久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.30

「我執を絶つ」と地球の意思

目の前に全力尽くし天命を待つ
過剰な自我を出さない品位尊ぶ



論語に「子絶四、母意、母必、母固、母我=子四を絶つ。意母(な)く、必母(な)く、固母(な)く、我母(な)し」(卷第五、子罕第九)とある。すなわち、孔子は常人の陥り易い四つのものを断ち切って、きわめて円満であった。


四つとは、主観的な私意、必ずやり通そうとする無理押し、頑固に自分を守り通そうとするかたくなさ、自分のことだけを考える我執、である、と。私達現代社会を生きるものとしては、耳の痛い話しである。なぜなら私達の目の前に氾濫しているネット・書物等における情報の多くは、①欲しいものを手に入れなさい、その方法は云々、②夢をでっかく持つべきである、そして夢を追いかけなさい、③何であれ、内容問わず主張しなさい、主張することは個性的である、だから個性的でありなさい、④とにかく頑張りなさい、頑張らなければ負け組となりますよ、というものである。まさに私達の人生とは、論語と逆で「意に起こり、心に遂げ、固に固まって、我に成る。」である。ここでいう「意」と「必」は事前に位置し、「固」と「我」は事後に位置している。すなわち私達自分自身の生は、「意と必」「固と我」の中間(=自分)に位置(自身)しているということである。そして、「我」が新たな「意」を生じさせるというサイクルによって形成されるスパイラルの上に人生が展開されている。この繰り返しの積み重ねが、私達の人生を作っているのである。


第三企画では、人は変化し成長もするが、何かの目標や方向に向かって一直線に成長や進歩を遂げるというわけではないと見切って、生きるということに過剰な自我を出さない、と戒めて日々の経営に臨んでいる。それが第三企画の「品位」である。「夢や目標」・「願望や失望」を追いかけ、求めすぎる行為は、現実という「今」から目を逸らす危険性を孕んでいる。挑戦する自分の感情に飲み込まれ(自分の感情を過大・過小評価しすぎて)自分自身を見失うことになりかねない。特に「百年に一度あるかないかの規模の信用市場大波乱」の津波が押し寄せてきている現代社会においてはなおさらである。ここに第三企画が「品位」を重んじるゆえんがある。私達が暮らしている世の中は、決着のつかない出来事・感情ばかりといっても過言ではない。
そんな現代だからこそ、孔子のいう四を絶って目の前の事柄に全力を尽くし天命を待つ日々を送るのが地球の意思に沿うことになる。だからこそ、自分を優先させないことが「自分自身を生きる」ことに繋がるという逆説が成り立つのである。地球の意思に沿っていれば、いかなる出来事にも耐えられる。第三企画はそういう存在たることを標傍している。

 

 

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  • 引用: RBAタイムズ 285号(2008)