久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.22

人材育成のために

楽しみは対象にあるのではない
対象と向き合う自分の中にある



今年度も新しいメンバーを迎え新しい一年のスターを切った。初々しい新入社員を前に背筋を伸ばし取り組む日々を過ごしている。そして彼らと接するとき、日々において自分の若かった頃を思い出しながら話しをすることにしている。「学校(高校)が面白くないから行きたくない!」と言い、父から「学校が面白いはずがないだろ!その考え方がおかしい!」と怒鳴られたこと。当然渋々行くことになったのだが、その時は父の言うことがよく分からなかった私。また音楽活動をしている大学一年の時、プロダクションからのレコーディングの話があった。母を喜ばせることができると思うと嬉しくて母に報告した時、母から「19歳で社会の何が分かるの、今は勉強しなさい」と冷たく否定され、腹が立つのを通り過ぎて母の存在が許せなかったこと。その時も「音楽に楽しみがあるのではないんだよ!」との母の言葉がよくわからなかった私。私は自分が向かう対象に楽しみがあると信じていたのである。


ところが二度言われ冷静に振り返ると、どれも自分から進んで楽しいことを探していたことに気がついた。それならばと、遊んで楽しくない対象にあたってみようと赤羽の魚屋さんでアルバイトを始めた。面白いはずない、楽しくない対象はどんなにしたって楽しくはないんだ、それを証明したくて決めたアルバイト先であったのだ。その結果をもって父母に意見しようと企てた。しかし僕の目論見は見事に外れた。魚屋さんを毎日楽しみ、愉快に過ごした日々、確かに遣り甲斐があった。本当に今も忘れないくらいびっくりした。なぜか毎日毎日のバイトが待ち遠しくて仕方なくなってしまっていた。最初の思惑を忘れてしまい、魚屋さんをやりたくなっていた…。今や対象に拘らなかった自分がある。


そんな体験を思い出しながら、若い人には、目の前に現れてくるものに有りのままに向かおう、と話している。そして自分勝手に判断しないように、事ある毎に父母への相談は欠かさないように、普段の挨拶をやるようにと話している。対象に楽しさを求めている若い方々に今だからこそ言える。「楽しみは対象にあるのではなく、自分にある」と。「やりたい仕事に楽しさがあるのではなく、例えどんな仕事であっても、工夫する自分の中にある。」ということを。そして「そんな君たちを育ててくれたご両親と接する中にある」ということを力説している。なぜなら両親を尊敬できない人に、上司を尊敬できるわけがないと考えるから。


 

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  • 引用: RBAタイムズ 277号(2008)