元三井不動産会長・社長 田中順一郎さん 「お別れの会」に2600人 田中順一郎さん「お別れの会」(帝国ホテルで) |
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去る1月10日、多臓器不全のため80歳で亡くなった三井不動産相談役(元代表取締役会長・社長)田中順一郎さんの「お別れの会」が2月17日、都内のホテルで行われた。主催は同社代表取締役社長・岩沙弘道氏で、喪主はご令室の田中智子(たなか ともこ)さん。 祭壇中央には、周囲をラン、カサブランカ、小菊で埋められた元気なころの田中さんの白黒の遺影が飾られ、死後に叙位された従三位の位記も置かれていた。 会場には不動産業界関係者を始めとする政財界人に混じって王貞治氏の姿も見られた。会には約2600人が献花に訪れ、田中さんに最後の別れを告げた。 別室に設けられた控えの間の壁には田中さんが生前愛した会津八一の次の歌が披露されていた。 すゐえん の あま つ をとめ が ころもで の (水煙の天つ乙女が衣出のひまにも澄める秋の空かな=薬師寺東塔の最上部には火炎の中に飛翔する天女が彫りこまれており、その美しい透かし彫りの間から古都奈良の秋空が見えるという歌) ◇ ◆ ◇ 記者は、参会者の声を聞こうと思ったが、同社広報から「取材・写真撮影を控えていただきたい」と依頼された。このため、参会者の声を紹介できないが、参会者に配布された同社社長・岩沙弘道氏の「ご挨拶」を以下に紹介する。 なお、会が行われた帝国ホテル広報によると、この種のお別れの会への参加者数は「当社も含めどこも公表はしないでしょうが、おさらくトップクラスでしょう」とのことだった。 ◇ご挨拶◇ 本日はご多用中にもかかわらず、弊社元会長 田中順一郎の「お別れの会」にご参会賜り、誠に有難うございます。心より厚く御礼申し上げます。 田中さんは、昭和26年に三井不動産に入社以来、霞が関ビルディング建設をはじめ、大規模住宅事業、超高層マンション事業等、時代を画するプロジェクトを次々と手懸け当社の飛躍と発展に多大な貢献をなされました。 とくにバブル崩壊後の苦境にあっては、資産デフレに敢然と立ち向かい、その原因のひとつである不動産税制の改正に奔走され、住宅支援税制の拡充等による住宅市場の活性化や不動産流動化による都市再生の流れを方向付けるなど、社業のみならず業界全体のリーダーとして日本経済の再生に尽力されました。 また、書や茶に親しみ、仏像の鑑賞にこの上ない心の平安と喜びを感じ、常に人との絆を大切にされる方でした。三井記念美術館設立や三井記念病院建替えに奔走されるなど、社会貢献活動にも情熱を注ぎ、誰からも慕われる誠実で温かいお人柄で、幅広く豊かな人間関係を築いてこられました。 20年前の社長時代に、「自然との調和」と「環境との共生」を三井不動産の企業理念とし、「共生・共存」を意味する「&マーク」を定めたことは、田中さんの未来を見据え新しい価値を見いだす先見性の表れであり、弊社グループ役員・社員一同、この理念を将来にわたり体現すべく尽力いたす所存であります。 胸に去来する思い出は尽きませんが、ここに、故人が生前皆様から賜りました数々のご厚情、ご厚誼に対しまして、謹んで御礼申し上げます。 平成22年2月17日 三井不動産株式会社 「お別れの会」会場 |
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(牧田 司 記者 2010年2月17日) |