Daisan Kikaku Inc.
 
2017/05/01(月) 12:00

百瀬久米(ももせきゅうべい)を名乗ることになった経緯

 
このたび久米の恩師、明治大学名誉教授百瀬恵夫先生(注)が瑞宝中綬章を叙勲されました。
 
折りしも、弊社管理部門が南青山から丸の内にオフィス移転したこともあり、百瀬先生が丸の内オフィスにお見えになり、新オフィスにと記念の扁額をご恵贈いただきました。
 
その額は平櫛田中(ひらくしでんちゅう、彫刻家、文化勲章受章)の言葉
「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」
を田中が揮毫したもので、百瀬先生は「お前に相応しい言葉だから」「社員みんながこの気持ちでなければならぬ」というお言葉を添えて久米にお渡しいただきました。
 
併せて、田中の言葉として有名な
「不老 六十七十ははなたれこぞう 
おとこざかりは百から百から 
わしもこれからこれから」
という文章を、百瀬先生はご自身の手帳から読み上げて「おれはまだ洟垂れ小僧だ」とおっしゃりながらご披露されました。
 
また、百瀬先生は平櫛田中に関する書籍も持参され、是非とも目を通すべきところはここ、とわざわざ付箋を数枚貼り付けたものをお贈りいただきました。扁額の名前が「倬太郎」となっていることに触れ、平櫛田中の本名は倬太郎、田中(でんちゅう)というのは旧姓が田中だったからだと説明されました。
 
そこで久米から、「わたしは先生の最後の弟子と自認しております。協働の精神でやっております。平櫛田中は、平櫛家に養子はいって田中と名乗ったのでしょうが、わたしは養子ではありませんが、先生の弟子として百瀬久米(ももせきゅうべい)と名乗りたい、お許しいただけますでしょうか」と申し上げました。
 
先生は例の笑みを浮かべて「いいよ」とOKしていただきました。
今日、この日、百瀬久米が誕生しました。
 
(注)久米は2003年4月明治大学大学院に入学、百瀬恵夫先生に師事しました。百瀬先生は風土論、中小企業研究、協同組合研究でわが国を代表する研究者です。久米は「アジアの中小企業の経営風土と工業団地に関する研究」で2006年3月博士号を取得しました
 
 

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