久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.19

不易流行の日々③

「苦しい方」と「楽な方」があったなら惑わず苦しい方を選べ!


『「苦しい方」と「楽な方」があったなら、惑わず苦しい方を選べ!」』と言われ育ってきた。高校を落第した時も、大学の落第時もそうだった。父の「何があっても卒業しろ!」の一言から逃れるために、真剣に悩んだ。そこで父に高校を辞める事を認めてもらうために、「裁断の学校に行きたい。自分はもともと美術が好きで興味がある、だからファッションデザイナーを目指そうと思う、その為には洋服の裁断を身に付けておかなければならない。だから大阪の裁断学校に行かせてほしい。」と意を決してお願いをした。自分なりの精一杯の物語をした。その結果は、「何考えてるんだ!高校も卒業できなくて何ができるというんだ!いらん事を考えずに高校を卒業しろ!」との厳しく残酷な一言からはじまった高校四年目の生活。それまでとは全く違う天国から地獄の日々、それは恥ずかしくて顔を上げることもできない辛い日々の一年間だった。しかし正直すごく楽しくもあった。皮肉にも、その四年目にお世話になった先生と友達から大学への道が開けることになった。


大学においても結果的に八年かかって卒業。その時も、五年目で退学を決意し父に申し出た。弟の大学入学も一つの理由だった。予定外の学生生活では経済的に余裕のない公務員の父に迷惑をかけられないとの理由もその一つだった。しかし何よりの理由は、これ以上大学に通うのが嫌だった。何よりも苦痛だった。そんな思いから出た退学願いだったが、「いったん目指したことは何があっても最後までやり切れ!」と却下。その一言から苦い中にも楽しかった三年間が始まった。そしてこの時期に、今の基礎となる人間関係が築かれていった。曲がりくねる僕を強制的に真っ直くしてくれた父のお陰で、いまや「苦しい方と楽な方があれば、何の抵抗もなく苦しい方を選ぶ」という日々を生きられるようになった。


そんなある日、「楽処の楽は真の楽に非ず苦中に楽しみ得来たりてわずかに心外の真機を見る」―菜根譚―。(楽しい環境にあって感じる楽しみは、本当の楽しみではない。苦しい経験の中で楽しみを得てこそ、人は初めて精神的にも行動にも真機、すなわち本当の心の働きを見出たすことができる。)との言葉に出会うことができた。今だから言えることだが、15~16才の頃や21~22才の頃の「好き」や「得意」を最優先していたなら今はない!それもそのはず、22~23才の若い頃の不確かな自分が選ぶ「好き」や「得意」が確かなものであるはずがない。そんな「好き」を基準に選択をすれば誤ることはあっても的を射るには程遠くなる。なぜなら、「好き・良い」は印象に左右され、「嫌い・否」は生理的なものからの反応だからである。今は亡き父に感謝しつつ、若いメンバーに「苦しい方・嫌な方」を選ぶように!と話す日々である。

 

 

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  • 引用: RBAタイムズ 274号(2008)