Daisan Kikaku Inc.
 

自分って、二人いること知っていますか?
それとも、一人しかいないと思っていますか?
いままで考えたことありますか?

結論から言います
自分は、二人いるのです
その一人は、今そんな事はないと言っている貴方

そして、もう一人の自分は
貴方が遠くの昔に忘れてきてしまった自分
ご両親から授かったこの世に一人しかいない自分

その自分とは
時あるごとに顔を出しては消えて行く
「こんなはずではない」と、「思う」自分

この、事ある毎に瞬間に顔を出してくる「思い」
と、その後に決まって顔を出してくる「思い」
この二つの「思い」に見覚えがありませんか?

きっとあるでしょう!

この「思い」こそ、まぎれもない自分の正体
一人が否定すれば、一人は反省する
一人が賛成すれば、一人は迷いだす

この二人がいることを先ずは認めよう
そして、時に冷静に一人ずつを認めてあげよう
「相手を知り、自分を知れば百戦危うからず」
だから・・・。

2012.8

流れに逆らわず

流れの速さで、自らの力で流れゆく
不幸とはマイナスに働いた欲望の集積



「人間は欲望をエネルギーに生きている」と教わったこともあり、人生とは欲望の使い方だと断じて今まで生きてきた。そしてその使い方に、プラスとマイナスがあることを発見した。不幸とは、マイナスの使い方の集積だといっても過言ではない。マイナスの欲望は、同類の人を呼び込んでくる。そう考えるからこそ、マイナスに敏感にならざるを得なくなる。同時に、プラスを見るよりマイナスを見るほうがより効果的だと考える。人間は、良いものに心を奪われれば奪われるほど、固くなってしまい足元を見失う生き物である。だからこそ、最初に悪いものを正確に知るべきだ。そもそも人間とは、行きたくない場所は理屈抜きで避けて通る生き物だからである。


私達の潜在意識に内在している三大欲望の実体とは、①欲しいものをどこまでも欲しがるエネルギー、②相手を攻撃するエネルギー、③楽な方に向かうエネルギー、この三つの欲望エネルギーである。このエネルギーの使い方次第で人は人間ともなり、動物のようにもなりながら生きていく。①の例として、良いことがあると、それに満足することよりも、更にもっと!と欲望に突き動かされるのが私達だ。もう、そこで止めればいいのに!というのが周囲の見方であるのに。同様に、高ぶる感情を抑えきれなくなってしまい言いすぎることがある。それが原因で取り返しのつかない事態を招くことがある。これが②の例である。まったくもって自分の言葉に追いまくられる始末である。火に油を注ぐとはこのこと。自ら油を注いで、自ら火傷をする。何事においても争いで得られるものは無いのにである。また、③の楽な方に向うエネルギーの例は、良いと分かっていても手をあげないことがある。身体に悪いと分かっていても止められないこともある。誰が見ても価値的でない逆の方向に突進してしまう。この行為に費やすエネルギーたるや半端なものではない。そんな誰もが理解に苦しむような行為が日常生活において、いまだに後を絶たない。


よく言われる言葉がある。「今あるすべてに感謝しなさい。縁のないものとは出会わないのだから。」「むやみに批判はするな、批判は依存の裏返しなのだから。」「見えない明日より、見える今に全力で生きろ。」など。総じて、「流れに逆らわず、しかもその流れの速さで自らの力で流れていけ。」との教えと解釈し今を生きていくのはどうだろうか。

 

 

追加情報

  • 引用 RBAタイムズ 276号(2008)

「理想・実現・現実」

今も16歳から思い定めた道を歩む
毅然とした母の後ろ姿を追う



母は華道と茶道を続けている。今年でかれこれ70年近くになろうか。弟子を持つ今も自ら学んでいる母が自慢でもあり、師匠でもある。この母の後を追っかけるのに私は必死である。幼いころから貧しくも毅然とした母の姿を見ながら大きくなってきた。だから人生は何があっても前を向き進むのが当たり前のように、あたかも見えない糸で縛られたようになりながら育てられた。そんな見えない糸に対する反抗を様々に試みてみたが、傷つきながらすべてが不発に終わってしまい、現在を迎えている。(そのおかげで)寄り道しながらではあっても、今も16歳から思い定めた一本の道を歩むことができるのは、両親の厳しくも暖かい指導があったればこそである。あの時あれほど憎んでいたのに、絶対に口をきかないと決めていたのに、年とともにありがたくなってくる。


