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RBAタイムズ アーカイブ 2004年 5月14日号から

 全701戸が平均120u テーマは「家族の絆」

来場者9000組 3カ月で完売した「パークシティ東京ベイ新浦安」

 今年ほど家族の絆、子育て支援、家事労働の軽減をテーマにしたマンションや戸建てがたくさん供給された年はなかった。野村不動産の「ラクモア」、大京の「Lions Living Labo」はマンション業界をリードしたし、三井不動産レジデンシャルは三井ホームと共同開発した建具・収納の本格的供給を始めた。

 モリモトは、女性の視点を商品企画に反映させた「花生活」を今秋の物件から標準装備した。伊藤忠都市開発は、オリジナルの収納システム「 KATASU 」を開発した。有楽土地は、戸田市の「グランシンフォニア」で働くママを支援する「ママサポ・プロジェクト」を採用して人気を呼んだ。

  積水ハウスの子育て支援「 Kids Design 」は4年連続してキッズデザイン賞を受賞した。大和ハウス工業は、 SK-2 とコラボした女性の快適空間「コクーム」を発表して話題を呼んだ。旭化成ホームズは、子育て支援の生活提案「+ NEST 」を積極展開した。

 これらを見聞して、記者は7年前に三井不動産レジデンシャルと伊藤忠都市開発が家族の絆をテーマにして圧倒的な人気を呼んだ「パークシティ東京ベイ新浦安」を思い出す。あの驚嘆のプランは、今でも色褪せることなく強烈に頭の中に残っている。今後の商品企画の参考になると思われるので、当時の「 RBA タイムズ」の記事を紹介する。


「RBAタイムズ」(2004年5月14日号)  

 驚嘆マンション「新浦安」はこうして生れた

用地−企画−販売担当者が語る

 全701戸の平均専有面積が120平方bで、テーマは「家族の絆」――業界の誰もが考え得なかった「広さ」を確保し、永遠のテーマである「家族」の問題に真っ向トライしたマンション「パークシティ東京ベイ新浦安」の分譲から1年。建物は一部が完成、入居も始まった。この歴史的なマンションを実質わずか3ヵ月で完売に導いた三井不動産千葉支店の用地・企画・販売の各スタッフは何を考え、何を学んだのか。(敬称略)

 「パークシティ東京ベイ新浦安」は、昨年(2003年)4〜6月、三井不動産と伊藤忠都市開発が共同で分譲した全701戸のマンションだ。現地は、都市公団が施行した約232ヘクタールの区画整理地の一角にあり、隣接地には約12ヘクタールの総合公園、約700室の宿泊特化型オリエンタルランド「パーム&ファウンテンテラスホテル」が開設される予定だ。

 プロジェクトのテーマは「家族の絆」。ライフスタイル、ライフサイクルによって間取りが自由に選択できるほか、「ファミリーライブラリー」「囲炉裏ダイニングの提案」「ブレックファーストコーナー」「ビューバス」「おじいちゃん、おばあちゃんの部屋」「キングクローゼット」など「永住できる」「家族の絆や気配を感じ、家族のよりよい関係を育む」什掛けが随所に盛り込まれている。この結果、全戸が100平方b以上、平均120平方bという、ほとんど前例がないタイプとしたのが最大の特徴だ。

 その一方で、マンションの一画に21区画の店鋪を誘致することや、生活利便施設が周辺に揃っていることから、コストアップ要因になる共用施設を極力抑制。坪135万円の割安単価を実現した。

 平均でも5,000万円という決して安くない価格帯になったが、かつてないプランだったのが30〜40歳代の子育てファミリーの圧倒的な支持を受けた。

 4月の1期402戸が平均3.2倍、1期2次54戸が4.5倍、6月の最終期245戸が3.8倍でそれぞれ即日完売。延べ来場者は9000組にも達した。

 来場者の6割は地元・浦安市や市川葛西などの周辺地域居住者だったが、残りの4割が部内、神奈川などの居住者だったのが大量集客できた要因だ。

 千葉支店長・池上澄善(54)の夢

「住宅供給もソリューションだ」

 驚嘆のマンションは、三井不動産干葉支店から生まれた。

 指揮を取っていたのは、昨年(2003年)3月まで支店長を務めていた住宅事業本部・池上澄善(54)都市開発第二事業部長(三井不動産レジデンシャル取締役常務執行役員=2010年現在)だ。

