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第三企画が高円寺阿波踊りに地域社会の活性化に貢献するために初めて参加したのは平成元年。当時、会社の事務所が高円寺駅近くにあったこと、阿波踊りが、若い社員の相互親睦と交流の場として最適であること、そして何よりも代表取締役・久米信廣が徳島出身で、阿波踊りの名手であったからでした。 ◇RBAタイムズ 号外(高円寺阿波踊り)・・・・・・2012年9月 ![]() ![]() |
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第三企画連は、毎年、50名前後が参加しています。コーポレートカラーである黄色の浴衣をまとった男踊りが売りものです。 本場徳島の有名連の一つ、「殿様連」の協力を得て、本場の踊りをお見せするのに生甲斐を感じています。 太鼓は、印刷工場の社員が中心。毎日、本社工場で一度に数十キログラム、1日にして数千キログラムの紙や印刷物を軽々と持ち上げている力自慢が中心で迫力は満点。 踊り子は、20歳代、30歳代の若い社員が中心。いきのよい「ヤットサー」の掛け声はどこにも負けません。 鳴り物の中心を担うカネを担当するのは本場仕込みの久米代表取締役で、高校時代に音楽バンドを結成、アーチストを目指していた、ロマンチストかつ熱血漢。平成17年小千谷市友好賞、平成23年青梅市友好賞を受賞しているほか、過去2回、日刊スポーツ優秀賞を受賞している実力派連です。 ![]() |
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私ども第三企画連は、創業以来「人の前に明かりを灯す」をモットーに、「300年後に生まれ来る子ども達にいま以上の地球環境を残す」ための様々な活動も行っております。高円寺阿波踊りに「第三企画連」として参加するのも、その一環でございます。 仕事も一所懸命、阿波踊りも一所懸命、一回しかない人生を明るく楽しく元気に盛り上げてまいります。 ![]() |
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高円寺阿波踊りは、昭和32年、街おこしの起爆剤として導入され、第1回大会が行われました。観客は2千人でした。 その後、本場徳島の阿波踊りと提携、昭和38年正式に「高円寺阿波おどり」に名称を変更。平成17年には1日で史上最多の77連が参加。観客は100万人を突破しています。 ![]() |
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NPO法人 東京高円寺阿波おどり振興協会 |
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