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街路樹が泣いている 〜街と街路樹を考える〜 E

「さらし首」にされていた菊名・錦が丘のサクラ


菊名・錦が丘の無惨なサクラの切り株

 昨日(5月16日)、同業の記者からこんなメールが入った。「わがまち、菊名を取り上げてください。菊名は『桜のまち』です。もともと、東急が田園調布、日吉と同じような住宅街とするため、ロータリーを中心に無数の桜を植樹し、春には一面桜のまちとなりました。樹齢80年を超え、弱ってきた桜も出てきたたのですが、あろうことか横浜市は、保全措置を講じずに、根元を残し伐採する愚挙に出ました。代わりに桜を植えた場所などごくわずかで頭に来ています。この横暴を訴えてください」と。

 早速、飛んでいった。本来は、事前の準備をすべきなのだが、最近は自らの第一印象、感性をを大事にするため前もって調べるようなことはしない。時間がもったいないからでもある。

 件のサクラはすぐ見つかった。絶句した。写真の通り、現場はかなり傾斜がある坂道の途中で、しかもカーブしているところだった。サクラは地面から約 1 メートルのところで伐採されていた。切り株は50センチぐらいの歩道をさらに狭め、車道にはみ出していた。言葉は悪いが、それは墓石かさらし首のように記者には映った。

 2車線の車道はその部分だけ単線のように狭まっていた。道行く人は狭い歩道を歩かず、車道にはみ出して歩いていた。

 道行く人に話を聞いた。「ここに50年住んでいるが、サクラはもっとあった。隣はやぶだった。よくサクラの下で花見をした」「邪魔だったが、もったいない」「かわいそう」「哀れ」「仕方ないわね。老木だったから」「樹木医も持たないと言ったと聞いている」と、残念がっている人がほとんどだった。

 伐採されたのは一昨年の9月だ。当時のタウン紙には「以前から樹木の老朽化等による倒木の危険性が指摘されていた、錦が丘地区の街路樹、その中でも、ひときわ存在感を示していた菊名駅西口そばにある1本の桜が、今月末に伐採される。これまで賛否両論の声が寄せられていたが、安全面から今回の決定となった」とある。

 高齢のサクラを「老朽化」と書くタウン紙の記者の感性もどうかと思うが、伐採に当たっては侃々諤々の論議があったであろうことは容易に想像がついた。それにつても、どうして根元から伐採しないのかという疑問は終日つきまとった。

 考えたのは「見せしめ」だった。行政は「伐採すればこうなる」ということを賛成者にも反対者にも分からせるためにわざと1メートルだけ残して切ったのではないかという考えだ。もう一つは、先日も書いたが、賛成者、反対者の狭間の中で右往左往する情けない行政の姿だった。さらに考えたのは、記者は車を運転しないが、切り株は、狭くてしかも坂道でカーブする車道を通る運転者に注意を喚起する意味で残してあるのではないかという考えだ。


さらし首のような姿のサクラ

 翌日の今日(17日)、どうして1メートルだけ残して伐採したのか、その理由を道路を管轄する港北土木事務所に聞いた。同事務所によると、「伐採した後どうするのかを地元の方々と話し合っている段階で、その結論が出ていないのでそのままにしている。好ましい状態とは考えていないので、近いうちに話し合って撤去したい」と話している。

 冒頭の同業の記者は車好きだ。若いときは悪がきだったに違いない。そんな彼は「僕はあれを見るたび涙が出そうになる。通行の邪魔だとか理屈つけてますが、自動車に乗る僕でも、そんなこと一度も思ったことないですよ」と、取材後、メールを寄こしてきた。

 これは意外だった。涙もろくなったのは歳をとったからだろうが、いろいろ人生経験を経てものの憐れを理解するようになったということだろう。このことだけでも人の心を豊かにする街路樹の果たしている役割がうかがえる。それにしても、あのサクラは邪魔でなかったと考える地元の運転者がいることが嬉しかった。街路樹だって生き物だ。道路の付属物などという考えは改めるべきだ。

 地元には、伐採をきっかけに「車歩共存」を打ち出し、さらには街全体のコミュニティ向上を図ろうという自主組織「錦が丘・緑豊かな街並みを創る会」がある。゜災い転じて福となす」−−すばらしい活動を次回に紹介する。


人は平気で車道側を歩いていた


サクラがフッドパスの役割を果たしている錦が丘の道路

街路樹が泣いている 〜街と街路樹を考える〜D(5/15)

(牧田 司記者 2012年5月17日)