親の存在とは、不思議なものである。同時に、夢と希望は豊かさや貧しさとの関係性がまったく無いと痛感する。誰一人相手にしてくれない時期であっても、母は信じ続けてくれた。人間不信に陥っていた時、僕の対応にすべての原因があると諭してくれた。落ちこぼれの僕を最後の最後まで信じてくれた。いつでも、どこでも最強の味方だった。いや今も最強の味方である。その母のためにと人生一事にふんばっている。
そんな僕の支えとなったのが、約680年前の徒然草にあるこの一文である。「芸能を身につけようとする人は、『よくできないような時期には、なまじっか人に知られまい。内々で、よく習得してから、人前に出ていくようなのこそ、まことに奥ゆかしいことだろう』と、いつも言うようであるが、このように言う人は、一芸も習得することができない。まだまったくの未熟なうちから、上手の中にまじって、けなされても笑われても恥ずかしいと思わずに、平然と押しとおして稽占に励む人は、生まれついてその大分がなくても、稽古の道にとどこおらず、勝手気ままにしないで、年月を過こせば、芸は達者であっても芸道に励まない人よりは、最後には上手といわれる芸位に達して、人望も十分にそなわり、人に認められて、比類のない名声を得ることである。世に第一流といわれる一芸の達人といっても、初めは下手だという噂もあり、ひどい欠点もあったものである。けれども、その人が、芸道の規律を正しく守り、これを重視して、気ままにふるまうことがなければ、一世の模範となり、万人の師匠となることは、どの道でも、かわりのあるはずがない。」(小学館日本古典文学全集)
この一文が理想に向かう僕の支えである。また、母の後を追う僕の道である。

 

 

追加情報

  • 引用 RBAタイムズ 275号(2008)

不易流行の日々③

「苦しい方」と「楽な方」があったなら惑わず苦しい方を選べ!


『「苦しい方」と「楽な方」があったなら、惑わず苦しい方を選べ!」』と言われ育ってきた。高校を落第した時も、大学の落第時もそうだった。父の「何があっても卒業しろ!」の一言から逃れるために、真剣に悩んだ。そこで父に高校を辞める事を認めてもらうために、「裁断の学校に行きたい。自分はもともと美術が好きで興味がある、だからファッションデザイナーを目指そうと思う、その為には洋服の裁断を身に付けておかなければならない。だから大阪の裁断学校に行かせてほしい。」と意を決してお願いをした。自分なりの精一杯の物語をした。その結果は、「何考えてるんだ!高校も卒業できなくて何ができるというんだ!いらん事を考えずに高校を卒業しろ!」との厳しく残酷な一言からはじまった高校四年目の生活。それまでとは全く違う天国から地獄の日々、それは恥ずかしくて顔を上げることもできない辛い日々の一年間だった。しかし正直すごく楽しくもあった。皮肉にも、その四年目にお世話になった先生と友達から大学への道が開けることになった。


大学においても結果的に八年かかって卒業。その時も、五年目で退学を決意し父に申し出た。弟の大学入学も一つの理由だった。予定外の学生生活では経済的に余裕のない公務員の父に迷惑をかけられないとの理由もその一つだった。しかし何よりの理由は、これ以上大学に通うのが嫌だった。何よりも苦痛だった。そんな思いから出た退学願いだったが、「いったん目指したことは何があっても最後までやり切れ!」と却下。その一言から苦い中にも楽しかった三年間が始まった。そしてこの時期に、今の基礎となる人間関係が築かれていった。曲がりくねる僕を強制的に真っ直くしてくれた父のお陰で、いまや「苦しい方と楽な方があれば、何の抵抗もなく苦しい方を選ぶ」という日々を生きられるようになった。


そんなある日、「楽処の楽は真の楽に非ず苦中に楽しみ得来たりてわずかに心外の真機を見る」―菜根譚―。(楽しい環境にあって感じる楽しみは、本当の楽しみではない。苦しい経験の中で楽しみを得てこそ、人は初めて精神的にも行動にも真機、すなわち本当の心の働きを見出たすことができる。)との言葉に出会うことができた。今だから言えることだが、15~16才の頃や21~22才の頃の「好き」や「得意」を最優先していたなら今はない!それもそのはず、22~23才の若い頃の不確かな自分が選ぶ「好き」や「得意」が確かなものであるはずがない。そんな「好き」を基準に選択をすれば誤ることはあっても的を射るには程遠くなる。なぜなら、「好き・良い」は印象に左右され、「嫌い・否」は生理的なものからの反応だからである。今は亡き父に感謝しつつ、若いメンバーに「苦しい方・嫌な方」を選ぶように!と話す日々である。

 

 

追加情報

  • 引用 RBAタイムズ 274号(2008)

不易流行の日々②

来る者拒まず 去る者追わず!
そして、来る者に希望を 去る者に幸運を!



