パラダイム−シフトの必要性を実感 旭化成ホームズ 「明るさ尺度値」を具現化 モデルハウスのダイニングキッチン
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先に旭化成ホームズが記者発表した、「明るさ尺度値(人の感じる明るさ)」を用いた照明計画を具現化したモデルハウスを見学した。 江戸川区の江戸川展示場に設けられたもので、訪れたのは夜7時だった。玄関を入ったとたん、「暗い」と感じた。まあ、玄関は暗くても許せる。ダイニング・リビングに入って驚いた。信じられない暗さだった。同僚の記者に「これはダメだ。ユーザーに受け入れられるはずがない」としゃべった。 「信じられない暗さ」とは、わが家と対照的だったからだ。わが家は、私も子どもも暗いと我慢がならない生活を送ってきた。ほとんど電気はつけっぱなしで、トイレも煌々と輝く。寝るときも真っ暗にすることはない。酔っ払って朝まで電気もテレビもつけっぱなしということもよくあった。 「慣れ」とは不思議なものだ。モデルハウスをあちこち見るうちに、「これは面白い」に変わった。驚いたのはリビングの横に設置されていたスタディルームだった。絵本や塗り絵が置かれていた。小さい頃が思い出された。記者は絵が好きだったから、塗り絵もよくやったし、絵も描いた。電気スタンドで塗り絵を掻くと、手や鉛筆の陰が邪魔になり細部を線からはみ出さないように塗るのに苦労した。 ところが、スタディハウスはほとんどその陰がない。全体として暗いが、描けない暗さでなかった。これは感動ものだった。 見学が終わる30分後には「これはいい」に変わった。照明を調光機で最大値に引き上げると、とてつもなく明るく感じた。「対比と順応」がいかに大事かを理解した。「不快グレア」も実感した。 ◇ ◆ ◇ モデルハウスを見学して、記者は、パラダイム‐シフトの必要性を強烈に感じた。見学の際に説明していただいた同社住宅総合技術研究所主席研究員の千葉陽輔氏も同じようなことを話された。 同社のニュースリリースには「わが国の家庭用電力消費に占める照明の割合は16%超という大きなものとなっており、暖房エアコンの消費エネルギーよりも多いと言われ、その削減手法の提案が急務」とあったが、同社だけの取り組みでは限界がある。業界全体はもちろん、国家的プロジェクトとしてこの考えを普及させる必要があると感じた。 ◇ ◆ ◇ 見学のあとで、同社広報の関係者や業界紙の方々と飲み、帰ったのは夜中だった。何をしゃべったかはほとんど忘れていたが、照明を暗くすることだけは覚えていた。早速カミさんに「照明を暗くしよう」と話したが、無下に断られた。カミさんも記者と同様、「明るいことが豊か」という考えが頭の中にこびりついているからだ。 ◇ ◆ ◇ 読者の方々も、団塊の世代の記者ほどではないにしろ、この「明るいことが豊か」という考えが刷り込まれているに違いない。記者は、「明るいナショナル」の言葉がすぐに思い出された。「明るいナショナル 明るいナショナル…なんでもナショナル」 インターネットで調べたら、このCMは1956年に誕生したそうだ。この20年間ぐらいの間に姿を消したようだが、記者はこのCMはよく知っている。口ずさんだほどだ。 この話を女房にしたら、「あなた、東芝だって『光る東芝』を流していたわよ」ときた。確かに「光る光る東芝…輝く力 強い力」というCMもよく聞いた。「明るい農村」(焼酎じゃないですよ)というタイトルのNHK番組が毎日、放送されたのもこの頃だ。裸電球から蛍光灯に代わり、囲炉裏が消えた。電気スタンドを買ってもらい、勉強できることを小躍りして喜んだ。 こうして、高度成長期は「明るい」ことが豊かなこと、美徳とされた。消費(浪費)もしかりだ。「もったいない」は死語となった。「暗部」は「恥部」と同様全て否定された。「裏日本」なる言葉は1970年前に放送禁止用語となり消えた。この年、藤圭子の「15、16、17と私の人生暗かった…夢は夜開く」の歌がヒットした。そしてわれわれ団塊の世代は受験戦争の火中に投げ込まれることになる。「蛍の光」も世の中が明るくなるにつれて消えていった。 明と暗、天と地、白と黒、裏と表…は全て善と悪と同じように対立軸として考えられている。しかし、記者は東洋の哲学の基本となっている「陰と陽」は善と悪のように対立するものとしてとらえられるものでないような気がしてならない。 パラダイム‐シフトの必要性を強く感じたのは、このような思想を根本的に変えないといけないと感じたからだ。 |
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(牧田 司 記者 2010年6月11日) |