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 3.11の帰宅困難者の経験は今回の台風で生かされたか

 9月21日に行われた三菱地所グループの記者懇は、台風の影響で会場の「ロイヤルパーク」には予定の18時30分には数人ほどしか集まらず、開始時間は19時になった。記者も「雨にも負け、風にも負け、雪にも夏の暑さにも負ける」情けない首都東京を痛いほど経験させられた。

 管理協の記者懇親会が終わり、銀座線の虎ノ門駅に着いたのが5時40分ごろだった。三越前で半蔵門線に乗り換えるつもりだった。半蔵門線は東武伊勢崎線が不通で、押上止まりだったが、たいしたことはないだろうと高をくくった。電車は混んではいたが、我慢できない混みようではなかった。ドアのすぐ横のコーナーに身をもぐりこませた。

 記者はいつも混んでいるときはこのコーナーか、人肉布団に身を任せるように車内のほほ中央に乗ることにしている。力を抜いて揺れるままに身を任せると楽だし、暑いときでもそれほど汗をかかない。ただし、痴漢に間違えられないよう、両手を上げて文庫本を読むようにしている。この日は、とても本など読んでいられる状態ではない混みようだった。

 新橋に着くと、ドドッと乗客が乗り込んできた。次の京橋、銀座でも乗客は増えるばかりだ。骨と皮だけの記者は周囲の壁やらパイプなどに押し付けられ、身動きが取れなくなった。隣の女性の髪からは丸い雫がポトリポトリと落ちた。雨ではなく、汗だった。

 駅員もさじを投げたのか「次の電車をお待ちください。この電車が発車しないと次の電車が来れません」と、ばかげた誘導を行なっていた。乗客はみんな大汗をかきながら、苦痛で顔をゆがめながらけなげに耐えていた。

 終点の浅草に着けば解放≠ウれるとは思ったが、死に物狂いで三越前のホームに降り立った。目の前の女性の傘の柄がひん曲がっていた。昔の酷電≠思い出した。

◇    ◆    ◇

 この日、国交省では第3回「大規模地震発生時における首都圏鉄道の運転再開のあり方に関する協議会」が鉄道関係者と国交省職員らで行なわれた。台風の影響が出る前の 13:30 〜 14:30 分だ。大震災で課題となった事項として「旅客集中により運転再開後に再び運転を中止せざるを得なくなった」とあった。その対応策として「ホームでの滞留を防止するための体制を構築する」としている。

 台風は地震と異なり、時間が過ぎれば雨も風もやむ。今回はラッシュ時だ。対応策はあったはずだ。3.11の帰宅困難者の経験は今回に生かされたとは言いがたいのではないか。

「晴海」の話に花咲く 三菱地所グループの記者懇(9/22)

(牧田 司 記者 2011年9月22日)