「不動産業界の繁栄と発展を通じ、300年後に生まれ来る子ども達に今以上の地球環境を残しゆく企業経営をもって、人類に貢献する」

第三企画の企業理念である。いわゆる経営上ではなく経済上としての使命を持ち続ける心である。300年後に生まれ来る子ども達の生活を安定させるために今の社会をよくするという、社業を通じての心の体現世間では志と云われているものである。創業当時、この志を掲げ日夜頑張ったものである。直球の生き様ゆえ何事にも、正直に理念を、志を口にした。その度ごとによく言われたものである。「なに寝言を言っているんだ。そんなことより仕事しろ!」「平和だの、300年後だの、君は詐欺師か!」等々まともに相手をしてくれる人は少なかった。
しかしこの世は捨てる神あれば拾う神ありと言われる如く、第三企画はここまで生かさせて頂くことができた。本当に感謝、感謝の日々である。「人生志に適するを貴ぶ」とは張翰(西晋の人。黄河流域に生まれ、才能を見込まれ内陸の首都洛陽の政府高官となった)の言葉である。「人生は想いに従った生き方を尊ぶべきである」との意。確かに人生は、志に適することは大事である。金に志を持つ人は、寝ても覚めても金儲けに奔走すべきである。権力に志を持つのであれば、昇進をすべてに優先させるべきである。何事においても実現すれば満足はできる。


そこで第三企画だが、その理念は、経世済民に焦点を当てた志である。ゆえにおのずと日常の過ごし方が決まってくる。だから、他人の満足を羨むような愚はおかさない。それよりも、「上戸は毒を知らず下戸は薬を知らず」ではないが、「上戸は酒を楽しむべし下戸は餅を楽しむべし」である。別の志を尊ぶ者として、去る者には幸運を願わずにはいられない。さて前述の「人生志に適するを貴ぶ」には前後がある。「張翰は、秋風が吹き出したのに逢って、故郷の県中の菰菜(まこも)と蓴嚢(じゅんさいのあつもの)と鱸魚の膾(すずきのなます)とを思い出して食べたいと思い、『人生は思いに従った生き方を尊ぶべき』で、どうして故郷を数千里も離れた所で高官に就くべきだろうかと言って、籠に乗って故郷に帰っていった。この後すぐに、主君は敗れた。人々は、張翰のことを機を見るに敏な人で、上手に身を引いた人だと思った」―晋書―という文脈で使われている。故郷の鱸魚(すずき)と膾(なます)を辞職の口実にして生き延びたという訳である。どう考えてみても私は、張翰のようには生きられそうにない。

 

 

追加情報

  • 引用 RBAタイムズ 273号(2008)

不易流行の日々①

来る者拒まず去る者追わず!
そして、来る者に希望を 去る者に幸運を!



会社を経営していると、人の心が移り変わることはごく当たり前に経験することである。ある時、そんな生々しい現状を消化できなくて母に相談した。その時の話しで今も覚えている言葉が「去る者追わず」である。


「死生命あり、富貴天に在り(人間の生も死も、はたまた貧富、貴賎も、すべて天命であって、個人がどうすることも出来ないものだ)」(論語)とは、悪い兄をもった司馬牛の嘆きに対して子夏が悟した言葉である。人間は動物の一種、動く生き物である。しかし身体だけではなく、心の状態までもが動き回ってしまうから困ることになる。その「動き回る心の状態」を「気持ち」という。決意する不動の心とは別に、目に接するモノによって変わりゆく心の表れようが気持ちである。宣伝文句ではないが、「分かっちゃいるけど止められない!というねじれ現象。心で固く決めただけに、止められない言い訳をさがす自分の気持ちに腹が立う。誰もが少なからず経験することである。