 新浦安に自宅を構えて十数年。池上はこの間、仙台、埼玉、千葉支店、本社勤務を経験しているが、生活の本拠地はずっと新浦安に置いていた。生活の基盤を新浦安に置きながら、住まいづくりについて様々なことを考えてきた。

 埼玉支店勤務のときだ。武蔵野線に乗って帰宅するとき、車窓から見える沿線風景は真っ暗で、駅頭でもパチンコ屋のネオンぐらいしか見えない風景に複雑な複雑な思いを抱いていた。「夜になると真っ暗になる街は街ではい」と。

 「バブルが崩壊して、成果主義が幅を利かす世の中になったが、サラリーマンが全力投球できるのは心の支え。家庭のしっかりした理解が不可欠だ。当社は顧客の目線にたったソリューション事業をビジョンの一つとして推進しているが、住宅供給もソリューションではないかと。われわれデベロッパーとして親子の関係、夫婦のあり方について、支援する装置をつくる必要があるのではないか」と池上は考えていた。

 「50年、100年先に残る故郷をつくりたい」――池上の夢はどんどんふくらんでいった。そんな矢先、絶好のチャンスが訪れた。公団のコンペの話だ。

 池上は考えた。「これまで何十年とマンション事業をやってきたが、これほど条件が備わった本格的な街づくりは一生の中でも最後ではないか。新浦安はディズニーランドがある子どもの街だが、大人も楽しめるリゾート的なテーマタウンを作ろう」と。

 池上は、夢を実現するため、「本当はこうなんだという仮説を立てる作業から始めた」それは、親子・夫婦の絆に真正面からトライすることだった。

 「課長と飯を食いながら、安心して子どもを生める街にしようじゃないか。MOCでアンケートをやるうと話し合った」

 「MOC(三井オープンコミュニケーション)」とは、消費者の声を住まいの商品企画に反映させるモニターシステムのことで、平成8年、千葉支店が取り組んだ「アーテージそが」(千葉市)が第一号だった。主婦の声を随所に反映させたプランは業界を驚かせた。

「120平方bになると満足度が飛躍的に高まった」

 「私は100項目ぐらい質問項目を作った。夫婦の会話時間はどれぐらいとか、一緒に食事したり、外出することはあるか、子どもに聞かせたくない話はどこでするのかなど、プライバシーに関わる部分にも踏み込んだものだった」

 部下の答えは、こうだった。「池上さん、ぼくたち30〜40歳代の夫婦って、微妙な夫婦の問題についいて真剣に話し合うことを避けているんじゃないかと思うんですが…」

 池上も一般のMOCの会員に親子や夫婦のプライバシーに踏み込んだアンケートを実施するのを断念した。かえって反感を買うのは目に見えていたからだ。そこで考えたのが、本音を記入してもらえそうな三井グループの社貝に絞ってアンケートを実施することだった。

 「普通アンケート調査をやると、帰ってくるのは2割とか3割。三井グループの社員に聞いたおかげで、回答は半分近く集まった。みんな本音で答えてくれた。仮説を立てていた通りの結果が得られた」

 アンケート結果に自信を持ったスタッフの取り組みが始まる。必要と思われるものをどんどんプランに積み上げていった。

 「子どもだけが生きがいという時代は終わった。自立した生き方、クリエイティブな老後を送るにはやはり個室が必要だと。それで基本は4LDKにしようと。ライフサイクル、ライフスタイルによって間取りが変えられることも必須。リビングは14畳以上必要、主寝室は8畳大以上、風呂に窓が欲しい。面積が120平方bになると満足度が飛躍的に高まることも分かった」

用地担当・児玉光博(37)の予感

「失敗するとは全然考えなかった」

 「失敗するとは全然考えなかった」−驚嘆のプランにもかかわらず、このマンションプロジェクトに関わった面々は異口同音にこういった。

 用地担当の児玉光博(37)主事は、「公団コンペの話が出たのは2002年の年明け。われわれはその前年、全258戸の『パークシティ新浦安』を販売しており、その経験から、ポテンシャルが高いエリアとして、もっと面白い企画ができると考えていた。結果的にコンペに参加したのは当社だけだったが、これまでのノウハウを活かした複合開発が公団にアピールできた」と振り返る。

