久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.25

孟子の一文に助けられる

「憂患に苦しんでこそ本当の生き方」
決して逃げずに一人前を目指す



創業当時から楽な事はなかった。ヒト・モノ・カネが無い上、情報までも無い状態でのスタートである。来る日も来る日も苦難の連続であった。そんな時の心の支えとなったのが母から言われた「誰にだって試練が来るわけではない。試練に出会うという事は貴方に役目があるという事だよ。」また、「人には、乗り越えられない試練は無い!来たという事は、必ずその試練は乗り越えられるということだ。」である。当時、確かにそうかも知れないなと思いあたることがあった。だから一度歩み始めた道からは決して逃げることはなかった。そう思い返すと、確かに第三企画も自分から選び進んだ道である。そのことに気付けば、困難に向かって真正面から取り組む事ができ、まっしぐらに28年間を走ってきた。


そんな苦しみの日々のなかに孟子の一文があった。舜は田んぼを耕していたところを尭から引き挙げ用いられるようになった、その事を例に挙げる個所である。「天が人に大いなる任務を与えようとする時は、必ずその人の心や志を苦しませ、その筋骨を疲れるほど働かせ、その一身を窮乏にさせ、する事なす事がそのしようとする意図と食い違うような苦境に立たせる。こんなにもこの人を苦しめるのは、天が、その人を発憤させ、その人の本性を忍耐強いものにし、その結果、今まで良くする事の出来なかったものをなし得るように、その人の能力を増大させ、そして大任を負わせるに足る人物にしようとする為である。


人というものは、おおむねあやまって後によく改め、心に苦しみ考えにあまって、そこで初めて発憤して事をなし、困苦が心にたまって、思わず顔色にあらわれ、声に出るようになって、そこでやっと悟ることが出来るものである。国家においても同様で、内には法家(法度を守る世臣)・払士(君を助ける臣)がなく、外には敵国・外患のない国はおおむね亡んでしまうものである。以上のことを考えてみると、人というものは、憂患に苦しむことによって本当の生き方が出来、安楽にふけることによって、だめになってしまうという事が分かる。」(新釈漢文体系孟子)だから今日も頑張れる自分がある。第三企画の目的である300年の継続を現実のものとする為に、多方面からの方々のお力を借り、人前を目指す日々である。しかし右があるように左があるのは当たり前、一方に片寄ってはバランスを崩すことになりかねない。組織は正直である。反省しきりの昨今、相変わらず困難の日々が続く。

 

 

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  • 引用: RBAタイムズ 280号(2008)