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リーディングカンパニー山里建設の「Before After」

「地域工務店の浮沈のかぎ握るリーディングカンパニー」

〜山里建設 山里昌史社長に聞く〜


山里昌史社長


5年間に6棟しか受注できなかった会社が今では年間20棟 

 アキュラホームは先に、同社と共に手を携えてジャーブネット全会員を先導し地域のエクセレントカンパニーを目指す「リーディングプロジェクト」を立ち上げた。その先導役となるのが、ジャーブネット会員約 500 社の中から選ばれた13社からなるリーディングカンパニーだ。群馬県高崎市の山里建設もそのうちの 1 社だ。同社は、ジャーブネット会員になるまでの5年間でわずか6棟しか受注できなかったが、会員になってから4年間で年間 20 棟前後を受注できる会社にまで急成長した。どこがどう変わったのか、山里昌史社長に聞いた。

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小2から高校卒までの10年間、休まず新聞配達

 人は何が幸いするか分からない。山里氏は、昭和41年、沖縄県沖縄市で父が大工の9人兄弟の6番目として生まれた。父は同5年生まれだが、足が不自由だったため召集を免れた。だから山里氏も存在する。

 大工は、定期的に給料が支払われる仕事ではない。雨が降れば仕事は休まなければならない。「いつお金が底をつくか、いつも不安でしたね」山里氏は小さいころを振り返る。

 しかし、苦しい家計は山里氏を育てた。山里氏は小学2年から高校を卒業して東京に出る2日前まで約10年間、新聞配達をほとんど休まずやり続けた。受け持ち軒数は約70軒。当初は夕刊だった。しかし、夕刊の配達では好きな野球の部活ができないので、その後朝刊を担当することになる。毎朝6時から7時ごろまでかかって配った。「休みは月に1回ぐらい。ほとんど休みませんでしたね。苦にならなかった? 全然、苦にはならなかったですね」

 苦にならなかったから続けられたのだろうが、自らに与えられた課題・仕事をやり遂げる人格は、こうして小さいころから形成されたということだろう。

 山里氏には、面白い勲章もある。高校時代、バスケットボール部に所属。身長が168センチと部内で一番小さく、背番号もビリの13番を付けた。「大事な試合には使ってもらえませんでしたが、勝てる試合などではよく使ってもらいました。それでもチームは県大会で優勝、インターハイにも出場しています」

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「現場監督なんて名ばかり。何でもやった」 耐えた12年間

 大学受験に失敗した山里氏は、働くため東京に出る。18歳のときだ。最初は、契約社員として神奈川の自動車会社に勤務する。契約が切れた半年後、兄弟を頼って高崎市に移り住み、建設会社で12年間、現場監督として働く。「現場監督って名ばかり。大工仕事の準備から掃除まで、何でもやりました」

 転機が訪れた。「社員数4人の小さな会社でした。社長がこだわりをもって全てを取り仕切っており、私の意見などが通る会社ではなかった。働き出して10年目でしたかね。社長の身内の家を建設したのですが、その方から『ここまでこだわらなくても、もっと安くて工期も短くならなかったの? 』といわれたのです」

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アキュラホームとの出会いは1枚のファックスから

 この言葉に触発された山里氏は、ふとしたことからアキュラホームを知ることとなる。「アキュラホームからファクスで送られてきたセミナーの案内チラシでした。コンピュータを導入してデータベース化を考えているときで、本屋に行って宮沢社長の本を買って読みました。目から鱗でしたね。これだっ、と」

 この1枚のチラシが起業のきっかけとなるのだが、ことはそう単純ではない。10年間も休まず新聞配達を続け、10年以上も勤務してきたことでもわかるように、山里氏は義理堅い人間だ。「すぐ辞めます」とはいえなかった。

 独立する決断を下したのは、結婚が契機だった。31歳の平成9年12月、地元出身の人と結婚することが決まっていた。山里氏は会社に「社会保険に入れるようにしてください」と何度も交渉するが受け入れられなかった。辞表を3度も出したが突き返された。そこで山里氏は、結婚式を挙げた翌年の1月にやむなく退社、会社「山里建設」を立ち上げた。自分と奥さんだけの2人だけのスタートだった。

借金だけが残った初仕事 500万円の利益のはずが…

 船出は順風満帆とはほど遠い最悪だった。初仕事はすぐに入った。知り合いからの紹介だった。約3,600万円の家だった。引渡し時に、建築主の親からクレームがついた。建築主は自己資金のほか親から2,000万円借りて建てることになっていたのだが、親の了承をきちんと取らなかったため、臍を曲げた親は「500万円は支払わない」と言い出した。

 山里氏は、利益となる500万円でジャーブネットに入会するつもりだった。結局、利益を生むどころか借金500万円が残った。「500万円でジャーブネットに入る予定が、逆に借金500万円が残りました。厳しかったですね」

 苦境を支えたのが奥さんだった。「当時、私は別の仕事もしており毎月 52 万円余の収入がありましたから、何とか生活ができ、借金も返済できました。 5年間で受注は 6 棟。別の仕事をやっていなければとても生活できませんでした。 500万円の借金も 5年間で返済できました。コツコツと貯めてくれた女房のお蔭です。女房は群馬県出身のいわゆる上州かかあ天下ですが、しっかりものという意味です」

「水を得た魚」5年間で借金返済  500万円も貯めた

 5年間で借金を払い終え、晴れて山里氏はジャーブネットに加入する。そのときの心境を山里氏は、極めて明瞭的確にこう表現する。「まさに水を得た魚」だと。

 アキュラシステムを吸収する土台はすでに築いてあった。「以前の親方から営業もデザインも技術も教わっていましたから、アキュラシステムを導入することに何の支障もありませんでした」

 そして、事業は一変する。今では山里社長のほかに営業2人、現場2人、プランナー1人、事務員など10人近くのスタッフを抱える住宅会社になっている。「群馬県内では66位ぐらいですかね。ここまでこられたのは、周りに協力者がたくさんいたから。騙されやすいタイプだと自分では思いますが、何事も素直にやることを心掛けています」

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 今回リーディングカンパニーに選ばれた13社の中で、山里建設は規模的には小さな会社かもしれない。しかし、山里社長の目指すものは単なる会社規模の拡大だけではない。

 山里氏は、「当社のこれからの実績が、同じ地域工務店の浮沈のカギを握る。当社が伸びることによって、他の皆さんからも目標にしていただける。皆さんの期待に応え、地域に愛される地域に必要とされる企業にしたい」と語った。

「リーディングカンパニーは支店、親戚」アキュラホーム(12/8)

「光熱費ゼロ目指す」千田工務店の取り組みに注目(12/10)

(牧田 司 記者 12月18日)