久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.23

幹部の人材育成

不祥事にわれ関せずの経営者
選び従う方にも大きな問題が



最近の若い者は…とは、いつの時代でも耳にする言葉である。いわく、「最近の若い者は老人に席を譲らない」果たしてそうであろうか?若者としては言われるから譲っているのだろうか?私はそうは思わない。電車に乗り合わせてよく目にするのは譲らない若者がいるかわりに、譲られて座らない老人がいる何か変な風景である。できる人は言われなくてもできる人であり、逆にできてなくて言われている人は、言われてもできない人である。こういえば言いすぎであろうか?


さて、「最近の若者はルールを守らない」、これもよく聞く話しである。公共施設を大切にしない、電車の中での振る舞いが…、コンビニの前でたむろする等々。何故か若者が標的にされている感じである。私たち大人は大きな顔をしてそんな事を言えるのだろうか?私は否と言う。現に、不祥事を起した企業の幹部たちが記者会見の場で、揃って頭を下げて謝罪する光景がTVの画面で繰り広げられているではないか。しかも、名の通った大企業の不祥事の連続投である。
彼らは勿論、立派と言われてきた大人である。そんな方の口をついて出てくる言い訳が「部下がやった」「現場が勝手に…」等々、まさにわれ関せずと言わんばかりの言葉である。自ら棚に上がった!経営者の責任はどこに行ったのやらである。「最近の若い者はマナーを守らない」と嘆いている方々は、何を根拠に「守れ」と言っているのだろう?非常に興味がある。私はこう思っている。「マナーといい、ルールといい、挨拶といい、一人で暮らす事のできない人間が考え出した生きる為の最低条件である『他人を思いやる』という行為だからこそ、自分の為にも守らなければならないものである」と。
だからこそ、若者は言うに及ばず人間である全ての人が守るものである。老人に席を譲る事に関してもそうである。今私たちが生きられるのも先人の方々の労苦があったればこそであって、そんな先人である老人たち(先輩たち)に対する「尊敬と労いの気持ち」があるからこそ、例えば席を譲るという行為が産み出てくるのである。もちろん、挨拶も然りである。


さて、そこで企業における経営者の姿勢である。私も中小企業を経営している関係上、他人事と感じられない。頭を下げている経営者の皆さん方を本心で許せない。私が経営者として最も大事にしているものは、「会社組織の構築、幹部の育成と配置・任命」という一大仕事である。そこには自ら棚に上ってしまう姿勢は、もちろんない。そんな私の日常から考えるに、恥も外聞もない経営者も問題であるが、そんな人を経営者と選び従う方々にも大きな問題があるのではと、中小企業だからこその立場で考えている。

 

 

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  • 引用: RBAタイムズ 278号(2008)