Daisan Kikaku Inc.
 

父の言葉”

“求めて得たものでないからこそ本物”


流れのままに生きる
今も耳に聞こえる父の、言葉
 とにかく、やることだ!
 やる限りには興味を持ってやれ!
 自分の力無さを、思い知らされるから!

何度も同じ事をしていると怒られた
 なんで工夫しない!同じ経験するんだったら、工夫しろ!
 「こうやっていこう!」と思わないのか?阿呆か!馬鹿なら馬鹿になってみろ!
 同じ事をやるのは、愚か者のすることだ!
 的を外してもいい、遅くてもいい
 同じ事を新しいやり方でやってみろ!

眼鏡から目をはみ出しながら
鬼の形相で機関銃の如く

そんな父が恐くて、無我夢中でやってきた
すると知らないうちにこんな僕になってしまった

今も父は僕の身体に染み付いている
 誰の真似をするのでなく
 自分らしくやり切ること
 それをやれば、やるほど
 自分を主張する事だから

またある時
 無我夢中でやっているのはいいが
 お前は、何のためにやっているんだ!
 やる事が目的なのか?どうなんだ!と言われてきた

やるせなかった
思いの持っていき場所がなかった
ただ母の優しさが身にしみた

そんな父は今僕の身体に生きている
 やる限りには、ただやるな!
 目的を見据え最短を走れ!
 何時もその為の工夫をしろ!

 人生に無駄はない
 経験できるものはすべて自分のため
 それを信じること
 その生き方が、自分を信じる事であり他人を信じる事

 人間が生きるということは
 相手を大切にする事であり
 目の前の人を大切にすること

そして現在
「人の前に明かりを灯す」第三企画の経営に全力を尽くしている
「求めて得たものでないからこそ本物」
これからも育てられたように、全力で久米信廣を生き抜いて征く


 

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  • 引用 RBAタイムズ 266号(2007)

“何のため”

何万年もの前から受け継がれきた命


僕の命
僕は、幸せにも人間に生まれきた
たくさんある命の中、人間の生を受けることができた
この世は連関の世、ならば必ずこの命には意味がある

僕の命は、何万年もの前から受け継がれきた命
決して僕一人のものではないと受け止めている
だから、命ある限り感謝あるのみと生きてきた

ある時までは、
何万年もの間つないでくれた人達に対して感謝の毎日であった

そしてある時から、300年後に生まれくる子ども達に対しての想いの日々となった
感謝は、有り難いことへの御礼から、
今ある命の使い方(使命=報いる日々)へと昇華した

僕は、食事しなければ生きていけない
沢山の草木や動物達の尊い命により生き存えている
僕のために草木と生まれ、魚と生まれ、動物と生まれ、
今僕となっている

今の僕は、そんな動植物達へ感謝しなければならない
動植物達からもらったこの命、
今も生きられているこの命
どんなことがあっても無駄にしてはならない!

その想いが僕に「何のため」の哲学を贈ってくれた
そして
僕の命を生き存えさせてくれている動植物達のためにも
僕は幸せにならなければならない、と想えるようになった

だからこそ、その幸せは永遠に崩れないものでなければならない!
だからこそ、他人の不幸の上に幸せを築いてはならない
だからこそ、周りの人達の幸せの上に自らの幸せを築かなければならない

そこから僕の命は、
「人の前に明かりを灯す」日々となった
そして、「人による」との哲学も形を成してきた
そして、「共鳴」のエネルギーが
第三企画を誕生させてくれた

そんな第三企画は、君との出会いをもたらせてくれた

だから僕は、君の幸せのために生きる
それが僕の命となってくれた、動植物達へ報いることと信じられるから……
僕の命をつないできてくれた人達のために報いることと信じられるから……

君の幸せが、君の家族の幸せを創り、
社会、国、世界の幸せを創る原点だから
僕の命は、君の幸せのために在る
それが僕の「何のため」だから

今日も、君の前に明かりを灯しゆくのだ!
だから今日も、明るく、元気に、朗らかに
僕の生命は、平和に向かう行動者であり続けるのだ!


