久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.18

不易流行の日々②

来る者拒まず 去る者追わず!
そして、来る者に希望を 去る者に幸運を!



「不動産業界の繁栄と発展を通じ、300年後に生まれ来る子ども達に今以上の地球環境を残しゆく企業経営をもって、人類に貢献する」

第三企画の企業理念である。いわゆる経営上ではなく経済上としての使命を持ち続ける心である。300年後に生まれ来る子ども達の生活を安定させるために今の社会をよくするという、社業を通じての心の体現世間では志と云われているものである。創業当時、この志を掲げ日夜頑張ったものである。直球の生き様ゆえ何事にも、正直に理念を、志を口にした。その度ごとによく言われたものである。「なに寝言を言っているんだ。そんなことより仕事しろ!」「平和だの、300年後だの、君は詐欺師か!」等々まともに相手をしてくれる人は少なかった。
しかしこの世は捨てる神あれば拾う神ありと言われる如く、第三企画はここまで生かさせて頂くことができた。本当に感謝、感謝の日々である。「人生志に適するを貴ぶ」とは張翰(西晋の人。黄河流域に生まれ、才能を見込まれ内陸の首都洛陽の政府高官となった)の言葉である。「人生は想いに従った生き方を尊ぶべきである」との意。確かに人生は、志に適することは大事である。金に志を持つ人は、寝ても覚めても金儲けに奔走すべきである。権力に志を持つのであれば、昇進をすべてに優先させるべきである。何事においても実現すれば満足はできる。


そこで第三企画だが、その理念は、経世済民に焦点を当てた志である。ゆえにおのずと日常の過ごし方が決まってくる。だから、他人の満足を羨むような愚はおかさない。それよりも、「上戸は毒を知らず下戸は薬を知らず」ではないが、「上戸は酒を楽しむべし下戸は餅を楽しむべし」である。別の志を尊ぶ者として、去る者には幸運を願わずにはいられない。さて前述の「人生志に適するを貴ぶ」には前後がある。「張翰は、秋風が吹き出したのに逢って、故郷の県中の菰菜(まこも)と蓴嚢(じゅんさいのあつもの)と鱸魚の膾(すずきのなます)とを思い出して食べたいと思い、『人生は思いに従った生き方を尊ぶべき』で、どうして故郷を数千里も離れた所で高官に就くべきだろうかと言って、籠に乗って故郷に帰っていった。この後すぐに、主君は敗れた。人々は、張翰のことを機を見るに敏な人で、上手に身を引いた人だと思った」―晋書―という文脈で使われている。故郷の鱸魚(すずき)と膾(なます)を辞職の口実にして生き延びたという訳である。どう考えてみても私は、張翰のようには生きられそうにない。

 

 

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  • 引用: RBAタイムズ 273号(2008)