足し算と引き算の人生
歴史を彩る一人の小さな行為
良きも悪しきも認め受け入れる
人生において大切な事は「足し算と引き算だからね」と言われて育った。引き算とは、何かあるとすぐに「できません」「それは無理です」「考えさせて下さい」等々自ら避けて通ろうとする人達のこと。このような人達こそ「引き算の人生を歩む人達」だと僕は教わって来た。
「引き算の人」は、自分にはできないと思っているのだから、できない事をできない自分に向かって薦めるような人を信じられる訳がない。なんて不親切な人なんだ、分かってない!と考える。
そして、このような出来事を重ねる度に人間不信となってしまう。すなわち、自分をできない人だと思い込んでいる人にとって、できない事を薦める人は信用ならない人なのである。自分を信用できない人は、相手も信用できない。また自分の悪い所ばかりが気になる人は、相手の悪い所ばかりを見てしまうものである。挙げ句に自分を好きになれない人は、相手を好きになることはない。このように私たち人間は、自分を見ている目と同じ目で、相手を見ているのである。
また逆に、「やらせて下さい」「できます」「もっと詳しく話して下さい」等々「足し算の人」がいる。自分から手をあげた一つひとつに真面目に取り組む人は、時にやりすぎ、無理のし過ぎになる。そんな場合、話しを薦めた人は黙って見過ごす訳にはいかなくなるので、陰に陽に協力体制に入る事となる。すなわち、前向きに生きる人には、前向きな人が応援に入るようになっている。どうも人間という生き物は、自分が自分自身について理解している内容を尺度にして他人はどのような人なのかを計る生き物らしい。まさにアリストテレスの「類は友を呼ぶ」につながるのである。であるからこそ、自分と真っ正面から向き合い、良きも悪しきも認め受け入れることが大切なのである。そうすれば自然と他人とも真っ正面から向き合えるようになってくるからである。第三企画が推し進める「人の前に明かりを灯す」行為とは、このような姿勢から目指す一人の小さな行為である。この小さな一波が万波となり私たち人間の歴史を彩っていくのを楽しみにしたい。
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- 引用 RBAタイムズ 279号(2008)
幹部の人材育成
不祥事にわれ関せずの経営者
選び従う方にも大きな問題が
最近の若い者は…とは、いつの時代でも耳にする言葉である。いわく、「最近の若い者は老人に席を譲らない」果たしてそうであろうか?若者としては言われるから譲っているのだろうか?私はそうは思わない。電車に乗り合わせてよく目にするのは譲らない若者がいるかわりに、譲られて座らない老人がいる何か変な風景である。できる人は言われなくてもできる人であり、逆にできてなくて言われている人は、言われてもできない人である。こういえば言いすぎであろうか?
さて、「最近の若者はルールを守らない」、これもよく聞く話しである。公共施設を大切にしない、電車の中での振る舞いが…、コンビニの前でたむろする等々。何故か若者が標的にされている感じである。私たち大人は大きな顔をしてそんな事を言えるのだろうか?私は否と言う。現に、不祥事を起した企業の幹部たちが記者会見の場で、揃って頭を下げて謝罪する光景がTVの画面で繰り広げられているではないか。しかも、名の通った大企業の不祥事の連続投である。
彼らは勿論、立派と言われてきた大人である。そんな方の口をついて出てくる言い訳が「部下がやった」「現場が勝手に…」等々、まさにわれ関せずと言わんばかりの言葉である。自ら棚に上がった!経営者の責任はどこに行ったのやらである。「最近の若い者はマナーを守らない」と嘆いている方々は、何を根拠に「守れ」と言っているのだろう?非常に興味がある。私はこう思っている。「マナーといい、ルールといい、挨拶といい、一人で暮らす事のできない人間が考え出した生きる為の最低条件である『他人を思いやる』という行為だからこそ、自分の為にも守らなければならないものである」と。
だからこそ、若者は言うに及ばず人間である全ての人が守るものである。老人に席を譲る事に関してもそうである。今私たちが生きられるのも先人の方々の労苦があったればこそであって、そんな先人である老人たち(先輩たち)に対する「尊敬と労いの気持ち」があるからこそ、例えば席を譲るという行為が産み出てくるのである。もちろん、挨拶も然りである。
