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街路樹が泣いている 〜街と街路樹を考える〜F

「サクラ切るな」の怒りから行政との連携に発展させた

「錦が丘・緑豊かな街並みを創る会」


左から「創る会」の植村氏、長谷川氏、高橋氏

 先日(5月17日)の「菊名・錦が丘」のサクラの記事の最後に「地元には、伐採をきっかけに『歩車共存』を打ち出し、さらには街全体のコミュニティ向上を図ろうという自主組織『錦が丘・緑豊かな街並みを創る会』がある」と書いた。

 「創る会」は、サクラが伐採されることを知らされて2008年11月から港北土木事務所と話し合いなどの活動を開始し、翌年3月に「創る会」として発足した。そして同年5月9日、錦が丘の街路樹の多様な価値を次世代に継承し、また過去に失った樹木もできる限り復元すると謳った「錦が丘の街路樹継承宣言」を町内会の総意として決議する。

 「宣言」を具現化するため、@歩行者優先で安心して歩ける街A緑豊かな街並みのある街B歴史や文化を継承するまち−という3つの基本方針に基づく歩車共存道路整備と植樹計画を盛り込んだ「デザインプラン(案)」としてまとめている。この「デザインプラン(案)」は、今年3月まで大手ゼネコンの設計本部に勤務していた一級建築士の人見修氏(64)が素案をまとめたもので、内容は住民の自主組織レベルをはるかに超えている。会員は約20人で、地元の横浜市港北区錦が丘に住む皆さんだ。

 その後、「創る会」は横浜市のみどりアップ推進課、港北土木事務所、港北区役所の3者と16回にわたる検討会を重ね、今年4月、地域の街づくり事業を推進する「錦が丘地区地域緑のまちづくりの会」の設立と「錦が丘地域緑化計画書」に結実させる。

 ここで詳細に「計画書」を紹介はしないが、同会のホームページのリンクを貼り付けてもいいという了解を得たので、文末に添付した。ぜひ読んでいただきたい。

 計画書」の対象エリアは約14.4ヘクタール、約1,200戸にも上る広いエリアで、基本理念として「緑の歴史的景観の継承」「歩行者の安全と快適性の向上」「街路樹、ロータリー、民有地の緑の充実」の3点を掲げ、地域全体を@擁壁、ブロック塀、フェンスなどの緑化、生垣化・歩車共存道路の実現B道沿いの民有地の総合的な緑化Cみちのシンボルとして緑化・安全・快適化−などを進める計画だ。


錦が丘の街並み(新しい街路樹に植え替えられたものも多い)

◇    ◆    ◇

 同会の設立のきっかけは、倒木の危険がある街路樹を撤去する」という当時の港北土木事務所の進め方だった。同会の広報担当の幹事・植村允勝氏(70)は、「私はここで生まれ育ちました。10年前までは化学の先生をしていました。突然、『サクラを伐採する』という『お知らせ』を受け、みんなの怒りに火がついたんです。伐採を怒ったのは地元の居住者もそうだが、むしろ、ここに住んでいた、地域に思い入れのある人たちでした。『あなたたち、何している』というお叱りも受けました。昔、家族と撮ったサクラの下の記念写真が大切なのだとつくづく思い知らされました。それから活動が本格的になったんです」と、設立の経緯を話した。

 件の「さらし首」となったサクラは「041」という番号が付けられているソメイヨシノでも2010年10月2日、倒壊の危険が迫っているという土木事務所の判断で「植え替える」という条件付きで伐採されたのだという。その切り株の措置をどうするか決まらないでここまできた結果、無残な姿をさらけ出しているということのようだ。

 同会の代表を務めるのが長谷川貞七氏(86)だ。「私は江戸っ子でしてねぇ。この街に移り住んで10年ぐらいですが、この街には風格がある。これほど街中に街路樹が植わっているところは全国を探してもないはずです」と街を誇らしげに語った。長谷川氏は終戦のわずか1カ月前、19歳で召集を受け、新潟県・新発田で軍隊生活を経験している。「生まれはスカイツリーで一躍有名になっちゃった業平橋のもう少し先ですが、そこよりもここのほうが地価は高いんじゃないか」とも話した。

