久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.13

“諸行無常”

与えられた寿命を価値あるものへと転換しゆく


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の世の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。」

【平家物語】


人生、諸行無常の先を目指して
私達の社会生活には家族が在り、会社が在り、仲間が在る。
そしてすべては諸行無常である。


時は家庭内の変化を招き寄せ、会社では定年を運んでくる。仲間は、時のうつろいとともに自らの意思に反し入れ替わる。世間では、存在する万物で変わらないものはない。古来より言い伝えられてきた「万物流転の法則」がこれである。建物は壊される為に建ち、人は別れる為に出会いがあり、会社における幹部は変る為に就任する。個人の生活でいえば、今に全力する人にもやがて人としての魅力はなくなり、目先の成果に集中する人に目指す未来は訪れない。ましてや家庭だけの人に、社会的な充実と個人的な満足は遠のいていく。


人生における悟りとは、諦念とは、諸行無常を受け入れることである。だからといって、ハイそうですかと言っていられないのが人間である。それがゆえに、もがき苦しみ、工夫しながら生きるのである。その結果、自分の立ち位置を見失い、彷徨う人が後を断たないのも事実である。今を失わないために今にしがみつき、雑念を払いのけようと耳を塞ぐことに全力を尽くす。未来の事など気にする暇はなく、ただひたすら今の帳尻を合わせることに勤しむ。そして先行き不安を隠したまま今を生きる。


しかしである。定年も、結婚も、家庭も、仲間も、人生という寿命までは長くない。だからこそ、せめて寿命までの日々の充実を目指そうと私は決意している。第三企画もRBAも、そんな諸行無常である人生を充実させるために天が用意してくれたものであり、そこでお会いする皆様方との出会いは天が用意してくれたものと解釈している。これまでお会いいただいた皆様方、そしてこれからお会いさせていただくことになる皆様方に改めてよろしくと申しとげる次第。これからも全力で、一回しかない人生という与えられた寿命を価値あるものへと転換しゆくために、僕は頑張ります。

 

 

 

追加情報

  • 引用: RBAタイムズ 267号(2007)