久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.38

生への意欲

失敗しても失敗してもかまわず前進
宿命と捉えず 運命を切り拓く



花壇にわれ先にと咲く花があれば、通りすがりの道端にも力強く咲く花がある。それぞれが、それぞれの色を輝かせながら、我こそはと咲いている。どれを見ても鮮やかな色である。人知では計り知れない、考えれば考えるほど不思議で仕方ないほどの色を見せてくれる。安らぎと勇気を与えてくれるありがたい存在である。そんな花たちにも好き嫌いがある。寒いところが好きな花があれば、暖かいところが好きな花もある。そうかと思えば、朝が好きな花もあれば夜が好きな花もある。これらの現象を見るにつけ、花たちの生への意欲の存在を認めざるえない。


人間界における意欲とは、「物事を積極的にしようとする気持ち」である。であるなら草花たちの様々な現実に表れた事象は、花たちの意欲の出方としての現象である。まさに、大きな花があれば小さな花があるように、また、花の形態に見てとれるように熱帯・寒帯によって花の持つ意欲の出方が違ってきているのである。動物の世界においても然りである。肉食動物がいると思えば、草食動物がいる。人間においても然り。甘いものが好きな人がいると思えば、辛いものでなければ食べ物に非ずと言うほどの辛いもの好きもいる。
そもそも私たち人間には、知識と感情と記憶がある。これらから意欲が生れてくる。花たちは、生きていくための意欲は生まれたときから備わっている。それに対して私たち人間の意欲は後天的なものである。日々の生活により身につけてきたものが、意欲と形を変え、その人となりを形成してきているのである。


私たち人間には、四種類の人間がいる。(一)それは無理だと考える人。(ニ)すればよかったと考える人。(三)そのうちすると考える人。(四)して良かったと考える人。そしてこの人生を、この命を「宿命」と捉える人もいれば、「運命」と捉える人もいる。前者の考える人の人生は、それまで生きてきた呪縛により以後は消化試合的な日々として生きることとなる。それに引き換え後者は、今までは今まで、これからはこれからといった「命を運ぶ」創造的な日々を生きることとなる。
私たち第三企画は、今がどうであれ「一回しかない人生」を楽しく生きるために、社業を通して「失敗しても、失敗しても、かまわず前進」の意気込みを沸き立たせている。どれほど追い詰められても諦めることなく、過去に流されることなく、今まで以上の新たな意欲が湧き出でるまで本気で自分と闘う、そういう日々を過ごしている。このようなマドル・スルーの姿勢が第三企画の生き様である。


 

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  • 引用: RBAタイムズ 293号(2009)