久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.27

私の毎日

「当り前のことを疎かにする現代社会」
流れの早さで、自ら流れゆく日々



今の社会は、経済的に非常に苦しい時期である。もちろん社会全般に言えることでもある。いわゆる当たり前のことが当たり前でないという意味において苦しいのである。ごみが落ちているのを見つけたら、まずは拾ってゴミ箱に捨てる。これは当たり前のこと。子供に対して誰もが教える事柄。それに付け加えてごみのポイ捨てはいけないことを教える。こんな当たり前のことが疎かになっている。自分でしたものは自分が片付ける。これが人として生きる道であり、人間社会の理(ことわり)だ。それに準じると、「私ならこうしている。あなたはなぜそうなのか?だから結果が違ってくる。ゆえに、ここをこうすべきだ!そうでなければならない」と私は主張する。それが社会人としての歩む「道」であり「理」だと信じる。それを無視したまま、過去の職業で慣れ親しんだ考え方、理解の仕方、対処の仕方の枠のまま、「経営」を、「政治」を司ってはいけない。


世の中を見渡せば、人の倫理を棚にあげ、企業の倫理を論じる経営者・学者の姿勢が極めづけであるが、もう一つの雄が政治家である。社会保険・年金問題が脚光を浴びていた頃、ミスター年金などと持ち上げられ、批判のための批判を繰り返す人をご記憶ではないだろうか。あたかも理性的に話しているようでいて、中身といえば論理と立場を忘れて感情を振り回す。まさにプロパガンダそのものなのに公共の電波に朝から堂々と乗せる。現代社会の苦しみは、人間社会の根幹を成す倫理において、当たり前のことが疎かになっていることである。わが社にも「楽をしてたくさんの給料をもらいたい」という人や、「準備は嫌、だが表舞台には出たい」などと、わがままを言う人がいる。そんな人が多くなってくると、人間としての生きる道が見えなくなってしまう。この流れを止めるために日々の仕事が費やされている現実が最大の悩みである。本来であれば、もっとお客様への貢献について全てを費やすべきなのに。


最近になってよく親の言葉を思い出す。「人間は誰であっても一人では生きていけない。周りの人たちとの触れ合いによって育てられるのだ。だからどんな時も、周りの方々への感謝を忘れないように。」また、「周りにいる方への思いやりを忘れないように。何事にも誠実に礼儀正しく接するように。その日々があなたの人生となり、あなたが生きるということになる」と。当社の役目は、社会の流れに流されず、勇気を持って当り前のことを当たり前に体現していくところにある。ゆえに、人間として生き、人間として生きる努力に全力を尽くす経営の舵を取り続ける毎日が、私の道である。

 

 

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  • 引用: RBAタイムズ 282号(2008)