Daisan Kikaku Inc.
 
2015/04/11(土) 00:00

悲しい歴史を巧みなレトリックで描く キシュ「若き日の哀しみ」

若き日の哀しみ.jpg
『若き日の哀しみ』ダニロ・キシュ/ 山崎佳代子訳/ 装画:吉田圭子/創元ライブラリ

 セルビア(旧ユーゴスラビア)の作家ダニロ・キシュ(1935~1985)の山崎佳代子氏訳「若き日の哀しみ」(東京創元社、四六判上製)を読んだ。わが国の作家の小説はセルビアでもよく読まれているそうだが、わたしはセルビア人が書いた小説を一度も読んだことがなく、知らないのは何だか失礼にあたると思い、図書館で借りてきた。

 主人公の少年「僕」が少年時代に過ごした家を探す「マロニエの通り」から物語は始まるのだが、「あんなにあったマロニエの木が消えてなくなるなんて、せめて一本くらい残っていそうなもんじゃありませんか…マロニエなんか、奥さん、その名残りすらありません。それは奥さん、マロニエには、自分自身の記憶がないからなのですよ」などと不気味な暗示的な情景が描かれている。

 だから最初は、この小説はわたしをどこに導くのだろうと不安になった。言葉は「僕」の語りが中心だから平易なのだが、優しい言葉にもアイロニーが込められており、ドキリとさせられる。「僕」は、そんな読者の心理にお構いなしに戦時下の非日常の世界を淡々と語る。巧みなレトリックに読者は引き込まれる。

 記者は、これまでゲシュタポによるユダヤ人虐殺のシーンを小説、ノンフィクション、映画などで読んだり観たりしているが、キシュのこの小説にはひとつもそんな場面は出てこない。

 これが却って怖いのだが、訳者の山崎氏の言葉を借りると、「民族主義、イデオロギーの違い、人を隔てるあらゆる壁を、キシュは憎しみさえ抱き、拒否する」「大虐殺、アウシュビッツ…衝撃的な事件をキシュはけっして直接、描写しない。あくまでも、心象風景を造っていく」「時代の植物相と動物相…それを夢の言葉で少年時代の記憶に織り込みながら、キシュは、人の残酷さ、人の命の悲しさや優しさを一枚の布に織り上げた。肌触り、色合いといい、だれにも懐かしい布だ。そこには、ユーゴスラビアの文学の先人のほか、ギリシャ神話やシェイクスピア、ロシアの幻想的な作家たちピリニャック、バーベリ、さらにジョイスやボルヘス…世界の文学が生んだ無数の糸も織り込まれている」。

◇       ◆     ◇

 第2次世界大戦後、チトーがユーゴスラビアの大統領となり社会主義政策をとりながら、ソ連とは一線を画す自主独立の路線を敷いたことは学んだ。

 チトーの死後、民族間の対立、経済格差問題が表面化し、四分五裂の戦争状態となったのはよく知られるところだ。戦争に巻き込まれた難民がたくさん犠牲になった。第三企画の久米信廣は、そんな戦争の犠牲になった子どもたちに支援はできないのかと活動を始めた。

 わたしも何とか役に立ちたいと小指にネイルをしてもらい、セルビアコーヒーも飲んで、いささかの寄付を行った。しかし、このような活動は継続しなければならない。第三弾がキシュの小説を読むことだった。

 この小説を読まれた方の読後感も総じて絶賛するものばかりだ。まず期待を裏切らないはずだ。四六判は絶版になっているが、文庫本が東京創元社から発刊されている。若い人にお勧めだ。

 

ayumi.gif

 

 

 
ログイン

アカウントでログイン

ユーザ名 *
パスワード *
自動ログイン