久米 信廣の 「道」 254号~275号/新・「道」 276号~309号

 

No.33

自分ならではのD3

与えられた役目を担い日々に全力
夢=Dream ・ 躍動=Dynamic ・ 劇的=Dramatic



人生、先は闇である。しかし誰もが今の延長であると信じて生きている。明日を迎えられるのが奇跡的なことであるにも関わらず、何の思いもなく床についている。まさに、生きること全てが当たり前だと日々を過ごしている。


しかし私たちは違う!この世に人として生を受け、人間として生きられるこの現実に甘んじることなく、与えられた役目を全うしようと日々に全力を傾注する。これが私たちの道である。その道とは、易経に「形よりして上なるを道と為し、形よりして下なるを器と為す。」とあるが如く、形の無いもの(形而上)である。すなわち、形となったもの(形而下)はすでに器であって道ではなくなっているのである。
また、老子の第一章には、「語りうる「道」は「道」そのものではない、名づけうる名は名そのものではない。名づけえないものが天地の始まりであり、名づけうるものは万物の母である。だから、意図をもたない者が「道」に驚き、意図ある者はそのあらわれた結果しか見れない。この二つは同じものである。これらがあらわれて以来、名を異にする。この同じものは神秘と呼ばれ、神秘から神秘へとあらゆる驚きの入口となる。 (張鐘元著・上野浩道訳『老子の思想』より) 」ということである。私はこの「玄」(神秘)は黒くて観ることができない玄妙なもの、人生そのものと受け取っている。


だからこそ、私たちは人生という暗闇に向かっての航海の羅針盤として、「夢=Dream・躍動=Dynamic・劇的=Dramatic」を掲げ第三企画という人間集団を形成しているのである。ここでいう夢とは、「一寸先は闇」であるとの言葉を「はっきりと見えないさま」と解釈し、だからこそ「想い通りの日々を過ごすために、この世に人として生まれてきた」と人生を位置づけている。しかし、このままでは単なる我が侭となるので、歯止めとして「人の前に明かりを灯す」との理念を掲げているのである。


ここから第三企画流の「社員第一主義」が生まれ、明かりを灯しゆく社員の総和としての第三企画の社業があるのである。形而上の第三企画の理念と、形而下の社業を為す第三企画という器、この二つは老子の言葉にもあるように名は異にするが同じものである。これこそが社会的責任といわれているものの姿と確信している。このように、私たちが生きている世間は、見えない精神は見える形となってあらわれてくるという厳しい因果律の世なのである。だからこそ、社会という舞台で自分ならではの人生を演ずるのである。今年もこの道を力強く歩み続ける第三企画であることを、気持ちも新たに誓う次第。


 

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  • 引用: RBAタイムズ 288号(2009)