テストの成績が気になった時
受験戦争に巻き込まれた時
社会人になるための試験の時
勉強という言葉が身に染みた
社会人になってから
試験から逃げる人達がいる
勉強から遠ざかる人がいる
何のための勉強なのか?
それが分からなくなったから?
それとも単に嫌なだけなのか?
どちらにしても
「強いて勉める」事から逃げている
逃げれるうちはいいのだが・・・・・・・
そこで提案します「勉強する目的を」
勉強は
①自分の身を守るために必要なものを身につけるためです
騙されないため、裏切られないため、利用されないため
②誰からも好かれる人間になるためです
どうしても自分中心になりがちな自分に打ち克つために
鍛えの夏
わが人生を守るために強いて勉める日々としませんか?
誰も目標を持っている
そして誰もが努力する
勿論何一つ疑いません
しかしどうだろう?
周りにイキイキしている人は何人いますか?
周りに日々満足している人は何人いますか?
誰もが若い時から今まで
目の前だけを見て頑張ってます
ずっと……真面目に……今まで
で、どうです……?
満足の積重ねができてそうですか?
心は豊かになってきてそうですか?
さて貴方
先を生きている人達を目指しますか?
それとも……
今も相変らず無我夢中に生きる人達
親の言う事、誰の言うことも聞かず
自分だけは違うと信じ口にしながら
そうして現代社会ができている
貴方の一年先、三年先、五年先
大丈夫ですか?
考えること
それは、立ち止まること
動きを止めること
あれこれと、シュミレーションすること
いわゆる模擬実験をするということ
どこまでも観念の遊戯である
考えている間に物事は進んでいる
答えが出た時状況は変わっている
だから、また考えてしまう
どこまでいっても考える人はずっと考えている
考えるだけで満足してしまっている
熱湯が手にかかってしまったとき
誰もが思わず手を引く
もちろん熱さに耐えられないから
誰も考えて手を引くわけではない
熱いと感じた瞬間反射的に手を引く
そう感じたから・・・・・・
さて貴方、
考える余り「感じる能力」を退化させてませんか?
今日一日、「感じる」ことはありましたか?
執着とは
ある物事に強く心が引かれる事
一つのことに心をとらわれて、そこから離れない事
集中とは
一ヶ所に集めること
また、一ヶ所に集まること
人の振る舞いを
見た目では見分けることは難しい
一見どちらも同じに見えてしまう
しかし行き先には全く違うものが用意されている
執着の行為からは、ねずみの回し車が待っている
集中の行為からは、目的達成の感動が待っている
この両者を分かつものは
その姿勢を見切る勇気である
そして勇気とは「初心忘るべからず」
もうひとつは選択行為
用いるのか、用いないか
今必要なのか、そのうち必要か
さて貴方の日々は、執着する日々ですか?
それとも、集中する日々ですか?
答えは、自分の部屋を見れば見つかります
ある出来事を、
ある人は10と言い
ある人は12と言う
ある人は8と言う
世間には、普通という言葉があり
楽観という言葉があり
悲観という言葉もある
その場合、往々にして
一番多く指示されているものが普通と言われる
ゆえに、ある出来事は10が普通と認識される
すると自動的に、
12は楽観的となり、8は悲観的となる
もちろん真実は度外視しての事である
そもそも
能天気と楽観は別物である
悲観的と慎重も別物である
しかしどうしても
見た目が同じに見えるから
多くの人が混同してしまう
だから僕はこうするのです
すべての出来事を8(慎重)と捉え
現実的に12(楽観)の立場で動くのです
話し合って、意見が一致する人もいれば
ずっと平行線をたどる人たちもいる
さて、この原因を突き止めてみよう
多くの話し合いは
状況、出来事をきっかけに始まる
意見が一致しない場合は
確実に二つの見方が独立する
永遠に交わらない見方である
その見方を分かつものは
対象となる現実解釈の仕方
その相違が、決定打となる
その一つは、自分中心の見方
現実を自分の感覚で解釈する人
良かった、仕方ない等の感情で判断する人
もう一つは、現実中心の見方
現実を特定の立場にとらわれないで解釈する人
感情を入れず、事実をありのままに判断する人
自分中心の人の意見は、特定の人物にしか通用しないが
現実中心の人の意見は、誰もが納得し、誰にも通用する
困ったことに、感覚中心の人程自分が正しいと行動する
さて貴方は、どっちの人でしょう?
決裂している事に気づいてない人ではないですよね?
論語に「言必信 行必果」がある
「言うことは、必ず偽りなく
行うことは、必ず果たす」の意
耳の痛い人もいるだろう
言うこと偽り、開き直り
行うこと果たさず、言い訳る
この国の大臣ですらそうである
未来の使者に合わせる顔がない
どこでも子供は大人を見て育つ
古典を左手に胸を張り
「言うは易し 行い難し」と教え
「言行一致」こそ成人への道と諭す
子どもにとって大切なもの
それは、文字としての証拠ではなく
見習える手本である
その通りやってみて
どうなるかの証である
まさに「論より証拠」
平成24年、責任ある大人として
「言必信 行必果」の日々を!
25年をステップの年とする為に
2012.1
今も生きる幼い頃の記憶
『少年よ大志を抱け』
誰もが口にできる
この言葉には続きがある
それを語る人に今も会えてない
必要とされてないから?
時に人は自分の都合を優先する
だからといって、都合の鵜呑みはいけない
誰人も人生は自分で切り開くものだから
これは個人、団体問わず
必要と信じる
だから私は今も自らに言い聞かせている
『少年よ大志を抱け
お金の為でなく
私欲の為でもない。
名声という虚しいものの為でもない。
人としてあるべき道をまっとうする為に
大志を抱け!』
そして私は、今日も『大志』に生きる!
2012.2
私達が暮らす世は、人間関係で成り立っている
それは仕事関係にあらわれ
利害関係に集約される
そしてそれは
人の口から発せられた言葉で織り成す人間模様
その時々のその人の言葉そのものが人間模様
私達の使う言葉には大きな特徴がある
『言った人は忘れ、聞いた人は忘れない』
故に、「辻褄が合わない」と思うのは他人
判断するその時、人は今を優先する
それは『過去を捨て、未来を消し去る』こと
だからこそ判断する時は今の言葉を鵜呑みにしてはいけない
他の人がその人の言葉を再生している
『過去を生かし、未来をなぞる』作業をしている
その時炙り出されるもの、それは「過去と今の食い違い」
そして「未来に繋がらない今」
この作業を怠ると今スッキリ、先でガッカリ
まさに、「行きはよいよい帰りは怖い」
そう!
言葉の積み重ねこそ自分の人生
2012.3・4
新年度が始まって1ヶ月
心機一転を誓って30日
さて、何人の人が「初心」を覚えている?
お正月で決意し
4月で再び決意し
そして5月の連休
連休にうつつを抜かす人
日常の出来事に流される人
弱い自分に負け安逸に浸る人
正月・新年度の雰囲気に乗せられての決意は
まだ見ぬ明日に「夢と欲望」を委ねる決意
ならば今、「破れ・ほころび・忘れている」
結果の出る「決意」とは
単に、とるべき行動や態度を決めるのではなく
過去を振り返る「反省」から始める意志
だから、結果を出す人の「反省」は
「省」を「かえりみる」と読まず
よくないものを、「はぶく」と読む
ゆえに、結果を出す人の「決意」は
はぶいた箇所を補う為の具体的行為となる
出来たか、出来なかったかが明確になる行為
さて、貴方の「決意」は大丈夫ですか?
2012.5