そんな私たちは手にできないと分かりながらも、お金に囚われ、車に囚われ、地位に囚われ、名誉に囚われ、家族に囚われ、メンツに囚われる。世の中を見渡してみても、経済界の頂点に君臨したにも関わらず、欲に目がくらみ夕立の如く流れ去っていく人が何と多いことか。また最初はやる気満々の意思表示をしながら、年月が経つと自らの言動を翻し、やらないことを正当化する輩(やから)が後を絶たない。流行とは、「一時」的に広く世間に受け入れられることである。その「一時」に沿って動き回るものが私たちの気持ちである。やる気が旺盛の時は良い環境と判断しても、やる気が衰退すると悪い環境だと判断してしまうのが気持ちの動き。その環境は、善悪などないひとつのモノであるにも関わらず、である。このように私たちが生きるということは、あらゆる物事に囚われ追いかけ回すことだといっても過言ではない。しかしどのような人も心は悪くない。ただ動き回る気持ちに振り回されているだけである。「罪を憎んで人を憎まず」ではないが、「振り回されている気持ちを哀れみ、人を憐れむな」である。今日も不易流行の日々を生きると誓う次第だ。

 

 

追加情報

  • 引用 RBAタイムズ 272号(2008)

2008年「善進する第三企画」

過剰な自我を出さない
それが自分自身を生きること


論語「子罕第九」に「子絶四、母意、母必、母固、母我=子四を絶つ。意母(な)く、必母(な)く、固母(な)く、我母(な)し」とある。すなわちこの四つは、①主観的な私意②必ずやり通そうとする無理押し③頑固に自分を守り通そうとするかたくなさ④自分のことだけを考える我執―――である。孔子は常人の陥り易い四つのものを断ち切って、きわめて円満であったという。


私たち現代社会を生きるものとしては、耳の痛い話である。なぜなら私たちの目の前に氾濫しているネット・書物などにおける情報の多くは、①欲しいものを手に入れなさい。その方法は… ②夢をでっかく持つべきである、そして夢を追いかけなさい③何であれ内容問わず主張しなさい、主張することは個性的である。だから個性的でありなさい④とにかく頑張りなさい、頑張らなければ負け組となりますよ―――以上の四つそのものである。まさに私たちの人生とは、「意に起こり、心に遂げ、固に固まって、我に成る」である。ここでいう「意」と「必」は事前に位置し、「固」と「我」は事後に位置している。すなわち私たち自分自身の生は、「意と必」「固と我」の中間(=自分)に位置(=自身)しているということである。そして、そのサイクルによって形成される「我」が新たな「意」を生じさせるという人生のスパイラルの上に展開されているということでもある。日々忙しく過ごすこの繰り返しの積み重ねが、私たちの人生を作っているのである。


ゆえに第三企画では、①人は変化し成長もするが、何かの目標や方向に向かって成長や進歩を遂げるというわけだけではない②生きるということに過剰な自我を出さないことが第三企画における「品位」である―――と定め、日々の経営に臨むものである。なぜなら、私たち人間の「夢や目標」を追いかけ過ぎる行為は、現実という今から眼を反らすことにつながりかねない危険性を孕んでいるからである。当然、個人においても、そんな挑戦する自分の感情に飲み込まれ(自分の感情を過大評価し過ぎて)自分自身を見失うことになりかねないからである。そんな私たちが暮らしている世の中は、決着のつかない出来事・感情ばかりといっても過言ではない。だからこそ、自分を優先させないことが自分自身を生きることにつながるという逆も成り立つのである。
それが2008年第三企画が「善進」を掲げ「自分自身」に生きる理由である。

 

 

追加情報

  • 引用 RBAタイムズ 270号(2008)

「番外編」

他方を知っていて一方を知らない


一を識りて二を知らず
(一つのことだけを知っていて、その他のことを知らない。知識や考え方が極めて狭いたとえ)

【荘子】


続・性格は変えられない?!
「心に善悪有りや否や」との問いに答えた興味深い言葉がある

「天にあてはめれば『命』といい、
 物にあてはめれば『理』といい、
 人にあてはめれば『性』といい、
 一身にあてはめれば『心』という

 このように実質は、一つである
 心は元来が善でありそれが心の働きに現れると
 善ができ不善ができる
 心の働きが外に現れる場合は、
 “情”という事はできても“心”とはいえない
 例えば、水は水といえるだけである、
 しかしそれが流れ出し支流を作り東や西に行ったりすれば、
 水といわず“流れ”と言うようなものである」

