久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.02

「言志四緑」から学ぶ

一本の道を示してくれた菜根譚
常に人に一歩譲ること



「世を渉るの道は、得失の二字に在り。得べからざるを得ること勿れ。失う可からざるを失うこと勿れ。此くの如きのみ。」

【言志四録】


幼いころから母親に、事あるごとに、「得失は出来事にあるのではなく判断にある」といって聞かされてきた。指導者のためのバイブルと言われる言志四録にも、「世を渡る道は、得と矢の二字にある。得てならないものは、得てはならないし、失ってはならないものは失うべきではない。これが世を渡るための基本である。」とある。しかし、「どうやったら、得てはならないものを得ないでおけるのだろう?」また「どうすれば、失ってはならないものを失わずにすむのだろう?」それが出来れば、この人生これ程楽なことはない。そんな妙手はあり得ない、とは思いつつも心のどこかで「もしや」との気持ちも消すことも出来なかった。それはそうである。判断を誤ると得は失にかわることになり、失は失のまま終わるのである。これほど厳しいことはない。これが人生の本当の姿であろう。自らの判断で自ら不幸を招き寄せ、日々を振り回される人生。そんな厳しい日々が続く人生にならぬよう、一本の道を示してくれたのが以下にある菜根譚の一文である。


『世に処しては、一歩を譲るを高しとなす。歩を退くるは、即ち歩を進むるの張本なり。人を待つに、一分を寛くするは是れ福なり。人を利するは、実は己を利するの根基なり。』

(世渡りをするには、人と先を争うことをせずに、常に人に一歩を譲って控え目にするのが、自分の人格を高尚にする所以の道である。その一歩を譲り退くということは、これとりもなおさず、数歩を前進さす伏線ともなるものである。人を待遇するには、厳格に過ぎてはよくないので、一分ほどは寛大にすることが、これやがては、自己の幸福をもたらす所以の道である。このように、人に利益を得させることは、つまり自己を利するための土台となるものである。)


私はこの道に沿って、得は失にかわらないように、失は失のまま終わらないように、歩んでいる。

 

 

追加情報

  • 引用: RBAタイムズ 255号(2007)