RBA HOME> RBAタイムズHOME >2011年 >

「日本橋架橋百年祭」に10万人来場

江戸の舟運が復活


「日本橋川舟運」の賑わいを再現

 「名橋『日本橋』保存会」と「日本橋・京橋まつり実行委員会」は10月29日・30日の2日間、江戸開府の年に架けられ、1911年(明治44年)4月3日、20代目となる石造二連アーチ橋に架け替えられた「日本橋」架橋100年を祝う「日本橋架橋百年祭」 を日本橋で開催した。今年4月に行われる予定だった同祭は東日本大震災により中止が決定されたが、東北の復興を願う、日本に元気を与える祭りとして復活した。

 30日は「日本橋お江戸舟運まつり」に続き、今年で39回目を迎える「日本橋・京橋まつり」と「日本橋架橋100周年記念まつり」の合同パレードが開催された。地域住民や、三井不動産など地域に根ざす企業が一体となって祭りを盛り上げた。

 観客動員数は去年の「日本橋・京橋まつり」は約3万人だったが、今年は約10万人も集まった。地方からバスをチャーターして訪れた客もいた。

        
名橋「日本橋」保存会会長・中村胤夫氏                  中央区・矢田美英区長


テープカット

蘇った江戸の舟運

 舟運まつりでは江戸時代、世界最大級といわれた「日本橋川舟運」の賑わいを再現。小江戸3市と呼ばれる埼玉県川越市・栃木県栃木市・千葉県香取市から御用船、荷舟、嫁入り舟など約15隻の和船が集結し、水上を彩った。「小江戸とちぎ会」の会員らが乗った遊覧船は、小江戸栃木市蔵から日本橋まで約120キロを10、16、23、24日と4日間かけて来たそうだ。

 オープニングは、主催者をはじめ、各地域の代表者が和装で現れた。

 名橋「日本橋」保存会会長・中村胤夫氏は「日本の中心として賑わい、たくさんの人に活用され、愛されていた日本橋は当時 1 日 700 槽の舟が往来していた。ここで陸と水の祭りをしようと言ったら、 3 市が快く応じてくれた。初めてこのような川の祭りを開催するが、今日この出会いが次の出会いに繋がれば幸い」と挨拶をした。

 中央区・矢田美英区長は「日本橋は水の都。私たちは水の素晴らしさをもう一度見直し、活用してやろうじゃないかという取り組みをしていかなければならない。今日は各地の水の都からも学びたい。なんといっても、被災地の一日も早い復興を願うため、大いにこの日本の中心地から、元気を発信しよう。頑張れ東日本!がんばれ日本!元気を出せ日本人!」とエールを送った。


日本橋を渡る日本橋茅場町出身の岸上米蔵氏(100)夫婦と子、孫夫婦

100年に一度の大パレード

 「第39回日本橋・京橋まつり」「日本橋架橋100周年記念まつり」合同パレードのオープニングセレモニーが正午ごろからスタートし、中央区長をはじめ関係者たちが橋の手前でテープカットを行った。

 また、江戸時代に新しい橋を築いた際、橋の永続を願う儀式として行った「三代三夫婦渡り初め」を再現。現日本橋架橋の年に生まれた日本橋茅場町出身の岸上米蔵氏(100)夫婦とその子、孫の3代夫婦が、ゆっくりと日本橋を渡った。岸上氏は父の代から日本橋で時計店と眼鏡店を経営し、80歳まで現役だったという。

 オープニングセレモニーを締めくくったのは川越藩火縄銃鉄砲隊保存会の演舞だった。甲冑に身を包んだ会員たちが、将軍役を務める同会会長寺田図書助氏の「放て!」の掛け声で一斉に空砲を発射し、高らかに轟音を轟かせた。

 同会は、現存する唯一の鉄砲部隊。寺田氏が40年を費やして江戸時代などの鎧兜50体以上を修復、再現し、戦国時代の軍隊を再現できるほどになった。会員の階級や石高なども決まっている。

 続いて東北復興パレードとして岩手、宮城、福島3県の伝統芸能団体が踊りなどの伝統芸を披露。「元気発信 ともに、前へ」「全国からのご支援ありがとうございます」と書かれた横断幕に続き、扇を両手にぴょんぴょんと跳ねる元気な「仙台すずめ踊り」の踊り手が現れると、両道路の観衆が拍手と共に声援を送った。

 岩手県からは大船渡市の川原鎧(かわらよろい)剣舞と浦浜念仏剣舞、山田町八木節、奥州市江刺区の金津流鹿踊、北上市の北藤根鬼剣舞がそれぞれ熱演。

 1000年余の歴史を誇る福島県南相馬市の「相馬野馬追」では鎧武者が馬に跨って駆け、勇壮な姿に歓声が上がった。

 パレードの後は、10月22日に選出された「着物の女王」と、思い思いの着物を着た一般参加者約400名が大集合し、橋上が華やいだ。


川越藩火縄銃鉄砲隊保存会の演舞

「仙台すずめ踊り」


「相馬野馬追」の騎馬武者

◇    ◆    ◇

 今回はメインイベントを中心に取材したが、日本橋に繋がる通りには多くの出店で賑わっていた。今回は東北の出店も多く、ご当地キャラクターや観光キャンペーンガールの姿も見られた。

イベント関係者をはじめ、観衆たちからも橋への愛情を感じ、100年間街を見守り続けてきた日本橋も、きっと喜んでいたと思う。

 杖をついた着物の女性が、パレードを眺めながら「高速道路がなければ」と呟いた。一眼レフに祭りの様子を収めていた一般参加の男性も、「首都高が影になって撮り辛い」とぼやいていた。

 国土交通省のヒートアイランド対策研究会のシュミレーションによると、高速道路を移設または撤去することにより、東京湾から流れ込む風の通り道が開いて気温が2〜3℃下がることがわかっており、未来型都市のモデルとする案も浮上しているという。

 近い将来この場所で太陽に輝く白い石橋の下を、たくさんの遊覧船がゆったりと渡っていく光景が見られることを願う。


約400名のきもの大集合写真

(横山 裕美記者 2011年11月2日)