RBA HOME> RBAタイムズHOME >2012年 > 街路樹が泣いている 〜街路樹と街を考える〜 @ 品川区・清岸寺の「祐天桜」 |
「あの戸田市の記事はよかったよ。僕は地元の都市マスタープランの委員をやっているが、戸田市と一緒、街路樹をズタズタにするから文句を言ってやったんだよ。どんどん書いてよ」 この言葉は、先日、取材で一緒になった大先輩のジャーナリストで、あるマンションデベロッパーの広報部長を務めていた大越武氏から掛けられた言葉だ。戸田市の記事とは、狭い道路事情も背景にあるのだろうが、財政的に豊かな割には街路樹が貧相な同市の取り組みを批判した記事だ。その記事は少しは読まれているのだろう。ネットで「戸田市」と「街路樹」のワードで検索したら真っ先にヒットした。 この大越氏の声に意を強くし、街路樹の取材をしようと決断した。原宿・表参道(ケヤキ)、田園調布(イチョウ)、神宮外苑(イチョウ)、新宿副都心(ケヤキ)、千鳥ケ淵(サクラ)、播磨坂(サクラ)、常盤台(プラタナス)、府中(ケヤキ)、多摩センター(クスノキ、ユリノキ)、国立(イチョウ、サクラ)、横浜山手(イチョウ)、横浜市・青葉台(イチョウ)、大磯(アカマツ)、松戸市・常盤平(ケヤキ、サクラ)、市川市・菅野(クロマツ)、千葉あすみが丘(アメリカフウ)など美しい街並みをあげるまでもない。街路樹と街のポテンシャルとは密接な関係がある。 にもかかわらず、街路樹は貧相になる一方だ。街路樹の管理にお金をかけたくない行政の意向が反映されているのは間違いない。その実態をこれから数回に分けて紹介する。断っておくが、記者は街路樹や樹木のプロではない。素人だ。ただ、先日の記事にも書いたが、記者は自らも団地の樹木の剪定を行っている。クスノキ、シラカシ、ヤマモモ、アメリカフウなどに登る。剪定しないと住戸の日照を阻害したり、雨水枡に根が入り込んだり、見通しを悪くしたりするので、剪定するときは「ゴメンね」と樹木に謝って切っている。最近はマンションや建売住宅を見学するとき、街を歩くときもいつも街路樹を眺めている。この10年間で少なくとも数千カ所の街路樹を見ているはずだ。 街路樹について書くなら、その定義とか剪定・管理方法など基本的な事項・知識を身につけてからアプローチするべきだろうと思うが、まずは記者が見た目、感じたままを紹介することにする。書きながらプロにも取材し、紹介していきたい。 ◇ ◆ ◇ 冒頭の写真は昨年4月に取材した品川区・清岸寺の23区では最高樹齢といわれる樹齢250〜300年の「祐天桜」だ。「祐天桜」は、江戸時代を代表する浄土宗大本山増上寺第36世の祐天上人(1637〜1718年)が寛永元年(1661年)のころ当寺に植えたとされており、桜としては唯一、品川区の天然記念物に指定されている。しかし、高齢樹であることや急激な環境の変化で樹勢の衰えが目立っていることから、同寺は後継樹の育成を住友林業に依頼し、住林はバイオテクノロジーの一手法である組織培養法によって祐天桜の苗木の増殖に1年がかりで成功した。写真は、そのときの取材で撮ったものだ。 見ていただければ分かるが、確かに衰えは隠せない。老醜をさらけ出しているともいえる。しかし、老体に鞭打ち、四方八方に枝を張り、子孫を残そうと何千何万の花を一気に咲かす姿はけなげで美しい。 だからこそ清岸寺もその美しさを後世に残そうと決断した。住職・吉田真空さんが「私は17代目になるが、サクラはもう手の施しようがないほど弱ってきた。しかし、私の代で枯れさせたくない。『ここに祐天桜が咲いていた』と過去形にしたくない」と語った。組織培養は難しい技術のようで、何度も失敗を繰り返しながら成功させたという。住林筑波研究所所長・梅咲直照氏は「うちにしかできない仕事」と胸を張ったのが印象に残っている。 行徳駅前広場の二股クスノキ ◇ ◆ ◇ 次の写真は、先日、大京のマンションの取材のときに撮った東西線行徳駅前広場のクスノキだ。幹の太さからして樹齢20年ぐらいではないか。地面から50センチぐらいのところで二股に分かれていた。読者の方々は、この幹の形を美しいと思うだろうか。自然にこうなったと考えるだろうか。記者は樹木の知識はほとんどないが、これほど低いところから二股に分かれているクスノキなど見たことがない。木を大事にする植木屋さんは絶対このような育て方をしないと思う。クスノキも真っ直ぐ伸びようとするのではないか。どうして根元の近くで枝分かれしなければならないのか。 これはあくまで推測だが、駅前広場を管理する市川市の担当者の意向を受けて植木屋さんがそのように苗木を育てたのではないか。まさに木≠てらって、道行く人の歓心を呼ぼうとする魂胆が垣間見える。街路樹のプロであるはずの行政担当者の美意識は所詮こんなものかと思うと情けなくなった。樹がかわいそうだ。駅周辺の街路樹も見て回ったが、全体的に貧相で強剪定されているものもあった。 市の担当者に確認したら「意図的にやったわけではない」とのことだった。ならば、どうして若木のときに修景しなかったのか。これも不思議だ。 |
(牧田 司記者 2012年5月1日) |