 

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  • 引用 RBAタイムズ 265号(2007)

家族

僕の人生(一回しかない人生今在る恩)


家族は私そのものである。

父は厳しく
居心地はよくはなかった
母はうるさく
気の休まる時がなかった
しかし、いつもちゃんと居場所はあった

よく喧嘩し助け合いもした
世界で二人しかいない兄弟
仲良くする事が人生の役目と育てられた

そんな家族があってこその僕である

父・母には、
人類と平和の為に生きよ!と育てられた
武士の子らしく生きよ!と
見えない糸で縛られ続けたそんな日々の積み重ねが、
第三企画の出会いをもたらせてくれた

だからこそ
今まで、家族に大切にしてもらった分
ずっと、家族を大切にしている

そんな矢先、父は天に還ってしまった
父からしてもらった恩返しは、まだできていない
だからこそ、墓前で300年後への恩返しを誓った
きっと父も分かってくれるはず、と信じて

これからも今まで以上に全力で生きる!
父の教えを左手に、母の教えを右手に
一回しかない僕の人生を

人類の幸せのために…
世界の平和のために…
今、第三企画に集うすべての家族のために……
それが僕の人生のすべてだから……


 

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  • 引用 RBAタイムズ 264号(2007)

“自分”とは “人生”とは

原点に還るときかもしれない
人生はギャップの中にある



「ちょっと考えて」見て下さい
さて貴方は、自分の「自」をどう読んでまずか?もし「自(=みずか)ら」と読んでいたら矯正する必要があるのかも?なぜなら、自らと断定すると何事も自分で決めていい事になるからです。

何を知ろうとするかは自分次第。何を経験するか決めるのも自分次第。これだと、みんな自分の好きにしちゃいますよね。主体である本人がいかなる存在かに関係なく、その時々に他人と比較し欲しいもの、好きなものを入れる。果たしてこれで幸せになれると考えられますか?

前号で人生とは、インプットしたもののアウトプットであると……。教育は学校にお任せ、生活費はご主人頼り、そして自分は若作り。嫌な事には顔を出さず、資格に実力をすり替え、自分は趣味に走る。こんな現実は、どんな自分を基準にしたら可能になる?そもそも、形あるものにはそれぞれの機能がある好きなもの、欲しいものを組み合わせれば機能不全を招く事も。そう私たちの言う「不幸」とは、この機能不全に他ならない。

止まれ現代人。本来、自分の自とは「自(=みずか)ら」ではなく「自(=おの)ずから」だった。

そして「分とは、分け与えられた性質・身の程・力量(=分)」を指す言葉である。これらから、自分とは分際(=その人に応じた限界身の程)の異名となる。自分とは、もとから持っているものの(在り方の)ままということ。だとすると、そろそろ原点に還る時かもしれない…。「ヒューマンブックス」(第三企画発行)より転載


せめぎあい
生きること。
それは、「理想と現実」と「理論と事実」。この「せめぎあい=鬩ぎ合い」である。そして「鬩ぐ」とは「(あらそう)に、(子ども)」による会意文字。漢字を結合し、それらの意味を合わせて書き表す方法。

「信」とは、「人」と「言」を合わせた会意文字。=疑わずに本当だと、心の中に強く思い込むこと。同様に「鬩」とは「ゆずらない、こども」である。私たちの人生は理想と現実のギャップの中にある理論と事実のギャップの中にある誰にも心当たりがある。それは、嘘をついた事。真実を言わなかった事。

ということは…私たちの眼前に現れる「事実と現実」果たしてそれは「真実」と言えるのか?理想とは、「考えられる限りのもの」である。理論とは、「事実による体系的知識」である。

ちょっとまった!現代人の「人生」って……?真実を無視した観念の遊戯?
「ヒューマンブックス」(第三企画発行)より転載

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 263号(2007)

人生の理想

止まれ 現代人!
“インスタントに頼るな”



人生の理想、持ってますか?
私たちは、飲まなければ生きられない
食べなければ生きられない
そして、呼吸しなければ生きられない

しかし多くの人は、これらのことを忘れ
健康のためといい、体を鍛える運動を心がける
(排気ガスが充満する車道を、走る人たちがいる)
それに飽き足らず、サプリメントづくしの日々?
(ダイエットなのか食事を制限しながらの栄養剤)

これらに走る人達は、要注意!

