久米 信廣の 「徹」

 

古(いにしえ)の賢人・古典に学ぶ

行動の基礎「模倣から創造へ」
エネルギー源は開き直り的な悟り
 
 
 人から「型破りですね」とか「変わってますね」あるいは「エネルギッシュですね」などと、よく言われます。そう見られるのは、どうやら、私の考え方、私の一挙手一投足の源となっている行動原理によるものと思われます。今回は、第三企画の経営のみならず、私の生き方そのものを方向付けている考え方、行動原理についてお話します。私の信念となっているものの考え方の、その根幹に「模倣より創造へ」という考え方があります。なぜそれが私の行動の基礎となったのかといいますと、孔子の次のような文章に出会ったからです。
 
 
 論語(述而篇)に「子曰。述而不作。信而好古。竊比於我老彭。」=子曰く、述べて作らず。信じて古を好む。竊(ひそか)に我が老彭に比(なぞら)う。という文章、これに出会い衝撃を受けたのです。
 口語訳はこうです。「孔子がいうには、自分は在ったことを述べているのであって、新たに創り出しているのではない。古を信じ、古を好んでいるからだ。心中ひそかに、殷の賢人の彭という人に倣いたいものだと思っている。」
 孔子は、同じく述而篇で「好古敏以求之者也。」=古を好み、敏にして以て之を求めたる者なり、とも言っています。私は、この文章に触発されて古典を好きになろう、古典に生きかたを求めて行こう、そして怠けず学んでいこうと秘かに決意したのです。
 
 
 私の古との出会い、古への共鳴は模倣へと発展しました。そして新しい価値を見いだすきっかけとなってくれました。まさに論語(為政篇)にある「温故而知新、可以為師矣。」=故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以て師となるべし、です。私は、そこから「自分が以前に習ったことや昔のことをしっかりと習熟して、新しいことを知ることができるならば、師(先生)となることができる」と確信したのです。
16歳から目指してきた人生のゴールをこの行動原理の先に見据えることができたのです。
 もちろん不安もありました。でも、この安も論語(述而篇)の一節が解消してくれました。孔子は「徳が積もらないこと、習が進まないこと、道義を学んでも実践できないこと、不善をば改めることができないこと、これらが私の悩みである」と言うのです。孔子でさえ普通の一人の人間だったのだと思いました。そしてそれまでの不安は吹き飛びました。私は孔子と同じ人間なのだ、と。人間という生き物の在り方は、4000年前から変わらないということです。
 であるとしたら、自分は日本人として日本人らしく堂々と生きればいい、模倣から創造へと全力すればいいと開き直り、悟る(気付く)ことができたのです。
 
 

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  • 引用: RBAタイムズ 2012.12 323号