さて、そこで企業における経営者の姿勢である。私も中小企業を経営している関係上、他人事と感じられない。頭を下げている経営者の皆さん方を本心で許せない。私が経営者として最も大事にしているものは、「会社組織の構築、幹部の育成と配置・任命」という一大仕事である。そこには自ら棚に上ってしまう姿勢は、もちろんない。そんな私の日常から考えるに、恥も外聞もない経営者も問題であるが、そんな人を経営者と選び従う方々にも大きな問題があるのではと、中小企業だからこその立場で考えている。
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- 引用 RBAタイムズ 278号(2008)
人材育成のために
楽しみは対象にあるのではない
対象と向き合う自分の中にある
今年度も新しいメンバーを迎え新しい一年のスターを切った。初々しい新入社員を前に背筋を伸ばし取り組む日々を過ごしている。そして彼らと接するとき、日々において自分の若かった頃を思い出しながら話しをすることにしている。「学校(高校)が面白くないから行きたくない!」と言い、父から「学校が面白いはずがないだろ!その考え方がおかしい!」と怒鳴られたこと。当然渋々行くことになったのだが、その時は父の言うことがよく分からなかった私。また音楽活動をしている大学一年の時、プロダクションからのレコーディングの話があった。母を喜ばせることができると思うと嬉しくて母に報告した時、母から「19歳で社会の何が分かるの、今は勉強しなさい」と冷たく否定され、腹が立つのを通り過ぎて母の存在が許せなかったこと。その時も「音楽に楽しみがあるのではないんだよ!」との母の言葉がよくわからなかった私。私は自分が向かう対象に楽しみがあると信じていたのである。
ところが二度言われ冷静に振り返ると、どれも自分から進んで楽しいことを探していたことに気がついた。それならばと、遊んで楽しくない対象にあたってみようと赤羽の魚屋さんでアルバイトを始めた。面白いはずない、楽しくない対象はどんなにしたって楽しくはないんだ、それを証明したくて決めたアルバイト先であったのだ。その結果をもって父母に意見しようと企てた。しかし僕の目論見は見事に外れた。魚屋さんを毎日楽しみ、愉快に過ごした日々、確かに遣り甲斐があった。本当に今も忘れないくらいびっくりした。なぜか毎日毎日のバイトが待ち遠しくて仕方なくなってしまっていた。最初の思惑を忘れてしまい、魚屋さんをやりたくなっていた…。今や対象に拘らなかった自分がある。
そんな体験を思い出しながら、若い人には、目の前に現れてくるものに有りのままに向かおう、と話している。そして自分勝手に判断しないように、事ある毎に父母への相談は欠かさないように、普段の挨拶をやるようにと話している。対象に楽しさを求めている若い方々に今だからこそ言える。「楽しみは対象にあるのではなく、自分にある」と。「やりたい仕事に楽しさがあるのではなく、例えどんな仕事であっても、工夫する自分の中にある。」ということを。そして「そんな君たちを育ててくれたご両親と接する中にある」ということを力説している。なぜなら両親を尊敬できない人に、上司を尊敬できるわけがないと考えるから。
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- 引用 RBAタイムズ 277号(2008)
今年の計画を、覚えている人も覚えていない人も
毎日毎日、忙しく生きている
暇を持つこともままならない
その位、忙しい毎日である
その中で
欠かせない重要案件はどの位あるのだろう?
一度、一日でやったことを書き出してみよう
そう多くは無いはず
暇なく時間に追われているのに
いざ書き出そうとすれば…
そうなのです、私達の一日は
無計画のうちに始まり終わっている
意識する、しないに関わらず
して、その本人は年頭に一年の計画を立て
手帳を見ながら…、時計を見ながら…
そして一年の終わりに来年の計画に手をつけている
もう何年の間同じ事をやっているのだろう?
もうそろそろ流れを変えなければ…
そう感じている人は次のことをやってみて下さい
今やらなければならない目の前のことに全力集中
後先に思いを馳せず、隣の人に惑わされず
指示に従い一心不乱に全心全力
2013.3
年が明け、はや一ヶ月
お正月気分はどこにやら
今日も時間を追い、追われる
一日の出来事
それは予定した事より
予定外の出来事に振り回される?
だから、今年も予定表が店頭を飾り
時間マネジメント書籍が書店を飾る
手帳でコントロールできるが定説?
書いていることと
やっていることのギャップ
正直なところそれが、今日という一日
その流れを変えるには
毎日毎日、年頭の決意を読むしかない
そのギャップを瞬時も忘れないことである
であるなら、年頭の決意とは、今日の決意である
さて貴方の今日という一日に
年頭の決意が息づいてますか?