さては、肉体だけが成長した人達なのか?
考えることを忘れた人達なのか?
それとも完全に消費者としてプログラムされた人達なのか?

とはいっても………健康への不安は少ない
それなりに、充実する日々を過ごしてはいる
もちろん、大事な事や、重要な時は考え判断を下している
しかし、時折心の隙間に襲い来る不安と空虚の正体は何なのか

身体だけ鍛えれば、目的とする栄養だけを摂取できれば
何事も簡単に手にできればと、インスタント情報の吸収に走る
形があり、目に見えるモノから得られるエネルギーには限りがある…

止まれ現代人!
一回しかない人生を、生きていくエネルギーをお持ちですか?
そして、その正体をご存知ですか……


欲望・目的は外からやってくる
私達人間は、不幸になる為に努力できる生き物でもある
また、周りから不幸といわれても幸せと言える生き物でもある

そんな私達は、努力する事は知っている
そして、競争する事も知っている
だからこそ、他人と比較して生きられる

現に、今も生きている

そこで知らなければならない事がある
私達は、一人では何も出来ない生き物だという事

私達は知らないものを欲しがることができない生き物
また、経験しないものへの目的を持つ事もできない生き物
そんな私達の日常は、インプットしたモノのアウトプット作業

入れたモノ以外は出しようが無い
だから挨拶で分かる、身なりで分かる
態度で分かる、表情で分かる、言葉遣いで分かる

そう私達は、口・目・耳・鼻・肌からしか入れられない
食べ物にこだわるように、見るものにもこだわってあげよう!
聞くものにも、香りにも、身体全体にもこだわってあげよう!
その時、果たして今と同じ人たちが貴方の周りにいるだろうか?
「友は第二の我なり」(アリストテレス)とは至言である

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 262号(2007)

ナンバーワンとオンリーワン

存在自体がオンリーワン
勇気を出そう 道は開ける


ナンバーワン
ナンバーワンを目指せと
高い目標を掲げろと
目標達成に励めと

成功のため、成長のため
遠い目標に向かって今日一日を生きよ

計画に沿って確実に
しかし、現実の日々において蹟くのは
弱点と、不得意部分

誰に言われなくても
どうしてもその部分が気になる
だから見つめなおす

弱点と欠点と弱い意志
忘れまいと、念を押す
いつでも、どこでも、何事においても駄目だと

成功と幸せと充実を目指しているにも拘らず
一回しかない今日一日
自己の否定に精をだす

自分の得意を知ることなく
自分の強みを知ることなく
これが、ナンバーワンを目指す実態?


オンリーワン
ナンバーワンを奨励しながら
オンリーワンも賛美している
最初からこの世に同じものは二つと無いにも関わらず

今いること自体がオンリーワン
この世に生を受けた時点でオンリーワン
人と違ってこそ貴方、それでこそオンリーワン

しかし、いつも周りと比較され
負けるな!がんばれ!

しかし、この世は勝者のいない競争社会
舞台は絶えず新しい主役を用意する
いつの世も勝者は期間限定のものでしかない

まさに入れ替わり、立ち代われるのがこの社会
だからこそ、だれでも出来るということになる
なんであれ特別なものは存在し得ないようになっている

だからこそ、自らを殺すことを教えられ
コミュニケーションの大切さを教えられる
貴方を自信喪失にするために……

そんなことに振り回されず
自分に対する無理な要望を止めてみよう!

