久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.32

自我=セルフ=エゴ

西洋主義に堕した西洋主義
“自助”見倣った日本、綻びも当然



「可愛がっていた子犬を殺された」といっては関係官庁のトップやその家族を刃にかける、「経営が厳しくて、つい…」と殺虫剤や発がん性のカビ毒に汚染された事故米を転売する、こんな現代社会だからこそ目先のことを憂いていても事態はよくならない。何事も根からの解決を目指さなければならない。西洋社会と異なり、文化の基本が「個人」ではないところに日本の特徴があると前号で述べ100年に一度の経済危機と言われている現象についても、経済の面からではなく、この現象の原因となっている西洋社会を成立させている西洋文化の骨格である個人主義の価値観から見ていこう。


ここでいう西洋個人主義とは、私に言わせれば自分中心主義である。自分(自己)とは、意識や行為をつかさどる主体ある。言い換えれば、自我である。この自我を英語ではselfといい、ラテン語ではegoという。たしかに、個人主義と利己主義は別物である。しかし、利己主義の定義である、「自分の利益を最優先にし、他人や社会全般の利害など考えようとしない態度。身勝手な考え方」そのものに今の社会がなっていないだろうか。すなわち個人主義とは、利己主義(エゴイズム)の異名といても過言とはならない。
個人主義の社会では、個人が自由で独立する存在であるからこそ、同じ個人である他人は、自分の自由と独立を脅かす存在にもなる信頼できない個人、と映るのである。だからこそ、人は自分の自由と独立を確保・維持するため自分以外の人達を、自分を脅かさない他人という関係に固定すべく「契約」という制度を作り、ギブアンドテイク(妥協・譲歩)という互酬制度を作り上げた。


つまり西洋社会は、個人主義・契約主義・互酬主義という三大主義をもって成り立つ社会なのである。そして個人主義の骨格を成すものが「自助」である。この自助を成立させるためにも契約・ギブアンドテイクという道具が必要となる。この道具を使って個々人が自助の連携をするために集団化したものが、西洋社会の実態である。だからこそ西洋社会最も重んじられるのが、自助・自己責任・自己管理なのであって、これを個人レベルから集団レベルへと強めたのが国家である。その力を更に強めるために、国家間では条約(NATO等)を作っているのである。そんな西洋社会の個々とは、個人をベースにしていない日本は全く異なる国なのである。その日本において、西洋の個人主義をもって国家運営を行ってはほころびが生じるのも当たり前である。だからこそ、100年に一度の金融危機をまともに受けることになったのである。

 

 

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  • 引用: RBAタイムズ 287号(2008)