 会計を務めるのが高橋英夫氏(71)だ。趣味のガーデニングが高じて、まるで植木屋さんのようないでたちの高橋さんは「出発点は怒りでしたが、この間の行政との折衝でずいぶん変わりました。様変わりです。行政の方々と街歩きもし、肥料やりも一緒にしました。市のみどりアップ推進課とも連携して活動していきたい」と語った。

◇    ◆    ◇

 「錦が丘地区」は、同会の資料などによると、昭和初期に「日吉」とともに東急電鉄が「田園調布」にならって開発したもので、1区画当たりの敷地面積は100坪以上の住宅地だ。港北区のデータによると、「昭和 8 年に菊名住宅組合を組織し、昭和9年に皇太子殿下のご誕生を記念して、各通路に桜335本、楓100本を植樹し、それ以来、錦ヶ丘と呼称することにして錦ヶ丘町内会となり、昭和46年の住居表示施行の際、町内会から町名を「錦が丘」としたいとの要望があり、現在の町名となった」とある。

 街路樹はその後、戦時中の伐採、老化や建て替えに伴う伐採などで徐々に減少し、今ではサクラ、モミジ合わせて70本が保存されているそうだ。

◇    ◆    ◇

 現在、この街がどのように評価されているのか。公示地価で調べた。菊名駅から徒歩5分の「錦が丘25-2」(建ぺい率40%、容積率80%)が105.6万円/坪だった。港北区全体の住宅地48地点のうちもっとも高い日吉駅から徒歩4分の「日吉本町1-5-10」(同50%、同100%)の141.9 万円/坪から数えて6番目だ。「錦が丘」の公示地価を仮に容積率100%に換算すると132万円/坪だ。

 都内の住宅地と比較してみよう。さすがに「渋谷区松涛1-13-7」(同60%、同150%)の462万円/坪、「文京区本駒込5-8-22」(同60%、同150%)の313万円/坪、「大田区田園調布3-23-15」(同40%、同80%)の295万円/坪、「世田谷区成城5-32-18」(同40%、同80%)の240万円/坪、「板橋区常盤台2-24-5」(同 50%、同100%)の161万円/坪、「国立市中1-16-12」(同50%、同100%)の140万円/坪などには及ばないが、「調布市若葉町1-34-16」(同40%、同80%)の108万円/坪とほぼ同じぐらいだ。

 「創る会」の長谷川さんが生まれ育った墨田区では、住宅地の調査地点は2地点しかなく、「文化1-22-1」(同60%、同300% )が99万円/坪、「立花1-25-2」(同60%、同300%)が93万円/坪だ。1種にすると「錦が丘」の4分の1以下でしかない。近隣の荒川、足立、葛飾区なども同様で、1種当たり52万円を上回る住宅地は皆無だ。ちなみに、「墨田区」の調査地点は23区内でもっとも少ない24地点しかない。「スカイツリー」が出来たことで調査地点は増えるのだろうか。

 神奈川県では、先の港北区以外では「横浜市美しが丘5-1-12」(同50%、同80%)の132万円/坪ぐらいしか「錦が丘」を上回る住宅街はない。埼玉県や千葉県には「錦が丘」を上回る地点は一つもない。

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 これだけでも「錦が丘」の街としてのポテンシャルがいかに高いかが分かる。そしてまた、街の価値を次世代に継承するためには、行政頼りではなく住民自らが主導し、行政を動かしていく舵取りが必要なことを「創る会」の人たちは教えている。先の記事では「さらし首」などとショッキングな見出しをつけた記事を書いたが、サクラの無念を晴らすためにも「創る会」にエールを送りたい。

 リタイア層の豊富なキャリア・知見を街づくりに生かすという意味でも、今回の取材は大いに参考になった。

 先に、「日吉本町」には街路樹がなぜないかという記事を書いた。「創る会」の植村さんからは、「日吉のメインストリートに街路樹がない理由は存じません。錦が丘になぜあるかというと、住民が植えたからです。日吉には、そのような運動がなかったからではないかと思います。錦が丘は、皇太子誕生を切っ掛けにしましたが、これを見送っていたら、時代は次第に非常時に入っていって、とても街路樹どころではなかったことでしょう」というメールが届いた。


施肥を行うと同時に住民にも気配りを呼びかける名札

街路樹が泣いている 〜街と街路樹を考える〜E(5/17)

錦が丘・緑豊かな街並みを創る会 ホームページ
http://www.geocities.jp/greenery_nishikigaoka/index.html

(牧田 司記者 2012年5月28日)