勇気を出して止めてみよう!
きっと、きっと道は開けるから

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 261号(2007)

「論語」から学ぶ

父母の教え 我が人生
大学まで父から逃げ惑った



「己欲立而立人、己欲達而達人」     【論語】


僕が高校3年生を前に「どこの大学でも行かせてやる」との父の言葉を信じ、これからの時代大学行くのなら海外の大学。そう心に決めイギリスとアメリカから願書を取り寄せました。いよいよ願書提出をしようと、自信と期待を胸に元気いっぱい父に向かいました。しかし、父は「確かに大学は何処でもいいと言った。だからといって海外の大学でいいとは一言も言ってない。日本の大学でなければ駄目だ。しかも法科。それ以外は絶対に許さない。行くのは一校だけなのだから、受ける大学は一校だけで十分!それ以外は駄目だ!」と一喝。自分が検察庁に勤める価値観をもって私の力説する将来の話にも大学の話にも、一切耳を貸してはくれなかったのです。


私は「海外の大学に行けないのならい今すぐ仕事をした方がましだとある時は友達のところに転がり込みガソリンスタンドでアルバイトを始めたり、またある時は喫茶店のマスターの家に転がり込むというように何度も家出を試みました。そのたびに父の手がまわって婦人警官の一斉捜査の前に見事に補導され連れ戻されてしまったのでした。このようにして高校を卒業する19歳まで、家庭という強制収容所みたいな環境で育てられた私には非行に走ることの自由も与えられていなかったのです。父にたいして申し訳ないことだと反省していますが、よく「国家権力の犬の言うことは聞かない!」と反抗してました。「法律を犯しているわけではないし、誰に迷惑をかけているわけでもない、だから罰せられることはない。僕は間違ったことはしていない。」と、遠くから腰を引きながら何度も何度も、言ったことを今も忘れられません。当然捕まったら羽交い絞められ往復ビンタという体罰が待っているからです。そうです、高校卒業まで父から逃げまくってました。


このような紆余曲折の上、日大芸術学部という失望と妥協による環境を勝ち取り、怒涛の8年間が始められたのです。そんな私をいつも見守ってくれた母は、「お父ちゃんは貴方が嫌いなんじゃないんだよ。自分が勤める国の法律やこの社会にある道徳だけではなく、久米家には久米家としての生きる道がある、ということを教えてくれているんだよ」と、ことあるごとに諭してくれました。そして「うちの家は安月給の公務員。間違っても海外の大学にやれるだけのお金はない。だからあなたの海外の大学は諦めなさい。その上で、どうしても海外の大学に行きたいと思うのなら、自分の子どもからそうするようにしなさい。だからといってあなたのやりたい事を子どもにやらせようなんてことは考えてはいけないよ。あなたのやりたい事は、あなたの孫から始められるように今から準備をすること。それがあなたに課せられた人生なんだから」と・・・。


母の言葉の、「子どもにやらせようとはしなさんな」は今や知らず知らずのうちに我が心から芽を出し、我が人生の核となって「子どもには僕の後を継がさない!」となり、「孫から始めるように」の「子孫」は第三企画の若いメンバーとなり、「300年後の子どもたち」になったのです。そして私に課せられた人生は、「300年後に生まれくる子どもたちに今以上の地球環境を残し行く」人生になったのでした。久米家の生きる道の訓(おしえ)として父母からこの体に叩き込まれた精神が論語の「己欲立而立人、己欲達而達人=己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達すべし」(自分がこうありたい、こうなりたいと思う事は、自分から人にやってあげなさい)であったことに気づいたのです。両親を誇りに思い心から感謝する次第。これからの我が人生は、父の人生、母の人生でもあるのです!

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 260号(2007)

「中庸・孟子」から学ぶ

「玄関の靴事件」「嘘事件」 の思い出
父の教え「やり始めたら最後までやれ」



『人一能之、己百之、人十能之、己千之。』  【中庸】
『有為者、辟若堀井。堀井九靱、而不及泉、猶為棄井也。』  【孟子】


編集の方から「お母さんに大変薫育されたのですね、ではお父さんついてはどうなのですか?」と問われた。父の教えと言えば「やり始めた事は最後までやれ!できるまでやれ!どこまでもやれ」と、そして決まってその後、「一丈の堀を超えられない者がなんで二丈、三丈の堀を超えられるか?ボケこらっ!」と、幼い頃から言われ続けられたことだろう。この言葉どおりのことを身を以て教えられたのだ。


