久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.04

「三字経」から学ぶ

成人して理解した母の教え
「泥棒でもいい。日本一になれ」



『子不学 非所宜 幼不学 老何為』  『犬守夜 鶏司晨 苟不学 曷為人』

【三字経】


幼い頃、母から言われ続けられていたことに「とにかく、勉強はしなさい。成績の問題ではない。いいから本を読め!勉強しろ!」がある。小学生のころから国語は、“小学一年生”なる月刊雑誌に目を通すことを義務づけられていた。当然、嫌で嫌でたまらなかった。なぜなら、読んだ箇所の感想を言わされるからである。それがたまらなく、毎日、狭い家の中を逃げ回ったものだ。
我が家はそれだけでなく、小学校一年生から塾に通うことを義務づけていたのだ。学校を終えると仲間たちと遊ぶ事が何よりも楽しみだった時期に、一人塾通い。この苦しみたるや未だに脳裏から出て行ってくれない。この時に、「先生が風邪を引いているから」という見えすぎた嘘をつき塾を休む事を覚えた。同時に、嘘はバレるものだという事もこの身をもって分かることとあいなった。


その時に母がよく口にしていたのが、「犬だって役目を果たしているから食事にありつける。(当時我が家は、ブルというシェパード犬を飼っていた。お遣い、留守番、お迎え等々ができる利口な警察犬卒業生である)人間の世は、勉強しなければ生きていけないんだ」「例え泥棒でもいいから、二十歳になった時、胸を張って日本一になりました、と言えるようにしなさい」である。そんな母だからこそ、高校4年、大学8年が現実となっても成績について口にする事はなかった。その母から離れて東京にきて次の言葉と出会った時、幼き頃の日常と母の言葉が瞬時に、そして鮮明に蘇ったのである。


それは、三字経の『子不学 非所宜 幼不学 老何為』である。「子(こ)として学(まな)ばざるは宜(よろ)しき所(ところ)に非(あら)ず 幼(よう)にして学(まな)ばざれば 老(お)いて何(なに)をか為(な)さん」そしてもう一つ、『犬守夜 鶏司晨 苟不学 曷為人』「犬(いぬ)は夜(よる)を守(まも)り 鶏(にはとり)は晨(あした)を司(つかさど)る 苟(いやし)くも学(まな)ばずん 曷(なん)ぞ人(ひと)と為(な)さん」あの時の母の言葉は、成人を迎えるまでにしっかりと勉強をしておけ。でないと、社会人になった時価もできないぞ!との教えであった、と。

 

 

追加情報

  • 引用: RBAタイムズ 258号(2007)