久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.36

時間価値と成功観

100年に一度の経済危機から学んだもの
得た時間は向上に振り向ける



私は、100年に一度といわれている経済危機的状況というのは、現代社会における「時間価値の変化」によって引き起こされた個々人における「幸福観の変化」によってもたらされたものだと理解している。従来の時間価値は、それに伴う成果の量によって裏付けることができた。いわゆる、時間×単価の計算式である。社会構造そのものが、時間を基準とした仕組みをもとに作られていた。そんな世界だからこそ、時間をかけた分だけ生産があがるという論理が成り立つ。これらは現実に存在するモノを中心としているので、ある意味において人間が時間に縛られるという現象も生み出すことになった。チャップリンの「モダンタイムス」である。


チャップリンは、20世紀を市場経済・資本主義による光と影で表現した。いわゆる、モノを中心とした経済、需要と供給を通じて需給調節と価格調節を行う経済、このモノと時間を中心とした市場を重視する結果、人間が犠牲となってしまう経済体制を風刺したのである。人間が生きるということ、それは「生産と消費」の継続でなければならない。人間の判断力・行動力に見合う生産活動であり、消費活動でなければならない。このどちらのテンポが速すぎても遅すぎても不幸になってしまう。それが人間という生き物である。このアンバランスによる不幸を予感し警告を鳴らしたのがチャップリンであった。
一方、20世紀後半に爆発した情報革命は、21世紀型の金銭市場経済を創出した。この情報革命による金銭市場では、今までの時間価値は全く通用しなくなったのである。当然、そこで生きる人達の幸福感も全く違ったものにしまった。その市場経済、金さえ手に入ればという極めつけ、それがレバレッジ効果を最大限活用したサブプライムローンである。レバレッジというモノという実態を伴わない虚構市場が創出したゴール、それが100年に一度の経済危機といわれているものの実態である。


戦後、われわれが範としてきたアメリ型経済は、スピード・効率・倹約を追い求めてきた。ところで、移動時間を短縮するのは、何のため?情報伝達時間を短縮するは、何のため?かける時間は短く、時間当たりの量は拡大、しかも小人数、この体制は誰のためなのか?われわれはことのほか、せかされてきた、急がされてきた、虚構の市場の中で。さあここで、100年に一度の経済危機がおこり、日常の生き方に多くの警鐘となった。この経済危機を教訓として、第三企画は、より早く、より無駄なく、より正確にと活動し、そこで得た時間を、家庭、学修、仕事の三つの向上に振り向けることに貢献するのである。


 

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  • 引用: RBAタイムズ 291号(2009)