それは、「玄関の靴事件」である。父が夕方家に帰って来た時、玄関の靴が揃っていなかった場合は容赦なく羽交い締めされ往復ビンタを頂いたものである。それはできるまで続けられた。もうひとつは、「嘘事件」である。家団欒の途中嘘がバレた。僕はすぐに「ごめん」と謝ったのだが、にもかかわらず父の顔は鬼と化していた。叩かれる痛さ、怖さにおびえて裸足のまま外に逃げだした。それからである、やっぱり父は逃げる僕を自転車で追いかけてきた。振り返ると父の姿が迫っている。とっさに僕は、畑に逃げ道を求めた。痛い足を我慢し一目散に走る。しかし父は父である、自転車を乗り棄て走って追いかけてきた。体格の違いは距離を縮めるのにそう時間はかからなかった。見事捕まり、総括されたのである。このように父は自らの行動を持って「やり始めた事は最後までやれ!できるまでやれ!どこまでもやれ!」と恐怖とともに教えてくれたのである。高校4年生の時、退学の道を諦め、恥を忍んで一年間通えたのもこの教えのお陰である。また、大学8年間に繰り返された退学の誘惑に負けずに屈辱の日々を乗り越える事ができたのも、父のこの一言と「人が4年で卒業ができても、お前はできないのだから倍の8年かかっても卒業しろ!学費は心配するな!」との言葉があったればこそである。いま第三企画を経営する日々においても、この二つの言葉はコトある毎に耳元で「ボケこら」と共に聞こえてくる。父の愛により高校・大学と12年間学ばさせて頂いたお陰で、父が学んでいたであろう一文と出会う事ができた。


それは、『人一能之、己百之、人十能之、己千之。』(中庸)「人一たびして之を能すれば、己れ之を百たび、人十たびして之を能くすれば、己れ之を千たびす」(他人が一度でよくするならば、自分はこれを百度する。他人が十度して成し遂げられるならば、自分は千度くり返してそれをする。)そしてもうひとつ、『有為者、辟若堀井。堀井九靱、而不及泉、猶為棄井也。』(孟子)「井を掘ること九靱にして、而も泉に及はざれば、猶お井を棄つと為すなり。」(いくら九靱の深さまで井戸を掘っても、泉のでる所まで掘らなければ、それは井戸を棄てたも同様だ。本当に事をやり抜く人は、井戸なら、水が出るまでは掘ることをやめないものだ。)


そんな父は、昨年他界してしまった。もう叩かれることもない。また、面と向かって教えてもらうこともできない。しかし、きっと父も生前机に向かい同じことを学んでいたんだ、と確信する自分がここにいる。この小さな発見が、今、尊敬する父と同じ行為ができているのでは、という安心感にもなっている。僕の父は、偉大な父であった。乗り越えることのできない大きな存在である。そんな父に出会えて、最高に幸せであった。天に感謝している。そして今日も父の息子として恥じない人生を歩もうと日々決意しながら生きている。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 259号(2007)

「三字経」から学ぶ

成人して理解した母の教え
「泥棒でもいい。日本一になれ」



『子不学 非所宜 幼不学 老何為』  『犬守夜 鶏司晨 苟不学 曷為人』

【三字経】


幼い頃、母から言われ続けられていたことに「とにかく、勉強はしなさい。成績の問題ではない。いいから本を読め!勉強しろ!」がある。小学生のころから国語は、“小学一年生”なる月刊雑誌に目を通すことを義務づけられていた。当然、嫌で嫌でたまらなかった。なぜなら、読んだ箇所の感想を言わされるからである。それがたまらなく、毎日、狭い家の中を逃げ回ったものだ。
我が家はそれだけでなく、小学校一年生から塾に通うことを義務づけていたのだ。学校を終えると仲間たちと遊ぶ事が何よりも楽しみだった時期に、一人塾通い。この苦しみたるや未だに脳裏から出て行ってくれない。この時に、「先生が風邪を引いているから」という見えすぎた嘘をつき塾を休む事を覚えた。同時に、嘘はバレるものだという事もこの身をもって分かることとあいなった。


