久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.31

評価社会と間人主義

人と人との間に自然がある社会
「和を以って尊し」が日本の文化



現代社会を「評価社会」といっても過言ではない。見渡せば、幼稚園から始まって大学・会社へと…更には会社に入ってからは退職のその日まで業績に追いまくられる。まさに終わり無き評価人生である。
そこで重くのしかかってくるのは評価による善悪・勝ち負け・高低等の二極化である。このような社会に暮らすのであるから、人々が内にこもるのも考えてみれば当然のことともいえる。評価社会ゆえ、失敗は評価が下がることになりかねない。一人で悩まなくていいことも他人に打ち明ければ、これまた評価が下がることになりかねない。全く心休まる所も時もない。それが現代社会が欝病的社会となっている問題なのである。社会におけるほころびが個人に降り掛かり、日常生活に置ける欝的状況をもたらしているのである。


ところで、文化は人によって形となって現れてくるものである。西洋に西洋の文化があるように、日本は日本の文化がある。人間が一人で二足歩行が出来ないように(人が二足歩行出来るようになるためには、それ相応の努力、すなわち教育と訓練が必要とされる)、それぞれの国には二足歩行同様、言葉を含め、身体を張って個人に伝えられる生活方法がある。個々人におけるそれらの総称がそれぞれの地域における文化と言われているものである。
その文化の基本が「個人」ではないところに日本の特徴がある。狩猟により生活を成り立たせる西洋の社会が個人から始まるのに対し、稲作中心の農耕により生活を成り立たせる日本は、個人と個人の間にある「間」から始めなければならないという事情があった。すなわち、人と人の間にある自然(農耕による収穫)が命をながらえさせてくれるという事実を見据えてこそ人は存在できる、という視点が日本の文化の基本となったのである。


その年々における収穫の状況が、そこで暮す人間に直接影響を与えるという関係性があって、それが人間の生活の基本となったのが日本である。日本の文化を成している個人は、あくまで、自然の一部である農耕という作業を中心としたその周りに存在する人間という関係の延長にある。いかなる場合も自然を間に置いた人と人の繋がりが人の在り方を作ってきた。それがこの国、日本である。これは限大教授だった浜口恵俊の唱えた間人主義の私なりの捉え方である。
だからこそ周りの人との関係を常に気にし、その関係の中に自分の在り方を見つけようとするのである。正に「和を以って尊し」とする間人主義、これが日本の風土文化である。この文化こそ第三企画の生き方である。


 

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  • 引用: RBAタイムズ 286号(2008)