
その文化の基本が「個人」ではないところに日本の特徴がある。狩猟により生活を成り立たせる西洋の社会が個人から始まるのに対し、稲作中心の農耕により生活を成り立たせる日本は、個人と個人の間にある「間」から始めなければならないという事情があった。すなわち、人と人の間にある自然(農耕による収穫)が命をながらえさせてくれるという事実を見据えてこそ人は存在できる、という視点が日本の文化の基本となったのである。


その年々における収穫の状況が、そこで暮す人間に直接影響を与えるという関係性があって、それが人間の生活の基本となったのが日本である。日本の文化を成している個人は、あくまで、自然の一部である農耕という作業を中心としたその周りに存在する人間という関係の延長にある。いかなる場合も自然を間に置いた人と人の繋がりが人の在り方を作ってきた。それがこの国、日本である。これは限大教授だった浜口恵俊の唱えた間人主義の私なりの捉え方である。
だからこそ周りの人との関係を常に気にし、その関係の中に自分の在り方を見つけようとするのである。正に「和を以って尊し」とする間人主義、これが日本の風土文化である。この文化こそ第三企画の生き方である。


 

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  • 引用 RBAタイムズ 286号(2008)

自我=セルフ=エゴ

西洋主義に堕した西洋主義
“自助”見倣った日本、綻びも当然



「可愛がっていた子犬を殺された」といっては関係官庁のトップやその家族を刃にかける、「経営が厳しくて、つい…」と殺虫剤や発がん性のカビ毒に汚染された事故米を転売する、こんな現代社会だからこそ目先のことを憂いていても事態はよくならない。何事も根からの解決を目指さなければならない。西洋社会と異なり、文化の基本が「個人」ではないところに日本の特徴があると前号で述べ100年に一度の経済危機と言われている現象についても、経済の面からではなく、この現象の原因となっている西洋社会を成立させている西洋文化の骨格である個人主義の価値観から見ていこう。


ここでいう西洋個人主義とは、私に言わせれば自分中心主義である。自分(自己)とは、意識や行為をつかさどる主体ある。言い換えれば、自我である。この自我を英語ではselfといい、ラテン語ではegoという。たしかに、個人主義と利己主義は別物である。しかし、利己主義の定義である、「自分の利益を最優先にし、他人や社会全般の利害など考えようとしない態度。身勝手な考え方」そのものに今の社会がなっていないだろうか。すなわち個人主義とは、利己主義(エゴイズム)の異名といても過言とはならない。
個人主義の社会では、個人が自由で独立する存在であるからこそ、同じ個人である他人は、自分の自由と独立を脅かす存在にもなる信頼できない個人、と映るのである。だからこそ、人は自分の自由と独立を確保・維持するため自分以外の人達を、自分を脅かさない他人という関係に固定すべく「契約」という制度を作り、ギブアンドテイク(妥協・譲歩)という互酬制度を作り上げた。


つまり西洋社会は、個人主義・契約主義・互酬主義という三大主義をもって成り立つ社会なのである。そして個人主義の骨格を成すものが「自助」である。この自助を成立させるためにも契約・ギブアンドテイクという道具が必要となる。この道具を使って個々人が自助の連携をするために集団化したものが、西洋社会の実態である。だからこそ西洋社会最も重んじられるのが、自助・自己責任・自己管理なのであって、これを個人レベルから集団レベルへと強めたのが国家である。その力を更に強めるために、国家間では条約(NATO等)を作っているのである。そんな西洋社会の個々とは、個人をベースにしていない日本は全く異なる国なのである。その日本において、西洋の個人主義をもって国家運営を行ってはほころびが生じるのも当たり前である。だからこそ、100年に一度の金融危機をまともに受けることになったのである。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 287号(2008)