商品企画担当の各務徹(39)の確信

「経営陣も『面白い』といってくれた」

 商品企画担当の各務徹(39)主事も、「用地を買う半年前から120平方bプランは考えていた。当該地には1f当たり150〜165戸という戸数規制があったことも、全体として面積が広くなった要因の一つだが、容積を余せば90平方bでも100平方b平均でもできた。しかし、われわれはそんな平凡なものをつくりたくなかった」

 各務は昭和63年入社。大阪−東京勤務を経て、平成8年干葉支店に異動になった。「当時は『MOC』を立ち上げた直後で、第一弾の『アーテージそが』の販売も経験させてもらった。それから7年半、今は最古参の一人」だ。

 成功を確信していたとはいえ、不安もあった。「トータルに住宅のあり方を研究したものは、戸建て注文住宅や建築学などにはあるが、マンションについてはほとんどなかった」(池上)からで、自力でプランを練り上げるしかなかった。

 各務も「空間心理学によると、心地よい広さは一人当たり30平方bで、それなら4人家族なら120平方bになる。その120平方bで家族がどう過ごすのか。どう過ごすと快適なのか。家族のあり方に関する書物なども読みながら発想したのが『フアミリーライブラリー』や『囲炉裏ダイニング』だったのです」

 そんな各務にも「考え出すと夜も寝られず、悶々とする日もあった。『もっと小さくてもよかったのではないかか』と考えたこともあった。気持ちがぐらついたとき、『120平方bで行くぞ』といってくれたし、経営陣も『面白い』といってくれた」

販売担当・幸島泰治(36)の感動

「歴史的なプロジェクトに関わりあえた」

 販売担当の三井不動産販売住宅営業本部・幸島泰治(36)課長代理は、「私を含めスタッフ全員がいけると思っていた。平成13年1月に分譲した『パークシティ新浦安』258戸も3カ月で完売したので手応えがあった。701戸という戸数の多さには多少不安もあったが、 90 平方bの公団賃貸住宅の家賃が20万円もする地域。また、新浦安地区では13年秋から14年秋にかけて約2,000戸の供給があり、ほとんど売れていた。吸収できるマーケットはあると思った」

 幸島は平成3年の入社。三井のマンションや建売住宅の販売を13年問担当してきたベテランだ。

 スタッフの一抹の不安は確信へ変わっていく。モデルルームオープン前の事前反響は4000件に達していた。3月1日のモデルルームオープン以来、販売事務所は連日来場者でごった返した。

 販売担当の幸島は当時を振り返って次のように語った。「スタッフは社員14名とサンライフクリエイションの女性50人態勢。仕事は大変だった。昼間は接客、夜は集計作業や翌日の準備。どうしたらお客さまに物件の魅力を伝えられるか、どうしたらお客さまの心に響くか。それこそコンパニオンが話す一語一語、展示物のコピーなどもチェックした。女性スタッフには早く帰ってもらったが、打ち合わせは未明になることもあった。金、土、日曜は泊り込みもした。モチベーションがものすごくあがっていた」

 「総額は張るがこれまでにないプランだったので、お客さまのファーストインプレッションを大事にした。セールスの柱としては、一つ目が東京から16分のアクセスのよさと環境のよさ。二つ目が平均120平方bという広さ。三つ目が売主が三井不動産と伊藤忠。四つ目が価格。一戸あたりの総額は高くなるが坪135万円という単価の安さに置いた」

 「―期だけで来場者は6,000組。販売事務所のキャパシティもあって期分けしたが、全戸を一度に売っても売れたと思う」

 「昨年1年間を通じて一番売れたマンションだと思う。打ち上げはものすごく盛り上がった。こんな歴史的なプロジェクトに関わりあえたという達成感は半端じゃなかった。お客さまから受けた印象では、若い人でもしっかりした考えをお持ちで、職場でも職場でもかなりやり手だろうという人が多かった」


当時の三井不動産のニュースリリースから

(牧田 司 記者 2010年12月24日)