私達がいう性格とは「感情や意志」を指している
感情とは、喜び悲しむ心の働きであり
意志とは、積極的に目指す心の働きである

ここで早くも性格は、二つに分かれている
荘子のいう「一を識りて二を知らず」とは
一方だけを知っていて他方を知らないことを戒めた言葉である

ということは、他方を知っていて一方を知らないこともある
いわゆる「性格を変えられない」
と言っている人は他方に明るく、一方すなわち自分に暗い人なのかも知れない

この場合においても「性格は変えられない]というでは、
もう一方を知ればどうなるのか?新たな性格が現れてくるということにならないのか

さて貴方は、今も 「性格はひとつ」と想いますか?


 

追加情報

  • 引用 RBAタイムズ 番外編2(2007)

「番外編」

経験していない反応はあり得ない


一を識りて二を知らず
(一つのことだけを知っていて、その他のことを知らない。知識や考え方が極めて狭いたとえ)

【荘子】


性格は変えられない?!
性格は変えられない!と言われ
性格は変えられる!とも言われている

そもそも性格の「性」とは、心が立っている状態の生
人が起きている間に(物事に出会う度に)働く心の働き
その働きが他の人と比べて際立つ様を見て私達は性格と言っている

総じて性格とは、
「その人が生まれつきもっている感情や意志(性質)などの傾向」
と辞書に書かれるようになった

そして、「三つ子の魂百まで」とも言われている
幼児の性質は一生変わらないものだという

ここでいう性質は、言動に現れるその人に
備わったものを指している言動であるから、
その人の発する言葉と行動である
それらは、出会いごとにその身体の内から
湧き上がりくるものである

とする性格とは、
経験による反応と言い換えてもおかしくはない
ここで大事な事は、
「経験していない反応はあり得ない」
正に荘子して「一を識りて二を知らず」と
言わしめる如くである

経験していない反応はあり得ない
だから性格はひとつしかない
それを、人は変えられないという

もうひとつの性格を知りたければ
新たな経験をすればいい…
ただそれだけで性格は新たになる


 

追加情報

  • 引用 RBAタイムズ 番外編1(2007)

“諸行無常”

与えられた寿命を価値あるものへと転換しゆく


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の世の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。」

【平家物語】


人生、諸行無常の先を目指して
私達の社会生活には家族が在り、会社が在り、仲間が在る。
そしてすべては諸行無常である。


時は家庭内の変化を招き寄せ、会社では定年を運んでくる。仲間は、時のうつろいとともに自らの意思に反し入れ替わる。世間では、存在する万物で変わらないものはない。古来より言い伝えられてきた「万物流転の法則」がこれである。建物は壊される為に建ち、人は別れる為に出会いがあり、会社における幹部は変る為に就任する。個人の生活でいえば、今に全力する人にもやがて人としての魅力はなくなり、目先の成果に集中する人に目指す未来は訪れない。ましてや家庭だけの人に、社会的な充実と個人的な満足は遠のいていく。


人生における悟りとは、諦念とは、諸行無常を受け入れることである。だからといって、ハイそうですかと言っていられないのが人間である。それがゆえに、もがき苦しみ、工夫しながら生きるのである。その結果、自分の立ち位置を見失い、彷徨う人が後を断たないのも事実である。今を失わないために今にしがみつき、雑念を払いのけようと耳を塞ぐことに全力を尽くす。未来の事など気にする暇はなく、ただひたすら今の帳尻を合わせることに勤しむ。そして先行き不安を隠したまま今を生きる。


しかしである。定年も、結婚も、家庭も、仲間も、人生という寿命までは長くない。だからこそ、せめて寿命までの日々の充実を目指そうと私は決意している。第三企画もRBAも、そんな諸行無常である人生を充実させるために天が用意してくれたものであり、そこでお会いする皆様方との出会いは天が用意してくれたものと解釈している。これまでお会いいただいた皆様方、そしてこれからお会いさせていただくことになる皆様方に改めてよろしくと申しとげる次第。これからも全力で、一回しかない人生という与えられた寿命を価値あるものへと転換しゆくために、僕は頑張ります。

 

 

 

追加情報

  • 引用 RBAタイムズ 267号(2007)
 

ayumi.gif

 

 

 
ログイン

アカウントでログイン

ユーザ名 *
パスワード *
自動ログイン