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新葉ホーム 新たなリーディングプロジェクトに選定

前年度6棟の受注棟数が今期10棟超へ 来年度目標は20棟


鈴木社長


 日本最大のホームビルダーネットワークであるジャーブネット(主宰:宮沢俊哉アキュラホーム社長)は先にリーディングプロジェクト5社を新たに選定した。そのうちの1社、千葉県君津市の新葉ホーム(シンヨウホーム)は従業員数6人、平成21年3月期の注文住宅の受注棟数が6棟という小さな会社だが、すでに今期は10棟の受注実績をあげ、来年度の目標は倍増の20棟という。目標達成への意気込みなどを鈴木由夫社長(60)に聞いた。

 「今期の目標はリフォームを別にして受注目標は10棟。ほとんどクリアできます。来期の目標は20棟。いまどうしたら達成できるか作戦を練っているところです。団塊ジュニアの戸建て取得意欲は大きく、ニーズはあると読んでいます。アクアラインの料金値下げによって川崎方面の需要も見込める」

 同社の会社設立は昭和63年4月7日。資本金は1,000万円で千葉県君津市西坂田3−1−10 に設立。事業内容は新築注文住宅 (木造在来軸組工法) 、リフォーム増改築、設計施工管理、土地・建物の売買及び仲介・アパート・借家・駐車場の管理など。

 ジャーブネットへの加盟は平成7年。今年、加盟四百数十社の中から 第2期 リーディングプロジェクト企業5社のうちの1社に選ばれた。

 「リーディングプロジェクト」とは、「リーディングメンバーがエクセレントカンパニーになると共に、ジャーブネットの全会員を先導し、住宅業界を変えていく」のが目的で、昨年13社でスタートした。今回の5社とあわせ18社になった。

 リーディングプロジェクト13社の販売実績がこの1年間飛躍的に伸びたことは先にも紹介した。具体的には、光建設(加盟前2棟⇒加盟後12棟)、大廣建設(同12棟⇒同25棟)、アート建工(同12棟⇒同35棟)、ロータリーハウス(同40棟⇒60棟)、オカザキホーム(同23棟⇒同105棟)などが飛躍的に受注棟数を増やした。また、山里建設のホームページアクセス数は加盟前年は月間平均400件だったのが、加盟後は850件と倍増した。

 新葉ホームもリーディングプロジェクトに選ばれる前と選ばれた後の受注棟数はほぼ倍増しそうだ。

「父はかご屋。僕の弁当が一番惨めだった」

 しかし、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。鈴木社長のこれまでの軌跡をたどった。

 鈴木社長は昭和24年、千葉県君津市に生まれた。「父はかご屋。農家が使うかごやざるを作っていました。私は男ばかり3人兄弟の真ん中。とにかく貧しかった。学校への弁当は麦飯におかずは梅干ひとつ。自分の弁当が一番惨めだった。大学など行く余裕はなかった。とにかく働きたかった」

 昭和の30年代、40年代ころまではどこの田舎でもかご屋、桶屋、鍛冶屋などを生業とする人がたくさんいた。しかし、かまどがガスに、囲炉裏が炬燵に、石炭が石油に取って代わられたように、竹製のかごはプラスチック製品に瞬く間に主役の座を奪われる。高度成長は都市と農村の格差を助長させ、大量の貧困も生んだ。鈴木少年に大学進学の選択肢などなかった。

「とにかく働きたかった」選んだのはプログラマー

 「とにかく働きたかった」鈴木少年は高校を卒業すると、上場測量会社に入社した。プログラマーを夢見て、勤務しながら夜間の専門学校に通いコンピュータ技術を身につけた。

 鈴木氏は、就職試験の面接の場で尊敬する歴史的人物を問われ、「二宮尊徳」と答えた。二宮尊徳は、薪を背負い本を読むコンクリート造の姿が学校の校庭に建てられていた。忠孝、立身出世の象徴として当時の少年に刷り込まれた人物だ。二宮尊徳を尊敬しつつプログラマーを目指す鈴木氏の姿は、劇的に変化する時代を活写するエピソードでもある。

住宅営業マンに転職 バブル期は年間2526棟販売

 28歳のときだった。家庭の事情で君津の田舎に帰らざるを得なかった。しかし、君津にはコンピュータ技術を生かせる会社などなかった。生活のため鈴木氏は住宅会社を選んだ。30歳で宅建資格も取得した。37歳で独立した。バブルが発生したころだ。「土地神話がまかり通っていた時代。土地を買えば売れた。年間25〜26棟くらい売っていました」

倒産寸前の会社を救ったアキュラホームの現場見学会

 ところが、独立して数年後にバブルが崩壊した。受注は激減した。それでも真面目が身上の鈴木氏は何とか持ちこたえた。「当時は住宅の販売と賃貸管理などもやっていました。同業からは儲からない賃貸などをやっていて馬鹿呼ばわりされました。バブル崩壊後、私を笑った同業はたくさん破たんしました」

 独立してから7年後、価格の安さを売りにしたハウスメーカーが進出してきた。そのあおりを受け、住宅はバタッと売れなくなった。

 「会社は倒産寸前。もうだめかと思っていたとき、 アキュラシステムを導入し、現場見学会を自社で開催し、そこで初めてスケルトン&インフィルやメーターモジュールの住宅を受注することができ、アキュラシステムを確信することができました。 何しろそれまでは真壁と床の間のある住宅しか知りませんでした。頭をどやされた思いがしました。そして同時に、パッと将来が見えたんです。あの現場見学会が立ち直るきっかけでした」

リーディングカンパニー山里建設の「Before After」(12/18)

(牧田 司 記者 2010年11月29日)