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関東大震災にも東京大空襲にも耐えた古木・祐天桜

住友林業が組織培養に成功


「祐天桜」

 

 関東大震災にも東京大空襲にも耐え、東京23区では最高樹齢の樹齢250〜300年の、しかも新品種の貴重なサクラ「祐天桜」の組織培養に住友林業が成功し、祐天桜が満開の4月11日、品川区・清岸寺で苗木のお披露目報告会が行われた。

 祐天桜は、江戸時代を代表する浄土宗大本山増上寺第36世の祐天上人(1637〜1718年)が寛永元年(1661年)のころ、清岸寺に自ら植えたとされており、高齢樹であることや急激な環境の変化で樹勢の衰えが目立っている。桜としては唯一、品川区の天然記念物に指定されている。

 住友林業などの調査によると、 DNA による200品種識別でも既存の200種の中にはなく、ヤマザクラ系とエドヒガン系の桜が交配して生まれたと推測されている。

 清岸寺と、祐天上人を開山と仰ぐ目黒区・祐天寺は、今年が浄土宗の宗祖法然上人の800年大遠忌に当り、また、平成29年が祐天上人の300年御遠忌にあたることから、その記念事業として祐天桜を後世に受け継ぐことを目的に後継稚樹の増殖を決定した。

 住友林業は、同社筑波研究所と住友林業緑化と協働で増殖技術の開発も行っており、バイオテクノロジーの一手法である組織培養法によって祐天桜の苗木の増殖に1年がかりで成功した。これまで、醍醐寺(京都)、紹太寺(小田原)、仁和寺(京都)、安国論寺(鎌倉)、霊鑑寺(京都)などの桜や山茶花、椿の増殖に成功している。3〜4年後には開花するとしている。組織培養法は、幼若化現象が起こり、芽の組織があれば増殖が可能で、試験管の培養液を交換するだけで半永久的に保存できるメリットもあるという。

 報告会で挨拶した祐天寺住職・巌谷勝正氏は「祐天上人は福島県いわき市の出身で、復興のシンボルとして育ってほしい。苗木は祐天寺に縁のある寺などに配りたい」と話した。

 清岸寺住職・吉田真空さんは「私は17代目になるが、サクラはもう手の施しようがないほど弱ってきた。しかし、私の代で枯れさせたくない。『ここに祐天桜が咲いていた』と過去形にしたくない。住林さんと縁があって、次の代へ継ぐことができそうでありがたい」と語った。

 また、住友林業筑波研究所所長・梅咲直照氏は「何度も失敗を繰り返し、成功した。当社しかできない仕事だと思っている。この時期に発表するのは不謹慎かとも心配したが、当社はサクラのCMを流しており、『癒される』という声ももらっている。震災後の明るいニュースを提供できたと思っている」と述べた。

 サクラの研究を続け11〜12年という同研究所主席研究員・中村健太郎氏は「一般的には冬芽を1000個ぐらい採取するが、貴重種なので30個しか採取できず、最初の多芽体を生産するのに苦労した。しかし、最終的には120本ぐらいの苗を育てることができる」と語った。

     
中央が苗木

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 祐天桜は、250〜300年の風雪に耐え、大震災にも戦争にも負けなかった。幹は一部が朽ち、ものすごい形相≠していたが、花は甘い香を放っていた。祐天上人の生誕の地、いわき市にも届けられるはずだ。復興・再生のサクラとして市民に愛されるのを願いたい。

 清岸寺住職の吉田さんは「祐天上人はきっと他にも植えられている筈ですが、どこにも残っていない。戦争で焼けたり、伐採されたりしたのだと思います」と語った。


左から巌谷氏、吉田さん

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 記者は、サクラのことはほとんど分からない。若い樹皮は装飾品に用いられ、高級家具材となり、移植が難しいことぐらいだ。戦争中には、薪材として大量に伐採されたとも聞いている。

 移植が困難なことは、水上勉「桜守」(新潮文庫)を読んで知っている。小説のモデルとなった笹部新太郎氏(1887〜1978年)は、岐阜県の御母衣ダム建設で水没することになっていた樹齢450年のエドヒガンの移植に成功した人として知られる。「あの移植は奇跡」と中村氏は話したが、中村氏こそ現代の「桜守」ではないか。住林はいい仕事をしているとも思った。

    
梅咲氏                 中村氏

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(牧田 司 記者 2011年4月11日)