さあ、勇気を出して思いだしてみませんか?
2013.2
年が明けて新しい一年の始まり
とはいえ、カレンダー上の話し
現実は、昨年・昨日からの続き
「おめでたい」の前に
昨年はどうだったのだろう?
先ずは、反省から始めたい
人は現実に惑わされ
省みることを忘れてしまう生き物
さて貴方、一年の区切りをつけられましたか?
「省みる」という字は
「はぶく」と書く
だから今すぐ、昨年の何を省いたのかの確認
何も省いてなければ、昨年の繰り返し
相変わらずの一年の始まり
変わりない日々の繰り返し
貴方は今年一年、それで満足ですか?
2013.1
誰もがアイドル=偶像を追い求める
なにもアイドルはスポーツ選手やタレントばかりではない
過去の成功体験も、十分アイドルである
いつの時代も、どの国でも
個人であれ、群れであれ、企業であれ
成功体験は衰退の一大原因
それは、過ぎ去った、出来事
それは、耳にする噂、口コミ
それは、現実を見誤る“錯覚”
見えない「執着」も、「固く信じる」ことも
その思い込みが常識の目を狂わせる
それはアイドルと同じ
夢よ、もう一度!
成功体験にしがみつく
しかし、人生に同じ事は二度と起こらない
だからこそ、過去に流されず
成功体験を捨て
新たなことに挑戦!
そう、今に必要なものは「勇気」なのだ!
あれもこれも手にしようと力を分散
その穴埋めに使えるものは全て使う
努力したつもりでも、単なる手抜き
手抜きとは
誰かに寄りかかり
誰かにすがること
良い結果など出るわけがなく
窮地に立たされる羽目となる
勿論、知らぬは本人だけ
周りはみんな、つながっている
いくら、良い顔をしたとしても
因果応報と、人生に狂いはない
自分の感情のままに生きていて
欲望のままに生きていては
周りを味方にはできないぞ
自分の衝動に振り回され
欲望に押し切られていては
周りと足並みを揃えられないぞ
「日日に新たに、又日に新たなり」とは
日々、自制することであり
日々、克己することである
一回しかない、この人生
誰もが「生きた分しか生きられない」
「神は万人に公平に一日24時間を与え給うた。
われわれは、明日の時間を今使うことはできないし
昨日の時間を今とりもどすすべもない
ただ今日の時間を有効に使うことができるだけである
毎日の24時間をどう使っていくか
私は一日の決算は一日にやることを心がけている
うまくゆくこともあるが、しくじることもある
しくじれば、その日のうちに始末する
反省するということだ
今日が眼目だから、昨日の尾を引いたり、明日へ持ち越したりしない
昨日を悔やむこともしないし、明日を思いわずらうこともしない
このことを積極的に言い表したのが「日新」だ
昨日も明日もない、新たに今日という清浄無垢の日を迎える
今日という一日に全力を傾ける。今日一日を有意義に過ごす
これは、私にとって最大最良の健康法になっているかもしれない」
以上は、土光敏夫さんの言葉である
「苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり」
この時始めて「苟日新、日日新、又日新」を知った
意味『きょうの行いはきのうよりも新しくよくなり、
明日の行いはきょうよりも新しくよくなるように修養に心がけねばならない。
殷の湯王はこれを洗面の器に彫りつけて毎日の自誡の句とした』
「誰が正しい、正しくない」ではなく
「何がいい、悪い」でもなく
何が出来る、出来ない」でもない
大切なのは、貴方の言葉であり振舞い
今の言葉・振舞いが周りの方々の心にどう映り
どのような感じを与え
どう反応させているかである
貴方の『何気ない会話』や
『やり取り』のなかに
紛れも無い貴方の姿があるのです
その姿が貴方の人間性となり評価の対象となる
その評価が、貴方への対応となり
貴方が生きるこれからの舞台となり
これからの、貴方の生きる枠となる
そうです! 目の前に起こり来る出来事は
貴方が好んで引き起こしている出来事
誰の責任でもない、貴方が望む出来事
自分の力ではどうしようもない自らが招いた出来事だから
人は、愚痴を言い、不平を言い、文句を言い、言い訳を言う
そんな人の多くは、自分を変えずに環境を変えようとする
今こそ、わが身を振り返ろう!