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全191戸が5カ月で完売した
「パレットコート七光台」(2月4日)

 

 2004年に分譲された建売住宅でもっともよく売れたのは、ポラスグループの中央グリーン開発(中内俊三社長)が分譲した「パレットコート七光台」だろう。何とわずか5カ月で全191戸を売り切った。バブル崩壊後の短期完売記録としては、同グループの中央住宅が2001年に半年で154戸を完売した「マリアドルフゆめみ野」があるが、それを更新した。「ゆめみ野」も陸の孤島というハンディを負っていたが、周辺の街自体は出来上がっていた。今回の「七光台」は、駅舎以外何もない殺風景な場所だっただけに価値がある。そんなに短期間に売れたのはなぜか。

 
風前の灯≠常夜灯≠ノ プランに込めた意気込み
 

 現地は、東武野田線七光台駅から徒歩3分、約61・7ヘクタール、約1600区画の七光台西土地区画整理事業地内の一角。区画整理事業は92年から事業着手されていたものだが、バブル崩壊の02年、当初予定していた業務代行業者が会社更生法の適用を受けたため事業は中断していた。

 風前の灯≠常夜灯≠ノ変える事業として位置付けられたプロジェクトだった。文字通り、街全体を明るくしようという意思が企画にも込められていた。「野田市の市民憲章に根ざした街づくり」をテーマの一つ掲げ、夜間、街灯をはじめ個々の家庭のポーチ灯、門灯などにも灯をともし、光を絶やさない「光の協定」を物件購入時に結ぶことが決められた。

 住戸プランでは、1棟あたり土地面積は150〜344平方メートルと、通常の建売住宅よりは広めに設定。キッチンや洗面台、建具の色を選択可能とし、モデルハウスは7棟も設けるなど、多用なニーズに応えようとしたところにも意気込みが感じられた。価格は2680万〜4150万円(1期1次)だった。

 プロジェクトの責任者、同社事業部長補佐・瀧口裕一氏は「パレットシリーズは、これまで早期完売してきたゲンのいいシリーズ。街の再生・活性化のためにも6カ月で完売したい」と分譲前に語っていた。しかし、内心はかなりプレッシャーがかかっていた。野田市での分譲事例は4年前の「パレットタウン川間」(45戸)しかなく、手探りの状態で望むしかなかったからだ。販売担当の同社七光台販売センター長・小林雄一氏も、「準備期間も少なく、ふたを開けるまで不安だった」と、本音を漏らした。

 
分譲開始2日間で来場3277人
 

 しかし、心配は無用だった。「とにかく街を知ってもらおうと、阿波踊り、露天、キャラクターショーなどイベントに力を入れた」結果、販売開始の4月17、18日の2日間で来場者は1077組3277人に達し、1期35戸は即日完売した。

 あとは、口コミで広がっていった。「街の活性化のためには、野田市ばかりでなく他の地域から集客したかった」ため、チラシは他の地域に配布。作戦は当たった。伊勢崎線を中心に圧倒的な知名度を誇るポラスの力がここで発揮された。全191戸のうち地元野田市の購入者は32%にとどまり、埼玉県越谷市の11・6%、春日部市の5・8%などが続き、埼玉県購入者が34・4%にも上った。購入者の年代は30歳代前半の35・4%を含む30歳代が55%ともっとも多く、50歳代以上も15%だった。金融機関も後押しした。販売現場に銀行マンが駆けつけ、ローン融資の決断をその場で下したのが効果をあげ、即断即決で契約が進んだ。

 瀧口氏は早期完売の理由について次のように語った。「厳しい環境が続く区画整理事業だが、何とか成功させ街の活性化に役立ちたかった。何もないところだったが、街の将来性を描けたのがお客様に理解された」

 
街の活性化に貢献 通学生徒が激増
 

 「パレットコート七光台」は、街の活性化に早くも目に見える形で貢献している。例えば小学校の活性化。「七光台」の通学区になっている野田市立北部小学校の生徒数はそれまで全校で57人だった。1学年10人にも満たない学校だった。それが「七光台」が全戸完売したことにより38人も増加した。他の小学校に通う子ども8人、中学校に通う子ども10 人と合わせ56人の生徒が一挙に増えた。

(牧田 司記者 2月4日)