久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.44

家族力③

分かった「人間の条件」前頭前野
六大欲の調整は手つかずの時代



六大欲の制御について興味ある出来事がある。それは1848年、米国ヴァーモント州で起こったある鉄道工事事故である。この事故が人類史に新たな「人間の条件」をもたらしたのである。フィネアス・ゲイジ氏は鉄道工事現場監督であった。その事故は、爆風で飛ばされた長さ30センチの鉄棒が、ゲイジ氏の前頭葉を直撃貫通するというものであった。ゲイジ氏は一命を取り留めたものの、この事故で前頭葉の先端部分である前頭前野のほとんどを失ったのである。病院での彼は事故の重大さをよそに、これといった機能障害もなく順調に回復していた。いわゆる普通の正常な人間として復帰したのである。


しかしである。職場仲間はびっくりした。現場監督を務めるほど責任感の強い優秀な働き者であったゲイジ氏は、どこかに行ってしまった。眼前にいるゲイジ氏は、卑猥で、自己中心的で、すぐに切れ、いざという時にも関わらずなに一つの決断もできない、悪意に満ちた、どうしようもない、全く別人といっても言い過ぎでない人物となっていた。この事故を機に、前頭前野の役割が明らかになったのである。事故後のゲイジ氏のごとく「卑猥で、自己中心的で、すぐに切れる、決断ができない、悪意に満ちている」のは、ヒトとしての本能そのままの振る舞いをする、六大欲の制御が利かない人間である。理性を持ち、感情を抑え、他人を敬い、優しさを持った、責任感のある、決断力に富んだ思考能力の機能、それが前頭前野の役割であった。
そもそも生きものは、食欲、性欲、睡眠欲に基づく本能的振る舞いで、外部からのエネルギーを取り入れ、自己を維持・発展させる、「環境に開かれた存在」である。その環境適応能力は、大小の差こそあれすべての生き物に与えられている。それに加えて、人間が社会的な動物であるがゆえに、私たちには財欲、名誉欲が加わり五大欲に振り回されることになるのである。人間はまさに、五大欲で生きているといっても過言ではない。コメディアン植木等のいう「わかっちゃいるけど止められない」である。


そんな私たちは、わずかに知識欲によって五大欲を制御・調整する術を解き明かそうとしてきた。「人間の条件」たる前頭前野の役割を解明してきたのはこの知識欲によるものである。ところがこの知識欲も統制・制御しなければならない対象なのである。原子力の研究がそうであったし、ヒトゲノムの解読や遺伝子操作も知識欲の欲するままにしていいのか疑問がつきまとう。知識欲は成果となって現代文明を形作ってきた。がしかし、知識欲を加えた六大欲の調整においては全くと言っていいほど手つかずである。


 

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  • 引用: RBAタイムズ 299号(2009)