その時に母がよく口にしていたのが、「犬だって役目を果たしているから食事にありつける。(当時我が家は、ブルというシェパード犬を飼っていた。お遣い、留守番、お迎え等々ができる利口な警察犬卒業生である)人間の世は、勉強しなければ生きていけないんだ」「例え泥棒でもいいから、二十歳になった時、胸を張って日本一になりました、と言えるようにしなさい」である。そんな母だからこそ、高校4年、大学8年が現実となっても成績について口にする事はなかった。その母から離れて東京にきて次の言葉と出会った時、幼き頃の日常と母の言葉が瞬時に、そして鮮明に蘇ったのである。


それは、三字経の『子不学 非所宜 幼不学 老何為』である。「子(こ)として学(まな)ばざるは宜(よろ)しき所(ところ)に非(あら)ず 幼(よう)にして学(まな)ばざれば 老(お)いて何(なに)をか為(な)さん」そしてもう一つ、『犬守夜 鶏司晨 苟不学 曷為人』「犬(いぬ)は夜(よる)を守(まも)り 鶏(にはとり)は晨(あした)を司(つかさど)る 苟(いやし)くも学(まな)ばずん 曷(なん)ぞ人(ひと)と為(な)さん」あの時の母の言葉は、成人を迎えるまでにしっかりと勉強をしておけ。でないと、社会人になった時価もできないぞ!との教えであった、と。

 

 

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  • 引用 RBAタイムズ 258号(2007)

ある取引が原体験、RBA活動へ
日本不動産野球連盟主催
第三企画㈱ 代表取締役  久米 信廣



28歳まで塾を運営していました。自修指導塾といいます。知識の切り売りではなく、知識に至る背景に重きをおき、自ら考えを巡らせ知識に至らせるという指導法をとりました。23歳の頃からの挑戦です。この5年間にわたる教育活動によって、私は「子ども達」と「家族」と「住まい」は密接に関係しているとの確信を持ちました。子どもの人格形成の中核は、住まいにあるのです。家族の触れ合いの仕方と生活の在り方指導、それが即勉強というものになるというのが塾の方針で、それが塾の特徴でした。塾での指導の重点は、自然と、親子の関係性、家族の在り方の問題になっていきました。「21世紀母の会、父の会」を結成し、子どもの勉強と平行して活動しました。家庭訪問もそのための手段として活用しました。


私は、一方で、教育を生活の糧とすべきではないと強く考えていましたので、大学卒業をもって一旦活動を終えました。そして「住まい」に関係の深い不動産業(ひとりの塾生のお父さんが不動産会社を経営されていた関係上)のお手伝いをすることにしました。神奈川方面に二つの営業所を開設しましたが、今も忘れられないのが、当時の営業活動において起こったマンションの瑕疵事件でした。


4人家族の方にさる中古マンションを販売した時のことです。念願のマンションを購入して夢が叶ったとお喜びのご家族を見守り、引渡しを終えた後のことです。横殴りの雨で壁から雨漏りがあったとの一報がありました。「何とかしてほしい」と困り果て懇願するご家族に対して、その業者は「契約では見えない瑕疵についての責任はありません」との一言で処理を終えてしまったのです。この現実を目の当たりにした時、自分は何をしなければいけないのか、それまでもやもやしていたものが明確になりました。この出来事が第三企画誕生の引き金となったといえます。また、日本不動産野球連盟の目的である「不動産業界の繁栄と発展」もこの体験から生まれてきたのです。


私が目指している「平和」「幸せ」とは、「子ども達が笑顔で暮らせる世の中」です。舞台は、家庭であり、学校であり、会社がある社会です。そしてその舞台を支えているものが「住まい」であり「家族」なのです。何事もそうですが、脚本がドラマを形作るように、住まいが家庭を形作るのです。子ども達が笑顔で暮らせる住まいのために、業界の皆さんが社会生活を支える不動産業を営むのだという共通の意識をもつこと、そしてその意識を横糸にして連携していくことが必要だと感じたからです。日本不動産野球連盟が求めているものがここにあります。

 

 

追加情報

  • 引用 RBAタイムズ 2010.12 313号
 

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